vol.66「北京世界陸上」
8月22日(土)から30日(日)に中国・北京で開催された、「第15回世界陸上競技選手権大会(世界陸上)」に行ってきました。私は、前回のロシア・モスクワ大会では解説者として大会に行ったのですが、今回は日本代表チームの男子短距離のコーチとして北京入りしました。北京ですので時差は1時間。テレビでご覧になられた方も多いと思います。
今回の日本チームの成績はメダル1(男子50km競歩銅メダル 谷井孝行選手)、入賞2(男子50km競歩4位 荒井広宙選手、女子マラソン7位 伊藤舞選手)で惨敗といってよいでしょう。また入賞はしませんでしたが、女子5000mで9着となった鈴木亜由子選手は自己ベストを更新し入賞まであとわずかであり、また女子4×400mリレーは日本記録を大幅に更新し、悪い中でも光る活躍もありました。
そのほかいくつか健闘した種目もありましたが、全体としては世界のレベルの高さに全くついていけなかったと言わざるを得ません。
開催国である中国は大健闘でした。メダル獲得は9個(金1、銀7、銅1)で、日本は中国との差を大きくあけられてしまった形となりました。
私は男子短距離の担当でしたが、入賞0に終わってしまいました。最低限でも決勝進出が求められる4×100mリレーでも予選敗退に終わってしまいました。
この期待された4×100mリレーは決勝常連国と自負していましたが、このような結果となって責任を痛感しています。
日本の4×100mリレーチームの予選敗退は、バトンパスワークのミスによるものと報道がありました。第3走者と第4走者のバトンパスワークにミスがあったのです。そのとおりなのですが、報道では「第4走者が早く出てしまい」とありましたが、それは誤りです。おそらく私の会見コメントから書かれたものと思いますが、正しく伝わっていなかったようなので少し訂正、説明を加えたいと思います。
ミスがあったのは第3走者長田選手と第4走者谷口選手のパスワークでした。バトンを受け取る走者(この時、谷口選手)は、第3走者が向かってくるとき、どこでスタートを切るかというところにマークをつけることが出来ます。報道では「早く出てしまい」とあり第4走者の谷口選手がこのマークよりも早くスタートしてしまって、第3走者が追いつかなかったことから、バトンゾーン(20m)を超えてしまうことを恐れて減速してしまったとしています。
しかし、谷口選手はマーク通りにスタートしていました。では、なぜ第3走者が追いつかなかったかというと、谷口選手の調子が良かったからなのです。谷口選手のスピードが非常に高かったので、本来のマークの位置でスタートしているのですが、第3走者が追いつかなかったのです。では、長田選手が遅かったのではというと、そうでもありません。
この谷口選手の調子の良さ、我々スタッフはわかっていました。それならば、レースの前にマークの位置を少し短くするように指示すべきだったのです。私が一言マークの位置を半足(約15センチ)でも短くするように指示していれば、今回のミスは防げたと思います。本当に悔やまれます。
あまり細かくは書けませんが、もう少し理由があります。こちらは内緒で。
このようなミスはもう2度としないようにしなければなりません。しかし、こうしたミスを経験することでバトンパスの精度も上がっていくのだと思います。ただ、世界陸上でやってはいけませんよね。反省しています。
また、走る順番やメンバーについて様々な憶測があると思いますが、このあたりも申し上げられないことが多々ありますのでご理解ください。
私たち日本代表選手やスタッフは、報道行為をすることは禁じられています。選手のTwitterなども個人的な内容に限定されています。だから、TwitterやFacebookに選手個人の書き込みが少ないのです。ですので、私もこのくらいにしておきます。
男子短距離にも少しは光がありました。それは200m走で3名が準決勝に進出したことです。そのうちサニブラウン選手は高校2年生で、早生まれなのでまだ16歳です。実力もさることながら、その堂々とした風格はシニア選手に劣りません。楽しみな選手が出てきました。
来年はリオ・オリンピックです。その先には2020年東京・オリンピックが待っています。今回の惨敗を正面から受け止め対策を練らねばなりません。今回の中国のような活躍ができるのでしょうか。私もその為に尽力したいと思います。
とにかく選手が活躍できるように少しでも貢献したいですね。
話は変わりますが、来年の3月13日(日)に開催される「横浜マラソン2016」のエントリーが、9月1日から始まりましたね。横浜市民枠もありますので公式ホームページをご覧になってくださいね。
1969年5月8日生まれ、横浜市南区出身。
元オリンピック陸上競技選手。横浜市立南高等学校から法政大学経済学部、富士通、筑波大学大学院で競技生活を送る。
現在は法政大学スポーツ健康学部教授 コーチ学(スポーツ心理学) 同大学陸上競技部監督 法政アスリート倶楽部代表 日本陸上競技連盟強化委員会ディレクター兼オリンピック強化コーチ(ハードル)。
2007年から日本陸上競技連盟強化委員会の男子短距離部長を務め、世界選手権(2007大阪、2009ベルリン、2011大邱、2015北京、2019ドーハ)、オリンピック(2008北京、2012ロンドン)に帯同。
また、2014年には日本陸上競技連盟の男子短距離部長へ復帰し2016リオデジャネイロオリンピックに帯同し、日本短距離男子チームの責任者として同行した。
1990年代を代表する陸上競技者として活躍。1996年のアトランタと2000年のシドニーオリンピックに出場、世界室内陸上競技選手権大会400mで銅メダルを獲得するなどの活躍を見せた。元400mハードル日本記録保持者。
ブログ
※タイトル・本文に記載の人名・団体名は、掲載当時のものであり、閲覧時と異なる場合があります。