vol.87「第 96 回関東学生陸上競技対校選手権大会」
5月25日(木)から28日(日)に日産スタジアムで関東学生陸上競技対校選手権大会、通称「関東インカレ」が開催されました。東洋大学の桐生祥秀選手が100m、200mと2冠を達成し、100mでは9秒台が期待された学生の陸上競技大会です。残念ながら9秒台は出ませんでしたが今年も大変な盛り上がりでよい大会となりました。
特筆すべきは、女子の総合優勝24連覇中である筑波大学を、日本体育大学が阻止したことです。得点は同点でしたが、上位入賞の数で、日本体育大学が筑波大学を上回り、女子総合優勝が決まりました。
しかも、最終種目である4×400mリレーまで優勝争いはもつれていました。
4×400mリレー前までは、日本体育大学が2点差で筑波大学を追っていました。日本体育大学が勝つためには、筑波大学より2つ順位を上で、ゴールをしなければなりませんでした。
結果は、日本体育大学が大会新記録の1着で筑波大学は3着、総合得点が同点で、日本体育大学は上位入賞数が筑波大学を上回り、劇的な逆転勝利となり大会を大いに盛り上げてくれました。
さて、最近横浜の話題に触れていませんでしたので、この関東インカレ優勝者で、横浜出身の選手を探してみました。
いました、1名。女子3000m障害の東京農業大学、清水萌衣乃選手です。
清水選手は、横浜市南区の六ッ川中学校出身です。高校は逗子高校に進学しましたが、出身は横浜ですね。ちなみに2着に入った中央大学の丹羽七海選手も白鵬高校卒で横浜出身です。
清水選手は、昨年イタリアで開催された世界大学クロスカントリーにも出場し、見事2位に入賞しています。楽しみな選手ですね。
3000m障害は、1900年パリオリンピックから正式な種目として開催されていますが、女子には過酷な種目という理由で開催されていませんでした。
正式種目となったのは、2008年北京オリンピックからと遅いものでした。
3000m障害は、障害物競走ですからハードルのような障害があり、また水を張った水豪もあります。障害の高さは男子91.4センチ、女子は76.2センチです。女子の3000m障害が始まった時は、障害や水豪の高さが変動できるものにすべて変更しなければならず大変だったことを思い出します。
3000m障害は、ハードルのように110mHや100mH、400mHのように「H」ではなく「SC」と書きます。「SC」は、Steeple Chaceの頭文字をとったもので、Steepleとは「教会の尖塔」という意味です。Chaceは「獲物を追いかける」や「狩り」などの意味があります。
ですから、Steeple Chaceは、乗馬で遠くの「教会の尖塔」を目指して障害物を超えたり、狩りをしたりして競争するというものだったようです。
人による最初の障害物競走は、1838年イギリスで1マイル(1,609m)の距離の湿原を、6人のバーミンガム大学の医学生が競走したという記録が残っています。
また1950年には、オックスフォードのエクスター校の学生が、乗馬での障害物競走後に、この競争で落馬により失格した選手が「馬ではなく、自分たちの脚で走る障害物競争をしよう」と提案し、2マイル(3,218m)のコースによる障害物競争を企画して、レースを行ったという記録も残っています。
落馬した選手はよほど悔しかったのか、このレースでは優勝したそうです。レースは沼地や野原、小川の土手などがある過酷なコースだったらしく、沼地は膝まで埋まるくらいだったそうです。
このレースを機に、1850年代後半になるとイギリスの学校では、自然の障害物を使用したレースが盛んに行われるようになりました。
正式な障害物競争は、1864年のオックスフォード大学とケンブリッジ大学の対抗戦から始まったとされています。(参考:陸上競技のルーツをさぐる;岡尾恵市)
(写真)Bain Collection (LOC)より
Steeplechase race、Celtic Park、N.Y. / LC-USZ62-106479
3000m障害は、ケニアが圧倒的に強い種目で、男子では世界歴代10傑のうち8名がケニア国籍、あと1名もケニアからの国籍変更の選手です。
今年も8月に世界選手権がありますが、ケニア出身の選手が圧倒的な強さを見せることでしょう。
陸上競技は、これから6月に大阪で日本選手権があります。世界選手権の代表選考競技会となっています。東京農業大学の清水さんは、3000m障害にエントリーしています。頑張ってほしいですね。
1969年5月8日生まれ、横浜市南区出身。
元オリンピック陸上競技選手。横浜市立南高等学校から法政大学経済学部、富士通、筑波大学大学院で競技生活を送る。
現在は法政大学スポーツ健康学部教授 コーチ学(スポーツ心理学) 同大学陸上競技部監督 法政アスリート倶楽部代表 日本陸上競技連盟強化委員会ディレクター兼オリンピック強化コーチ(ハードル)。
2007年から日本陸上競技連盟強化委員会の男子短距離部長を務め、世界選手権(2007大阪、2009ベルリン、2011大邱、2015北京、2019ドーハ)、オリンピック(2008北京、2012ロンドン)に帯同。
また、2014年には日本陸上競技連盟の男子短距離部長へ復帰し2016リオデジャネイロオリンピックに帯同し、日本短距離男子チームの責任者として同行した。
1990年代を代表する陸上競技者として活躍。1996年のアトランタと2000年のシドニーオリンピックに出場、世界室内陸上競技選手権大会400mで銅メダルを獲得するなどの活躍を見せた。元400mハードル日本記録保持者。
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