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SPORTSよこはまVol.34:特集(3/3)

横浜市スポーツ栄誉賞

ロンドンオリンピック・パラリンピックでメダルを獲得した横浜市ゆかりの11選手に横浜市から「横浜市スポーツ栄誉賞」が贈呈されました。(敬称略)

 内村 航平(体操男子個人総合)
  欠端 瑛子(ゴールボール)

  山室 光史(体操男子団体総合)
  三宅  諒(フェンシング男子フルーレ団体)

 立石  諒(競泳男子200m平泳ぎ)
  松本隆太郎(レスリング男子グレコローマン60kg級)
  早川  漣(アーチェリー女子団体)

立石諒選手(中央)、三宅諒選手(右)の贈呈式の様子
立石諒選手(中央)、三宅諒選手(右)の贈呈式の様子

パラリンピックで金メダル! 欠端瑛子選手にインタビュー

■ゴールボールを始めたきっかけ

欠端瑛子選手小学校や中学校の時は体育が嫌いでした。好きなのはマット運動と跳び箱ぐらいで、球技とかは本当に嫌いでした。生まれつき視力が弱かったので、向かってくるボールが目の前で急に視界に現れてビックリしてよけたりしていました。父親や兄と公園で軽くキャッチボールはしていたのですが、ジャングルジムなどの遊具で遊ぶ方が好きでしたね。高校から盲学校に行ったんですけど、それまではゴールボールを知りませんでした。体育の授業でやりましたが、目隠しをして速くて重いボールを体全体で防いだりするのが最初は怖くてできませんでした。でも2年生の時に友達が入っていたゴールボールのチームに人数が足りないからと誘われて参加したのですが、実際にやってみたら「あ、こんなもんか」と思って意外と楽しくできてそこからハマりました。

■ロンドンパラリンピック前

ロンドンへは初めから「金メダルを取ろう」という気持ちで挑んでいました。チーム内でも今までコミュニケーションや自分の気持ちを伝えていくということで何回もミーティングをしていたし、コーチと選手間の信頼関係を築くために合宿中やパラリンピックの期間中でも報告や連絡を密にするようにしていたので雰囲気はすごく良かったです。試合を勝ち進んでいくごとに「いけるんじゃないか。次の中国戦(決勝)は絶対に倒すぞ」という感じで雰囲気はさらに高まっていて、決勝戦はこの勢いでいけば必ず勝てると思っていました。

■金メダルを獲得!

試合終了のブザーがなった瞬間はすごくうれしさがこみあげてきて、みんなで抱き合ってうれし泣きしたり観客に気持ちを込めてお礼をしたりしました。金メダルを取れたのはチームで心を一つにできたことだと思いますし、スタッフやコーチの方々が他のチームの特徴などを分析して作戦を練ってくれるなど、コーチ、スタッフ、選手全員で勝ち取った金メダルでした。
パラリンピックから帰ってきてメディアの方に取り上げてもらえるようになってゴールボールの知名度は上がったなと感じています。学校でもそうなんですけど「ゴールボールってなんだろう」「やってみたい」という人がたくさん増えてうれしく思いますね。
女子の大会でちょっとした体験会をやったんですけどそこでもたくさんの人が来てくれて嬉しかったです。最初は知名度が低かったので金メダルを持って帰ってきたことでこんなに広がるのはうれしいなと思いました。

欠端瑛子選手欠端 瑛子(かけはた えいこ)
1993年2月19日生まれ
横浜市金沢区出身
横浜美術大学在学
父親は元プロ野球選手で横浜ベイスターズに所属していた欠端光則さん

オリンピックで銀メダル! 三宅諒選手にインタビュー

■フェンシングを始めたきっかけ

三宅諒選手小学校1年生の時にスイミングスクールに通っていたんですけれども背泳ぎができなくて違う競技をしたかったんですよ。その時に地元のカルチャースクールの掲示板のなかにフェンシングの写真があってこれやりたいと思って始めたのがきっかけです。子どものころはおもちゃの剣を振り回すのが好きでそういうのが性に合ってて楽しくやることができました。

■フェンシングに向いている運動能力とは

フェンシングは剣を突く瞬発系の動きもあるし、常に動いていたりするので持久系の要素も必要になります。それとスポーツは何でもそうですけど「積極的」「負けず嫌い」それに「その競技が好き」こういった性格の子はだいたい強いですね。
そしてメダルを取るのに必要なことは、常に競技の特性を理解して、客観的に判断して、そうやって突き詰めていって勝つということにつながっていくと思っています。ただ漠然と練習して多くの時間を割いて練習して「頑張りました」だけじゃダメだと思うんです。どうすれば勝てるのかということを常に考えて練習することが大事だと思います。

■フェンシングの楽しさは

剣道と違って形(かた)がないんですよ。ある程度こうしなさいという基本はあるんですけど、だいたいは個性になってくるんですね。今回の男子フルーレの4人にはそれぞれ構えが違うし、試合の展開の仕方も違うんですよ。そういったところを見るとまた違ったフェンシングの楽しさが見えてくるんじゃないかなと思います。僕は太田選手みたいに相手の背中を剣で突く「振り込み」という技ができる華やかな選手ではなく、どんな技でも1点は1点なので、地味でも着実にポイントを重ねていくスタイルでやっています。

■これから普及活動にも取り組んでいくということですが

そうですね。フェンシングはまだまだマイナー競技なのでとにかくフェンシングを知ってもらうということが一番だと思っています。その中で北京五輪で銀メダルだった太田選手は「太田雄貴杯」という小学生を対象としたすごく大きなフェンシング大会を作りました。
僕は地域の方々と近いアスリートでありたいと思っているので、みなさんにフェンシングの良さを知ってもらうために地域で教室を開き、指導法を体系化して誰に教わってもしっかりとした技術を学べるようなフェンシング教室を作って子どもたちに広めたいと思っています。

■メッセージ

スポーツを通じた人との出会いというのがありまして、強くなれば他の競技の人たちと関わることができたり、深い話を聞けたりするので、子どもたちには様々な人と出会って自分の考えを話したり人の考えを聞いて自分の見識を広げてほしいなと思っています。

三宅諒選手三宅 諒(みやけ りょう)
1990年12月24日生まれ
慶應義塾大学文学部在学
17歳以下の世界選手権のフルーレ個人で優勝。2012年アジア選手権大会で3位。ロンドンオリンピックでは団体で太田雄貴、千田健太、淡路卓とともに準優勝し、銀メダルを獲得した。

欠端選手と三宅選手のインタビュー全編はハマスポ.comに掲載しています

横浜市スポーツ栄誉賞

ロンドンオリンピック・パラリンピックでメダルを獲得した横浜市ゆかりの11選手に横浜市から「横浜市スポーツ栄誉賞」が贈呈されました。(敬称略)

 内村 航平(体操男子個人総合)
  欠端 瑛子(ゴールボール)

  山室 光史(体操男子団体総合)
  三宅  諒(フェンシング男子フルーレ団体)

 立石  諒(競泳男子200m平泳ぎ)
  松本隆太郎(レスリング男子グレコローマン60kg級)
  早川  漣(アーチェリー女子団体)

立石諒選手(中央)、三宅諒選手(右)の贈呈式の様子
立石諒選手(中央)、三宅諒選手(右)の贈呈式の様子

パラリンピックで金メダル! 欠端瑛子選手にインタビュー

■ゴールボールを始めたきっかけ

欠端瑛子選手小学校や中学校の時は体育が嫌いでした。好きなのはマット運動と跳び箱ぐらいで、球技とかは本当に嫌いでした。生まれつき視力が弱かったので、向かってくるボールが目の前で急に視界に現れてビックリしてよけたりしていました。父親や兄と公園で軽くキャッチボールはしていたのですが、ジャングルジムなどの遊具で遊ぶ方が好きでしたね。高校から盲学校に行ったんですけど、それまではゴールボールを知りませんでした。体育の授業でやりましたが、目隠しをして速くて重いボールを体全体で防いだりするのが最初は怖くてできませんでした。でも2年生の時に友達が入っていたゴールボールのチームに人数が足りないからと誘われて参加したのですが、実際にやってみたら「あ、こんなもんか」と思って意外と楽しくできてそこからハマりました。

■ロンドンパラリンピック前

ロンドンへは初めから「金メダルを取ろう」という気持ちで挑んでいました。チーム内でも今までコミュニケーションや自分の気持ちを伝えていくということで何回もミーティングをしていたし、コーチと選手間の信頼関係を築くために合宿中やパラリンピックの期間中でも報告や連絡を密にするようにしていたので雰囲気はすごく良かったです。試合を勝ち進んでいくごとに「いけるんじゃないか。次の中国戦(決勝)は絶対に倒すぞ」という感じで雰囲気はさらに高まっていて、決勝戦はこの勢いでいけば必ず勝てると思っていました。

■金メダルを獲得!

試合終了のブザーがなった瞬間はすごくうれしさがこみあげてきて、みんなで抱き合ってうれし泣きしたり観客に気持ちを込めてお礼をしたりしました。金メダルを取れたのはチームで心を一つにできたことだと思いますし、スタッフやコーチの方々が他のチームの特徴などを分析して作戦を練ってくれるなど、コーチ、スタッフ、選手全員で勝ち取った金メダルでした。
パラリンピックから帰ってきてメディアの方に取り上げてもらえるようになってゴールボールの知名度は上がったなと感じています。学校でもそうなんですけど「ゴールボールってなんだろう」「やってみたい」という人がたくさん増えてうれしく思いますね。
女子の大会でちょっとした体験会をやったんですけどそこでもたくさんの人が来てくれて嬉しかったです。最初は知名度が低かったので金メダルを持って帰ってきたことでこんなに広がるのはうれしいなと思いました。

欠端瑛子選手欠端 瑛子(かけはた えいこ)
1993年2月19日生まれ
横浜市金沢区出身
横浜美術大学在学
父親は元プロ野球選手で横浜ベイスターズに所属していた欠端光則さん

オリンピックで銀メダル! 三宅諒選手にインタビュー

■フェンシングを始めたきっかけ

三宅諒選手小学校1年生の時にスイミングスクールに通っていたんですけれども背泳ぎができなくて違う競技をしたかったんですよ。その時に地元のカルチャースクールの掲示板のなかにフェンシングの写真があってこれやりたいと思って始めたのがきっかけです。子どものころはおもちゃの剣を振り回すのが好きでそういうのが性に合ってて楽しくやることができました。

■フェンシングに向いている運動能力とは

フェンシングは剣を突く瞬発系の動きもあるし、常に動いていたりするので持久系の要素も必要になります。それとスポーツは何でもそうですけど「積極的」「負けず嫌い」それに「その競技が好き」こういった性格の子はだいたい強いですね。
そしてメダルを取るのに必要なことは、常に競技の特性を理解して、客観的に判断して、そうやって突き詰めていって勝つということにつながっていくと思っています。ただ漠然と練習して多くの時間を割いて練習して「頑張りました」だけじゃダメだと思うんです。どうすれば勝てるのかということを常に考えて練習することが大事だと思います。

■フェンシングの楽しさは

剣道と違って形(かた)がないんですよ。ある程度こうしなさいという基本はあるんですけど、だいたいは個性になってくるんですね。今回の男子フルーレの4人にはそれぞれ構えが違うし、試合の展開の仕方も違うんですよ。そういったところを見るとまた違ったフェンシングの楽しさが見えてくるんじゃないかなと思います。僕は太田選手みたいに相手の背中を剣で突く「振り込み」という技ができる華やかな選手ではなく、どんな技でも1点は1点なので、地味でも着実にポイントを重ねていくスタイルでやっています。

■これから普及活動にも取り組んでいくということですが

そうですね。フェンシングはまだまだマイナー競技なのでとにかくフェンシングを知ってもらうということが一番だと思っています。その中で北京五輪で銀メダルだった太田選手は「太田雄貴杯」という小学生を対象としたすごく大きなフェンシング大会を作りました。
僕は地域の方々と近いアスリートでありたいと思っているので、みなさんにフェンシングの良さを知ってもらうために地域で教室を開き、指導法を体系化して誰に教わってもしっかりとした技術を学べるようなフェンシング教室を作って子どもたちに広めたいと思っています。

■メッセージ

スポーツを通じた人との出会いというのがありまして、強くなれば他の競技の人たちと関わることができたり、深い話を聞けたりするので、子どもたちには様々な人と出会って自分の考えを話したり人の考えを聞いて自分の見識を広げてほしいなと思っています。

三宅諒選手三宅 諒(みやけ りょう)
1990年12月24日生まれ
慶應義塾大学文学部在学
17歳以下の世界選手権のフルーレ個人で優勝。2012年アジア選手権大会で3位。ロンドンオリンピックでは団体で太田雄貴、千田健太、淡路卓とともに準優勝し、銀メダルを獲得した。

欠端選手と三宅選手のインタビュー全編はハマスポ.comに掲載しています