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SPORTSよこはまVol.30:特集(4/4)


一人でも多くの人にソフトテニスの楽しさを せせらぎクラブ

せせらぎクラブ創設16年となる「せせらぎクラブ」。ソフトテニスを愛する仲間が集い、立ち上がったクラブは、現在約60人が在籍。2011年度は全日本クラブ選手権で3度目の優勝など、強豪クラブという名にふさわしい素晴らしい成績を挙げました。
明るく活気溢れるクラブの練習は、中高生と一緒に練習することもしばしば。今後は小学生ソフトテニス教室などで指導協力をしていく予定です。
「いろいろな方々の協力を得てせせらぎクラブは成り立っています。私たちがクラブとしてできることといえば、多くのソフトテニスをやっている小中高の選手に楽しさを伝えていくことだと思っています。」とクラブ代表の宇津木 智(うつき さとし)さん。
全日本で活躍する強豪クラブの選手たちが、ジュニア世代の育成も含めて、横浜のソフトテニスの発展に貢献しています。

テニスとともに歩む人生 山田 昭彦(やまだ あきひこ)氏

山田 昭彦氏中学1年のとき、はじめてラケットを握ってから84年。96歳になられてなお現役プレイヤーとしてテニスを続け、2001年の全豪オープン・ベテランの部で優勝、2006年の全米オープン・スーパーシニアではシングルス・ダブルスともに3位という成績を残した山田昭彦氏。
「横浜で続けてきたテニスの最大の思い出は、山手コートがまだクレーコートだった時代のことです。
大変お世話になった諸先輩、時としてライバルでもあった頼もしいペアと一緒に切磋琢磨してきたことは今でも鮮明に覚えております。
そんな仲間とともに五大都市体育大会の代表選手として8回出場したことや、神奈川県選手権大会、関東選手権大会などで優勝できたことはよき思い出です。今でも、時々市民大会を見学に伺いますが、ヨコハマテニス人の各年齢層の充実と技術の向上に心から尊敬と敬意を申し上げる次第です。」

世界に羽ばたく選手育成を 吉田 友佳(よしだ ゆか)プロ

プロになろうと思ったきっかけ、プロでの思い出

吉田 友佳プロテニスをはじめた7歳のとき入ったテニスクラブには、同級生の杉山愛ちゃんがいたんです。クラブのみんなが自然とプロになって世界に行くという夢を持っていました。
18歳でプロになって27歳で引退するまでのプロ生活で、目標としていたグランドスラム(テニス4大国際大会)で頑張ること、全日本テニス選手権で優勝して日本一になりたいという夢を叶えることができました。
青春時代すべてを懸けられるほど一生懸命になれることに出会えて、かつ世界を転戦して、世界のトップになろうという夢を持てたことが一番の財産です。

指導者として

いつかプロになって世界の舞台に立ってくれるような選手を育てたいという思いで、今のTeam YUKAを作りました。世界に挑戦する選手育成を目標にやってますけど、それまでの過程で身についたことは、何にでもつながるので、一生懸命頑張る力を養い、熱心になれることを見つけられることが幸せ…ということを一番に伝えたいですね。その中で、結果的にプロになる選手が出てきたら…という風に思っています。

これからテニスをはじめる方に

横浜は、全国トップのテニス人口を誇る市なんです。
趣味でやられる方から、プロになりたいという方まで幅広く、年齢・性別などにとらわれずやれる上、勝負の楽しさなどを学んでいける部分も含まれています。
何かスポーツをやりたいと迷っているお子さんがいたら、テニスはいいスポーツです…と胸を張って言えます。
横浜には初心者の方を対象としたスクールなどもありますので、まずは挑戦してもらえたらうれしいですね。

吉田友佳選手プロフィール 横浜出身のプロテニスプレイヤー。
プロ時代は、女子テニス国別対抗戦・フェドカップに日本代表として出場。全日本選手権ではシングルス優勝1回、ダブルス優勝2回の実績を持つ。世界ランキングのキャリア最高は、シングルス 52位・ダブルス 51位。
引退後は、テレビ解説などと並行しながら、大学で環境問題について学ぶ。2010年からはテニスアカデミーTeam YUKA代表として、選手育成に携わる。


一人でも多くの人にソフトテニスの楽しさを せせらぎクラブ

せせらぎクラブ創設16年となる「せせらぎクラブ」。ソフトテニスを愛する仲間が集い、立ち上がったクラブは、現在約60人が在籍。2011年度は全日本クラブ選手権で3度目の優勝など、強豪クラブという名にふさわしい素晴らしい成績を挙げました。
明るく活気溢れるクラブの練習は、中高生と一緒に練習することもしばしば。今後は小学生ソフトテニス教室などで指導協力をしていく予定です。
「いろいろな方々の協力を得てせせらぎクラブは成り立っています。私たちがクラブとしてできることといえば、多くのソフトテニスをやっている小中高の選手に楽しさを伝えていくことだと思っています。」とクラブ代表の宇津木 智(うつき さとし)さん。
全日本で活躍する強豪クラブの選手たちが、ジュニア世代の育成も含めて、横浜のソフトテニスの発展に貢献しています。

テニスとともに歩む人生 山田 昭彦(やまだ あきひこ)氏

山田 昭彦氏中学1年のとき、はじめてラケットを握ってから84年。96歳になられてなお現役プレイヤーとしてテニスを続け、2001年の全豪オープン・ベテランの部で優勝、2006年の全米オープン・スーパーシニアではシングルス・ダブルスともに3位という成績を残した山田昭彦氏。
「横浜で続けてきたテニスの最大の思い出は、山手コートがまだクレーコートだった時代のことです。
大変お世話になった諸先輩、時としてライバルでもあった頼もしいペアと一緒に切磋琢磨してきたことは今でも鮮明に覚えております。
そんな仲間とともに五大都市体育大会の代表選手として8回出場したことや、神奈川県選手権大会、関東選手権大会などで優勝できたことはよき思い出です。今でも、時々市民大会を見学に伺いますが、ヨコハマテニス人の各年齢層の充実と技術の向上に心から尊敬と敬意を申し上げる次第です。」

世界に羽ばたく選手育成を 吉田 友佳(よしだ ゆか)プロ

プロになろうと思ったきっかけ、プロでの思い出

吉田 友佳プロテニスをはじめた7歳のとき入ったテニスクラブには、同級生の杉山愛ちゃんがいたんです。クラブのみんなが自然とプロになって世界に行くという夢を持っていました。
18歳でプロになって27歳で引退するまでのプロ生活で、目標としていたグランドスラム(テニス4大国際大会)で頑張ること、全日本テニス選手権で優勝して日本一になりたいという夢を叶えることができました。
青春時代すべてを懸けられるほど一生懸命になれることに出会えて、かつ世界を転戦して、世界のトップになろうという夢を持てたことが一番の財産です。

指導者として

いつかプロになって世界の舞台に立ってくれるような選手を育てたいという思いで、今のTeam YUKAを作りました。世界に挑戦する選手育成を目標にやってますけど、それまでの過程で身についたことは、何にでもつながるので、一生懸命頑張る力を養い、熱心になれることを見つけられることが幸せ…ということを一番に伝えたいですね。その中で、結果的にプロになる選手が出てきたら…という風に思っています。

これからテニスをはじめる方に

横浜は、全国トップのテニス人口を誇る市なんです。
趣味でやられる方から、プロになりたいという方まで幅広く、年齢・性別などにとらわれずやれる上、勝負の楽しさなどを学んでいける部分も含まれています。
何かスポーツをやりたいと迷っているお子さんがいたら、テニスはいいスポーツです…と胸を張って言えます。
横浜には初心者の方を対象としたスクールなどもありますので、まずは挑戦してもらえたらうれしいですね。

吉田友佳選手プロフィール 横浜出身のプロテニスプレイヤー。
プロ時代は、女子テニス国別対抗戦・フェドカップに日本代表として出場。全日本選手権ではシングルス優勝1回、ダブルス優勝2回の実績を持つ。世界ランキングのキャリア最高は、シングルス 52位・ダブルス 51位。
引退後は、テレビ解説などと並行しながら、大学で環境問題について学ぶ。2010年からはテニスアカデミーTeam YUKA代表として、選手育成に携わる。