vol.78「リオ五輪」
8月24日、リオデジャネイロから帰国しました。先月号に書きましたがオリンピックのメダル、獲ってきました。銀メダルです。狙ってはいたものの、本当に獲るとは…。いや、信じていましたけどね。
先月にも書いたようにオリンピックの話は、我々中にいる人間は発信することが限定されておりますので、また書ける範囲で書きたいと思います。
今回、私は陸上競技の男子短距離の日本代表コーチとしてリオデジャネイロ・オリンピックに参加してきました。ご存知の方も多いと思いますが、4×100mリレーで銀メダルを獲得しました。トラックでの銀メダルは1928年アムステルダム・オリンピック女子800mの人見絹江さん以来88年ぶりのことで、男子では史上最高となる歴史的快挙でした。
ゴール直後
表彰式
アメリカ・ニュージャージー州のプリンストン大学での合宿を終え、リオデジャネイロ入りした我々はそのまま選手村に入りました。選手村は新築分譲マンションで、日本チームはほかの競技団体も同じ棟に入居します。生活の拠点をリオデジャネイロに移し、いよいよ臨戦態勢に入ります。
個人では、100mで山縣亮太選手(セイコー)とケンブリッジ飛鳥選手(ドーム)が準決勝に進出、特に山縣選手は10秒05の自己新記録を達成しました。桐生祥秀選手(東洋大学)は惜しくも予選敗退でしたが走りは悪くありません。200m陣は出場3名、残念ながら全員予選敗退でした。しかし、内容は悪くありませんでした。飯塚翔太選手(ミズノ)は前半のレース展開に失敗してしまい力を残しての予選敗退、高瀬慧(富士通)選手は前半は良いレース運びをしていました。それぞれ本人たちにとっては満足のいく結果ではなかったと思いますが、私は彼らの走りからリレーはいけるかもという確信を持ちました。
リオデジャネイロ入りしてからリレーの合同でのバトン練習は一度だけ、それまでにやるべきことはやっています。あとは不安なところだけ再確認のバトンパスをします。
8月18日予選、日本は山縣-飯塚-桐生-ケンブリッジのメンバーで、ボルト選手を温存するものの9秒台の選手をずらりと並べたジャマイカに挑みました。結果はそのジャマイカを抑えて1着で決勝進出を決め、記録も37秒68のアジア新記録です。世界国別歴代記録だと、ジャマイカ、アメリカ、トリニダード・トバコに次ぐ世界第4位の記録です。通過記録は別組で1着となったアメリカに次いで2位での決勝進出です。ジャマイカが決勝ではボルト選手を投入することは確実で、決勝は厳しい戦いになることが予想されましたが、メダル圏内です。
しかし、メダル獲得はそう簡単ではありません。予選で温存したメンバーを変えてくるチームが、ジャマイカをはじめ、アメリカ、カナダ、イギリスなどのメダル圏内のライバルチームに予想されたからです。アメリカは100m銀メダリストのガトリン選手を投入、カナダも200m銀メダリストのデグラッセ選手、イギリスは200m4位のジェミリ選手を入れてきます。日本は予選と同じメンバーで臨みました。
決勝では少しだけ予選と作戦を変更し、攻めのレースをしました。少しバトンが危なかったのですが会心のレース。ジャマイカに次いで2着に入り銀メダルを獲得しました。記録は予選の記録を上回る37秒60のアジア新記録、世界国別歴代でもトリニダート・トバコを抜き、3位に上がりました。アメリカやカナダ、イギリスに先着したのは本当にすごいことで、まさに歴史的快挙といってよいと思います。選手たちはよく頑張ってくれました。少しでもこの快挙に携わることができて光栄に思います。
これは、走った選手の功績ではありますが、補欠の高瀬選手や藤光謙司選手(ゼンリン)、オリンピックの参加資格を獲得してくれた大瀬戸一馬選手(法政大学)、谷口耕太郎選手(中央大学)、それぞれのコーチ、医科学サポート、彼らの所属チームなどの協力や支援のおかげであり、そして歴代の4×100mリレー日本代表の勝利です。
2020年は地元東京でオリンピックが開催されます。銀メダルを獲得した我々に課せられた使命は、それ以上となるでしょう。プッ、プレッシャーにならぬよう、先を考えていこうと思います。どうなるかなぁ。
そう、最後になりましたが、以前にこのコラムでも紹介した競歩の横浜市出身、松永大介選手(東洋大学)が、20キロ競歩で7位に入賞しました。こちらも史上初の快挙です。まだこれからの選手、2020年が楽しみですね。
1969年5月8日生まれ、横浜市南区出身。
元オリンピック陸上競技選手。横浜市立南高等学校から法政大学経済学部、富士通、筑波大学大学院で競技生活を送る。
現在は法政大学スポーツ健康学部教授 コーチ学(スポーツ心理学) 同大学陸上競技部監督 法政アスリート倶楽部代表 日本陸上競技連盟強化委員会ディレクター兼オリンピック強化コーチ(ハードル)。
2007年から日本陸上競技連盟強化委員会の男子短距離部長を務め、世界選手権(2007大阪、2009ベルリン、2011大邱、2015北京、2019ドーハ)、オリンピック(2008北京、2012ロンドン)に帯同。
また、2014年には日本陸上競技連盟の男子短距離部長へ復帰し2016リオデジャネイロオリンピックに帯同し、日本短距離男子チームの責任者として同行した。
1990年代を代表する陸上競技者として活躍。1996年のアトランタと2000年のシドニーオリンピックに出場、世界室内陸上競技選手権大会400mで銅メダルを獲得するなどの活躍を見せた。元400mハードル日本記録保持者。
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