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SPORTSよこはまVol.11:特集(1/3)

特集 最後の横浜国際女子駅伝

 横浜に冬の終わりと春の訪れを告げる恒例のスポーツイベント、横浜国際女子駅伝。20年以上の歴史の中で、横浜の観光スポットをバックに多くの有名女性ランナー達が襷を繋ぎました。近年の女子長距離・マラソン競技のめざましい発展を背景に、この横浜国際女子駅伝は今年2009年の第27回大会をもって最後となることが決まりました。ここでは大会の歴史や思い出を振り返り、各区間の見所もご紹介します。最後の横浜国際女子駅伝に臨む選手達に大きな声援を送りましょう。

取材協力/横浜国際女子駅伝事務局  TEL. 03-3222-2887(直通)
横浜市陸上競技協会 TEL. 090-7185-2328(田辺さん)  http://hamariku.jp

横浜国際女子駅伝競走FINAL 大会要項

日時
平成21年2月22日(日) 12:10スタート
コース
みなとみらい21「横浜赤レンガ倉庫」発着(コース詳細はこちらをご覧ください)
横浜市内42.195km駅伝コース
赤レンガ倉庫〜横浜税関前〜山下公園〜小港橋〜本牧原〜間門〜杉田〜鳥見塚〜
富岡総合公園〜鳥浜〜並木北〜幸浦〜八景島シーパラダイス(折り返し)〜鳥浜〜
富岡総合公園〜鳥見塚〜杉田〜間門〜本牧宮原〜小港橋〜山下公園〜横浜税関前〜
赤レンガ倉庫
 [第 1 区] 5km 赤レンガ倉庫 ⇒ 本牧原
 [第 2 区] 10km 本牧原 ⇒ 富岡総合公園
 [第 3 区] 6km 富岡総合公園 ⇒ 八景島シーパラダイス(折り返し地点)
 [第 4 区] 6km 八景島シーパラダイス ⇒ 富岡総合公園
 [第 5 区] 10km 富岡総合公園 ⇒ 本牧宮原
 [第 6 区] 5.195km 本牧宮原 ⇒ 赤レンガ倉庫
主催 
財団法人日本陸上競技連盟、日本テレビ放送網株式会社、読売新聞社、報知新聞社
主管 
神奈川陸上競技協会

 

寄稿 「横浜国際女子駅伝への想い」

スポーツジャーナリスト 増田 明美さん

増田明美さん写真  麗らかな日和の横浜、春嵐の横浜、雨の横浜、雪の横浜と、二十七回の歴史を重ねてきた横浜国際女子駅伝は様々な表情を見せてくれました。赤レンガ倉庫、山下公園、本牧という美しい人気スポットを通るコースも女性達の舞台に相応しい。この大会が二十七回を最後に幕を下ろすことに寂しさがこみ上げてきます。
  私は84年の第2回大会に出場。雪の横浜を走りました。ほっぺを赤く染めて走る、二十歳のおかっぱ頭の私の映像は、千葉の実家で父が大切に保管しています。あの時はレースのこと以上に、選手村のホテルで出会った海外の選手達の雰囲気に驚いたものです。イギリスやソ連(当時)の選手達は結婚している人が多く、その中にはお子さんを持つママさんランナーもいました。彼女達がホテル内の選手サロンで見せる表情は、レース中とは全く違う穏やかなもの。夫や子供の写真を見せ合いながら談笑する姿に、心豊かに生きる生活者の余裕が感じられるのでした。当時陸上一筋だった私にとってはまるで別世界にいる人のようで、近づくことが出来ず、遠くから見つめていたものです。今でこそ日本でも赤羽有紀子さんのようなママさんランナーが第一線で活躍し、五輪にも出場する時代となりましたが、当時は結婚している人が国際舞台で走り続けることは想像もつかなかったのです。
  その後の大会ではクリスチャンセン選手(ノルウェー)やデッカー選手(アメリカ)などという五輪で話題となった選手も招かれ日本選手達が世界の風に触れる最高の舞台となりました。そして93年以降、私は解説者としてこの大会と関わってきています。五輪メダリストのロシアのエゴロワ選手やエチオピアのロバ選手なども出場。日本選手達が前日のパーティーで積極的に交流を深める姿を頼もしい気持ちで見つめていました。また、08年には開会式で小林祐梨子さんが自ら志願し選手宣誓を行い、各国の選手達の前で堂々と英語でスピーチを。その姿を見て、時代と共に成長してきた日本選手達の国際化にも目を細めました。
  北京五輪女子マラソンで金メダルに耀いたトメスク(現姓・ディタ)選手(ルーマニア)や銀メダリストのヌデレバ選手(ケニア)をはじめ、長距離種目で活躍した多くの選手達がこの横浜を走っています。同時に北京に出場した日本代表選手は全員が横浜を経験しています。「国際都市よこはま」に運ばれてきた世界の風が、日本の選手達を逞しくしてくれたのだと感じます。

増田 明美(ますだ あけみ) 
スポーツジャーナリスト・大阪芸術大学教授
1964年、千葉県いすみ市生まれ。成田高校在学中、長距離種目で次々に日本記録を樹立する。1984年のロス五輪に出場。92年に引退するまでの13年間に日本最高記録12回、世界最高記録2回更新という記録を残す。現在はスポーツジャーナリストとして活躍中。2007年7月には初の小説「カゼヲキル」(講談社刊)を発表。文部科学省中央教育審議会委員、厚生労働省健康大使。

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特集 最後の横浜国際女子駅伝

 横浜に冬の終わりと春の訪れを告げる恒例のスポーツイベント、横浜国際女子駅伝。20年以上の歴史の中で、横浜の観光スポットをバックに多くの有名女性ランナー達が襷を繋ぎました。近年の女子長距離・マラソン競技のめざましい発展を背景に、この横浜国際女子駅伝は今年2009年の第27回大会をもって最後となることが決まりました。ここでは大会の歴史や思い出を振り返り、各区間の見所もご紹介します。最後の横浜国際女子駅伝に臨む選手達に大きな声援を送りましょう。

取材協力/横浜国際女子駅伝事務局  TEL. 03-3222-2887(直通)
横浜市陸上競技協会 TEL. 090-7185-2328(田辺さん)  http://hamariku.jp

横浜国際女子駅伝競走FINAL 大会要項

日時
平成21年2月22日(日) 12:10スタート
コース
みなとみらい21「横浜赤レンガ倉庫」発着(コース詳細はこちらをご覧ください)
横浜市内42.195km駅伝コース
赤レンガ倉庫〜横浜税関前〜山下公園〜小港橋〜本牧原〜間門〜杉田〜鳥見塚〜
富岡総合公園〜鳥浜〜並木北〜幸浦〜八景島シーパラダイス(折り返し)〜鳥浜〜
富岡総合公園〜鳥見塚〜杉田〜間門〜本牧宮原〜小港橋〜山下公園〜横浜税関前〜
赤レンガ倉庫
 [第 1 区] 5km 赤レンガ倉庫 ⇒ 本牧原
 [第 2 区] 10km 本牧原 ⇒ 富岡総合公園
 [第 3 区] 6km 富岡総合公園 ⇒ 八景島シーパラダイス(折り返し地点)
 [第 4 区] 6km 八景島シーパラダイス ⇒ 富岡総合公園
 [第 5 区] 10km 富岡総合公園 ⇒ 本牧宮原
 [第 6 区] 5.195km 本牧宮原 ⇒ 赤レンガ倉庫
主催 
財団法人日本陸上競技連盟、日本テレビ放送網株式会社、読売新聞社、報知新聞社
主管 
神奈川陸上競技協会

 

寄稿 「横浜国際女子駅伝への想い」

スポーツジャーナリスト 増田 明美さん

増田明美さん写真  麗らかな日和の横浜、春嵐の横浜、雨の横浜、雪の横浜と、二十七回の歴史を重ねてきた横浜国際女子駅伝は様々な表情を見せてくれました。赤レンガ倉庫、山下公園、本牧という美しい人気スポットを通るコースも女性達の舞台に相応しい。この大会が二十七回を最後に幕を下ろすことに寂しさがこみ上げてきます。
  私は84年の第2回大会に出場。雪の横浜を走りました。ほっぺを赤く染めて走る、二十歳のおかっぱ頭の私の映像は、千葉の実家で父が大切に保管しています。あの時はレースのこと以上に、選手村のホテルで出会った海外の選手達の雰囲気に驚いたものです。イギリスやソ連(当時)の選手達は結婚している人が多く、その中にはお子さんを持つママさんランナーもいました。彼女達がホテル内の選手サロンで見せる表情は、レース中とは全く違う穏やかなもの。夫や子供の写真を見せ合いながら談笑する姿に、心豊かに生きる生活者の余裕が感じられるのでした。当時陸上一筋だった私にとってはまるで別世界にいる人のようで、近づくことが出来ず、遠くから見つめていたものです。今でこそ日本でも赤羽有紀子さんのようなママさんランナーが第一線で活躍し、五輪にも出場する時代となりましたが、当時は結婚している人が国際舞台で走り続けることは想像もつかなかったのです。
  その後の大会ではクリスチャンセン選手(ノルウェー)やデッカー選手(アメリカ)などという五輪で話題となった選手も招かれ日本選手達が世界の風に触れる最高の舞台となりました。そして93年以降、私は解説者としてこの大会と関わってきています。五輪メダリストのロシアのエゴロワ選手やエチオピアのロバ選手なども出場。日本選手達が前日のパーティーで積極的に交流を深める姿を頼もしい気持ちで見つめていました。また、08年には開会式で小林祐梨子さんが自ら志願し選手宣誓を行い、各国の選手達の前で堂々と英語でスピーチを。その姿を見て、時代と共に成長してきた日本選手達の国際化にも目を細めました。
  北京五輪女子マラソンで金メダルに耀いたトメスク(現姓・ディタ)選手(ルーマニア)や銀メダリストのヌデレバ選手(ケニア)をはじめ、長距離種目で活躍した多くの選手達がこの横浜を走っています。同時に北京に出場した日本代表選手は全員が横浜を経験しています。「国際都市よこはま」に運ばれてきた世界の風が、日本の選手達を逞しくしてくれたのだと感じます。

増田 明美(ますだ あけみ) 
スポーツジャーナリスト・大阪芸術大学教授
1964年、千葉県いすみ市生まれ。成田高校在学中、長距離種目で次々に日本記録を樹立する。1984年のロス五輪に出場。92年に引退するまでの13年間に日本最高記録12回、世界最高記録2回更新という記録を残す。現在はスポーツジャーナリストとして活躍中。2007年7月には初の小説「カゼヲキル」(講談社刊)を発表。文部科学省中央教育審議会委員、厚生労働省健康大使。

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