【北京五輪を振り返って(2)】 あきらめない気持ちでつかんだ銅メダル〜 北京五輪競泳女子背泳ぎ代表・中村礼子選手の市民祝賀会
by :スポーツ情報センター記者
「あきらめなければ、夢は叶う」ことを実現した人がいる。北京五輪競泳代表の中村礼子選手。女子200メートル背泳ぎの種目で、4年前のアテネ五輪に続く2大会連続の銅メダルを獲得。競泳女子で2大会連続でメダルを獲得したのは、1936年ベルリン五輪の金メダリスト、前畑秀子さん以来の快挙だ。
横浜市都筑区出身の中村選手は9月5日、横浜市役所を訪れ市民祝賀会に参加、中田宏横浜市長と対面した。現在東京スイミングセンターに所属している中村選手と共に、同じクラブの平井伯昌コーチも参加した。平井コーチは競泳男子平泳ぎで2冠を達成した北島康介選手も指導している。北京五輪を沸かせたコンビの登場に、詰め掛けた市民から歓声が上がった。
背泳ぎの女王は横浜出身!五輪2大会連続の銅メダリスト、中村礼子選手(左)
北京五輪でその手腕を遺憾なく発揮した平井伯昌コーチ(右)
この日の中村選手は黒のスーツに身を包み、落ち着いた佇まい。中田市長は「すごい力で泳ぎきっての銅メダル。普通の女性がどうしてこんなにパワーが出るのですか」と関心した様子。「本当に強い精神力と不断の努力の結果だと思います。私たちも中村さんの姿に何かを学び、生かしていきたい」と賛辞を送った。
スーツ姿もよく似合う中村選手。中田市長から祝福を受け笑顔を見せた
中村選手は大勢の市民の前で笑顔を見せ、「横浜市民の皆さんにたくさんの応援をいただいて感謝しています」と呼び掛けると、会場は拍手に包まれた。続いて挨拶に立った平井コーチは、銅メダル獲得に至るまでの「涙のエピソード」を披露した。
その涙とは…中村選手は最初の出場種目の100メートル決勝を6位で終え、悔しい結果に。実はそのレースの前日に北島選手が100メートル平泳ぎで世界新記録で優勝。平井コーチ自身がその影響を引きずり、中村選手のレースに集中できなかったそうだ。
翌日のミーティングで、中村選手は平井コーチの前で泣いた。「僕ももらい泣きしそうになった。絶対に200メートルは礼子にメダルを獲らせたいと思った」。平井コーチの強い決意のもと、迎えた200メートルの決勝。「レースを見ながら足がガクガクした」という初めての経験に襲われた平井コーチ。結果、見事に中村選手は銅メダルを獲得した。「本人の努力と人間的な成長によるところが大きい。自分の選手ながら頼もしいです」と、平井コーチは中村選手を見つめて目を細めた。
「絶対にメダルを獲らせたい」、平井コーチの強い思いに支えられた中村選手
さらに中村選手は横浜市から、横浜市長と財団法人横浜市体育協会会長連名の表彰を受けた。北京五輪代表では、金メダルを獲得したソフトボール日本代表の日立ソフトウェアの選手が、同じく受賞している。表彰式を終えた中村選手は平井コーチと共に、中田市長、山口宏市体育協会副会長との懇談に臨んだ。
懇談では旋風が起きたスピード社の水着騒動が話題に上がった。平井コーチは、「日本国内では(レーザー・レーサーを)着れば速くなる、というイメージ。しかしオリンピック決勝のような舞台では着ないと同じ土俵に上がれないという感じでしたね」と明かした。
1日2万キロ泳ぐ時もあるという厳しい練習の日々が一段落し、「今はほっとしている」と中村選手。早くも4年後のロンドン五輪の動向が注目されるが、「水泳を通じて、あきらめなければ夢は叶うということを子どもたちに伝えていきたいと、改めて強く思いました」と話し、「何をするにも覚悟を決めて、これからもしっかりと水泳に携わっていきたい」と力を込めた。
表彰を受けて記念撮影(左)
「アテネの銅メダルとデザインは変わりましたか?」と質問する中田市長(右)
「水泳とは自分を表現できる場所」。水泳に出会い、自らの努力で夢を叶えた中村選手。これからどんなメッセージを私たちに伝えてくれるのか楽しみに待ちたい。
中村選手の水泳に打ち込む姿は、たくさんの子どもたちに勇気を与えました!