SPORTSよこはま
今年2007年から団塊の世代が60歳を迎え、100万人以上の定年退職が見込まれています。それに合わせて定年後の過ごし方について雑誌が続々と創刊され、シニア層向けの商品もたくさん開発されています。
いつかは誰にでも訪れる「第二の人生」、みなさんはどのような展望を持っていますか。
新生「SPORTSよこはま」では、スポーツと何らかのかかわりを持ちながら、前向きに毎日を過ごしている人たちを紹介します。みなさんの話しをヒントに、ぜひ、いきいき人生を学びとり、実現させましょう。
テニス暦は45年。2005年横浜市テニス協会「横浜市民マスターズ大会」で女子の最高年齢の表彰を受ける。過去のテニス公式試合では準優勝の実績を持ち、現在は、本牧市民公園テニスコートで毎週テニスを楽しんでいる。
スタートはテニスクラブ
テニス暦45年ということですが、テニスを始めたきっかけは?
以前はスキーに夢中になっていたんです。でも、スキーは冬だけでしょ。夏場はヒマになっちゃうんで、何か出来ないか?と思いついたのがテニスなんです。
当時のテニスクラブは、誰も教えてくれないんです。だから、下手だと誰も打ってくれないので自分で頑張るしかなかったのです。
テニスの試合経験は?
初めて出場したシングルスで、あれよあれよと云う間に決勝戦迄行ってしまいました。私のテニスのプレースタイルはひたすらつなぐタイプで、相手に嫌がられました。子どもの頃から足が速かったので、ボールに追いつく事には自信がありました。
健康であることのありがたさ
テニスを長く続けるコツは?
健康だったからでしょうか。それは本人の努力とかではなく親から貰ったものと感謝しています。私も昨年大きな病気をしましたが、本当に早期発見で驚くほど早くテニスにも復帰できた。ラッキーとしか言いようがない。早めに病気と向き合う勇気がとても大切だと思います。
あとは、ケガや病気の時はしっかり休む。無理はしない。
慌ててテニスコートに復帰しても後から響いてくるから。
あまり悩まず、楽しく過ごすことも健康の秘訣じゃないでしょうか。
アイススケートを始めたのは二人とも40歳を過ぎてから。それまで運動らしい運動はほとんど何もしていなかったという。現在はリンクが空いていれば毎日のように練習に励み、マスターズや三笠宮杯などの競技会にも毎年出場している。
チャレンジのきっかけ
アイススケートを始めたきっかけは何ですか。
雅子さん(以下敬称略) 娘の友達のお母さんに誘われて、自宅近くのスケート場の貸切利用に参加したのが始まり。
誠さん(以下敬称略) まったく興味がなかったのですが、実際スケート場に行ってみて、スピンやジャンプを練習している人たちを見て、自分でもやってみたくなりました…。自分も2回転ぐらいすぐに跳べるようになるだろうって、簡単に考えていました(笑)。
それでレッスンを受け始めたのですか。
誠 ぼくは会社帰りに毎日のようにスケート場に通いました。シングル(フリー)の個人レッスンを受けて、がむしゃらに練習を始めました。
アイスダンスに挑戦したのは…
アイスダンスはいつから?
雅子 23年ほど前から。嫁業、母親業が一段落して、私もレッスンに参加できるようになって、「せっかく夫婦でアイススケートをやっているのなら、ダンスに挑戦してみたら」と先生に勧められて始めました。
誠 ぼくは今もシングルと掛け持ちでやっているけれど、アイスダンスでは男性は女性をリードして、しかも女性を目立たせるように滑らなくてはならないので、すごく難しい。でも、二人でお互い「つっかえ棒」になって、補いつつ続けています。
アイスダンスを続けてきてよかったと思うことは?
雅子 私はこの数年、腰を骨折したり、硬膜下血腫で倒れたり大変なことばかりでしたが、スケートがあって、先生や仲間が待っていてくれたので、「早く治してリンクに戻るぞ」とがんばれた気がします。
誠 年に数回競技会に参加していますが、衣装をつけてみんなの観ている前で演技する緊張感がたまらない。いい刺激になっていると思います。
自分たちなりのスケートを目指して
これから第二の人生を迎える人にアドバイスをお願いします。
雅子 健康で長生きするためにも何かスポーツを楽しむといいと思います。スケートは細いエッジで体重を支えバランスをとって演技をするので、足の先から頭まで刺激があり、お勧めです。
誠 自分たちのペースで自分たちなりの目標を目指せばいいと思います。
今年2007年から団塊の世代が60歳を迎え、100万人以上の定年退職が見込まれています。それに合わせて定年後の過ごし方について雑誌が続々と創刊され、シニア層向けの商品もたくさん開発されています。
いつかは誰にでも訪れる「第二の人生」、みなさんはどのような展望を持っていますか。
新生「SPORTSよこはま」では、スポーツと何らかのかかわりを持ちながら、前向きに毎日を過ごしている人たちを紹介します。みなさんの話しをヒントに、ぜひ、いきいき人生を学びとり、実現させましょう。
テニス暦は45年。2005年横浜市テニス協会「横浜市民マスターズ大会」で女子の最高年齢の表彰を受ける。過去のテニス公式試合では準優勝の実績を持ち、現在は、本牧市民公園テニスコートで毎週テニスを楽しんでいる。
スタートはテニスクラブ
テニス暦45年ということですが、テニスを始めたきっかけは?
以前はスキーに夢中になっていたんです。でも、スキーは冬だけでしょ。夏場はヒマになっちゃうんで、何か出来ないか?と思いついたのがテニスなんです。
当時のテニスクラブは、誰も教えてくれないんです。だから、下手だと誰も打ってくれないので自分で頑張るしかなかったのです。
テニスの試合経験は?
初めて出場したシングルスで、あれよあれよと云う間に決勝戦迄行ってしまいました。私のテニスのプレースタイルはひたすらつなぐタイプで、相手に嫌がられました。子どもの頃から足が速かったので、ボールに追いつく事には自信がありました。
健康であることのありがたさ
テニスを長く続けるコツは?
健康だったからでしょうか。それは本人の努力とかではなく親から貰ったものと感謝しています。私も昨年大きな病気をしましたが、本当に早期発見で驚くほど早くテニスにも復帰できた。ラッキーとしか言いようがない。早めに病気と向き合う勇気がとても大切だと思います。
あとは、ケガや病気の時はしっかり休む。無理はしない。
慌ててテニスコートに復帰しても後から響いてくるから。
あまり悩まず、楽しく過ごすことも健康の秘訣じゃないでしょうか。
アイススケートを始めたのは二人とも40歳を過ぎてから。それまで運動らしい運動はほとんど何もしていなかったという。現在はリンクが空いていれば毎日のように練習に励み、マスターズや三笠宮杯などの競技会にも毎年出場している。
チャレンジのきっかけ
アイススケートを始めたきっかけは何ですか。
雅子さん(以下敬称略) 娘の友達のお母さんに誘われて、自宅近くのスケート場の貸切利用に参加したのが始まり。
誠さん(以下敬称略) まったく興味がなかったのですが、実際スケート場に行ってみて、スピンやジャンプを練習している人たちを見て、自分でもやってみたくなりました…。自分も2回転ぐらいすぐに跳べるようになるだろうって、簡単に考えていました(笑)。
それでレッスンを受け始めたのですか。
誠 ぼくは会社帰りに毎日のようにスケート場に通いました。シングル(フリー)の個人レッスンを受けて、がむしゃらに練習を始めました。
アイスダンスに挑戦したのは…
アイスダンスはいつから?
雅子 23年ほど前から。嫁業、母親業が一段落して、私もレッスンに参加できるようになって、「せっかく夫婦でアイススケートをやっているのなら、ダンスに挑戦してみたら」と先生に勧められて始めました。
誠 ぼくは今もシングルと掛け持ちでやっているけれど、アイスダンスでは男性は女性をリードして、しかも女性を目立たせるように滑らなくてはならないので、すごく難しい。でも、二人でお互い「つっかえ棒」になって、補いつつ続けています。
アイスダンスを続けてきてよかったと思うことは?
雅子 私はこの数年、腰を骨折したり、硬膜下血腫で倒れたり大変なことばかりでしたが、スケートがあって、先生や仲間が待っていてくれたので、「早く治してリンクに戻るぞ」とがんばれた気がします。
誠 年に数回競技会に参加していますが、衣装をつけてみんなの観ている前で演技する緊張感がたまらない。いい刺激になっていると思います。
自分たちなりのスケートを目指して
これから第二の人生を迎える人にアドバイスをお願いします。
雅子 健康で長生きするためにも何かスポーツを楽しむといいと思います。スケートは細いエッジで体重を支えバランスをとって演技をするので、足の先から頭まで刺激があり、お勧めです。
誠 自分たちのペースで自分たちなりの目標を目指せばいいと思います。