2002年6月から2012年6月、横浜。2つの団体の10年後
by :スポーツ情報センター・吉山博之
2002年6月30日、2002FIFAワールドカップ決勝戦が横浜の地で開催されてから10年。
そのワールドカップ横浜開催に向けて、横浜市で募集が行われ、結成された2つの団体があります。
「市民ボランティア団体」と「ダンスチーム」。
国内外から訪れる大会関係者や観客などのための案内や清掃などを行った「市民ボランティア団体」。
W杯開催に併せて、横浜で行われる各種イベントを盛り上げるために広報よこはまで募集された「はまっこダンサーズ」。
それぞれの団体は、ワールドカップ終了とともに活動が終了しましたが、それぞれの思いはさらに強まりました。
ボランティア団体は、大会で得た経験を新たなボランティアに活かしていくことで横浜の発展に寄与するため、新たに「よこはま2002」という名称で活動を続けています。
横浜市体育協会主催事業で、毎年ゴールデンウィーク恒例のウォーキングイベント「ヨコハマ・ワールド・ウォーク」などをはじめ、毎年数多くのイベント等のボランティアとして活躍をしています。
はまっこダンサーズは、ダンスを続けたいという当時のメンバーの想いを、指導を行っていたHANAエンタープライズが受け、名称そのままに再結成されました。
その2つの団体が、6月30日・7月1日の両日、ワールドカップ10周年を記念するイベントを行いました。
【2012年6月30日(土)よこはま2002】
この日、第10回の定期総会を開催した「よこはま2002」は、10周年の記念ということで、特別講演を実施。
決勝戦開催時、横浜国際総合競技場(現・日産スタジアム)の場長だった西田善夫さんが、2002年ワールドカップ決勝戦を迎えるまでの芝生整備の苦労話など、当時の様子を振り返りました。
ワールドカップの前年、2001年に開催されたコンフェデレーションズカップ準決勝「日本代表vsオーストラリア代表」戦。試合開始直後に降り出した時間48mmの豪雨の中、試合は1-0で日本代表が勝利。VIP席にいた西田善夫場長は、その場で大勢の人から握手を求められましたが、それは「豪雨に耐えた芝生への賛辞」だったそうです。FIFAブラッター会長からも最高の賛辞をいただいたといいます。
FKで唯一の得点を決めた中田英寿選手(当時)が、試合直後のテレビインタビューで答えた「雨で霞んでいたが、ボールは普通に転がっていた」と、スポーツライターの金子達仁氏が翌日の新聞紙上で書いた「完成当初は、選手から不満が聞かれたピッチを世界屈指レベルまでにした関係者に賛辞を贈りたい」という2つのコメントにより、それまで苦労していた横浜国際総合競技場の芝生に対する評価が大きく変わった時のお話がとても印象的でした。
【西田善夫氏の話を聞く、よこはま2002の方々】
【最後は、当時の横浜市の関係者なども交えて、全員で記念撮影】
【2012年7月1日(日)はまっこダンサーズ】
この日、日産スタジアムで開催された2002FIFAワールドカップ日本開催10周年記念イベントのステージに、はまっこダンサーズ・HANA!の特別プロジェクトとして出演。
…このイベントには、ボランティアで上記「よこはま2002」の方々も従事しておりました。
今回は、10周年の記念イベントということで、当時のはまっこダンサーズのメンバーも加わってのパフォーマンスとなりました。
【当時のメンバーも笑顔で踊ります】
【COOLにCUTEに。はまっこダンサーズ・スタジオHANA!特別プロジェクト】
【2002年当時のメンバーと指導者・関係者のみなさん、最高の笑顔です】
ワールドカップ決勝が横浜で開催されて10年。
この2つの団体の活動を通して、「サッカーの祭典」が残したものは、サッカーだけでなく、ボランティアやダンスなど、サッカーとは違う形のものでも、その時の意志が継続されてつながっていることをあらためて感じることができました。