2017世界パラトライアスロンシリーズ横浜大会優勝報告~土田和歌子選手~
平成29年6月19日(月)、日本人史上初となる夏季・冬季パラリンピック金メダリストの土田和歌子選手が、林文子横浜市長を訪問し、2017世界パラトライアスロンシリーズ横浜大会において、優勝したことを報告しました。
土田選手は、2017年5月13日(土)に開催した2017世界パラトライアスロンシリーズ横浜大会のエリートパラトライアスロン女子PTHCクラスにおいて、見事優勝を果たしました。
●2017世界トライアスロンシリーズ・パラトライアスロンシリーズ横浜大会とは
5月13日(土)にエリートの部、14日(日)に一般参加のエイジの部を開催。国内外から約1,700名の選手が、横浜の街を舞台に熱戦を繰り広げ、13日(土)は雨天にもかかわらず、2日間で30万人を超える観客が選手に熱い声援を送りました。
パラトライアスロンは2017年にシリーズ化され、世界3都市で開催し、横浜は第2戦となります。
まさに「トライアスロン・パラトライアスロンの街、横浜」として、夏の風物詩となっています。
林文子市長から歓迎のことば
「ようこそおいでくださいました。本当にお会いできて光栄です。そして優勝おめでとうごいます。
横浜市は、トライアスロン、パラトライアスロンの街横浜として、大会を大いに盛り上げているところです。
東京2020においても、ぜひ優勝していただきたいと思います。
今日は尊敬しており憧れの方にお会いできて、めずらしくあがっております。
今後もマラソンやトライアスロンは、横浜市の大切なスポーツとして、競技者の皆さまをご支援していきたいと思います」
山口宏公益財団法人横浜市体育協会会長
柏崎誠副市長
土田和歌子(つちだわかこ)選手
「トライアスロンは、以前から非常に興味がある大会でした。
しかし陸上競技を長きにわたり取り組んでいたので、なかなかトライアスロンへの挑戦が難しかったのですが、リオのパラリンピックが終わり、クロストレーニングの一環としてトライアスロンを始めました。
横浜大会は、2回目のトライアスロンのレースで、スタート前にゴーグルを付け忘れるくらい、非常に緊張しました。長年競技は行っているのですが、やはり違う競技への挑戦は、とても緊張します。
特にスイムは不安材料が多かったのですが、ここにいらっしゃる強化対策チームの指導をいただき、今回優勝ができました。
私は東京在住ですが、横浜はとても思い入れがある地で、海外の選手やスタッフから、この大会がとても素晴らしいものだということを聞く機会があり、興味を持ちました。皆さんのご尽力があっての大会だ、と感じました。
優勝は、多くのご声援をいただき、その声援に後押ししてもらった結果だと感じています。
非常に活力がある素晴らしい大会なので、来年も選手として挑戦したいと思います」
高橋慶樹(たかはしけいじゅ)氏(土田選手の配偶者で、コーチ)
「マラソンは15年ほど一緒にやっていますが、トライアスロンは初めての取り組みでした。
スイムは、私自身指導するまでの技術がないので、強化対策チームに非常にお世話になりました。スイム力向上の成果があっての、今大会優勝という結果だったと思います」
富川理充(とみかわまさみつ)氏
(公益社団法人日本トライアスロン連合(JTU)パラリンピック対策チームリーダー)
「最初、横浜の大会に出たいと聞いたとき、どんなレベルか分からなかったので、そんなに甘くないと思いました。
その中で、強化チームでスイムの練習を積み、2月の練習を視察した際に、間に合う、と感じました。
土田選手は注目されている選手なので、トライアスロンで失敗させられない、という思いがありました」
松山文人(まつやまあやと)氏
(公益社団法人日本トライアスロン連合(JTU)事業企画委員/パラリンピック対策チームマネージャー)
「横浜の前に出場したフィリピンの大会において、スイムでかなり曲がりました。
それから横浜大会までの間に、何回も何回も海に通いました。曲がらないために、6回に1回ヘッドアップで泳ぐ練習をしました。6回に1回はかなりの負担になりますが、実際の横浜大会では、しっかりまっすぐ泳げました。それが勝因につながったかな、と感じています。
海の練習でも、すごく根性があり、何度も何度も繰り返し練習しますし、納得いくまで反復する練習への取り組み方と集中力が、ものすごいものがある、と感じました」
来年もぜひ挑戦したいという土田選手に、林市長から、ぜひ連覇を狙ってください! と激励がありました。
土田和歌子選手プロフィール
生年月日1974年10月15日(42歳)
東京都生まれ八千代工業株式会社(埼玉県)所属
2017JTUパラトライアスロン女子強化S指定選手
■略歴
高校2年生の時に友人とドライブ中、交通事故に遭い車いす生活となる。
1993年アイススレッジの講習会に参加したことがきっかけで、日本で最初にアイススレッジスピードレース※を始める。
※アイススレッジスピードレース(Ice sledge racing)は、氷上においてそり(スレッジ)に乗りおこなわれる、障害者スポーツ。下肢などに機能障害のある選手のみを対象に座位で行うスピードスケート競技。
1998年長野冬季パラリンピックでは、1500mで自己の世界記録を更新し金メダルを獲得。
1999年陸上競技に転向。
2004年アテネ夏季パラリンピックでは5000mで金メダル、マラソンで銀メダルを獲得。
日本人史上初の夏・冬パラリンピック金メダリストとなる。その後も、北京・ロンドン・リオデジャネイロと、パラリンピックに4大会連続出場を果たす。ロンドンパラリンピックでは日本選手団主将を務める。
パラトライアスロンへの挑戦
2017年4月にフィリピンで開催された「ASTCパラトライアスロンアジア選手権」に初参戦して優勝し、5月の2017世界パラトライアスロンシリーズ横浜大会の出場権を得て、見事優勝しました。
【クラス分けについて】
選手の障害の程度が競技結果に及ぼす影響を最小化するために、その類型と度合いに応じて、6つのカテゴリーが設けられています。
横浜大会では、手で漕ぐタイプのハンドサイクルや競技用車いすを使用する選手が出場するPTHCクラスで、土田和歌子選手は見事優勝しました。