vol.94「第94回東京箱根間往復大学駅伝競走」
ハマスポをご覧の皆様、あけましておめでとうございます。今年も1月2日、3日と東京箱根間往復大学駅伝競走、通称「箱根駅伝」が開催されました。私の正月は4日からです。
2日の往路優勝は東洋大学、3日復路優勝は青山学院大学で総合優勝も青山学院大学でした。青山学院大学は総合記録10時間57分39秒で2位東洋大学に5分近い差をつけ史上6校目の4連覇で4度目の優勝を果たしました。
連覇記録は中央大学の6連覇(1959~1964年)が最高で、5連覇が日本体育大学(1969~1973年)、4連覇が日本大学(1935~1938年)、順天堂大学(1986~1989年)、駒澤大学(2002~2005年)と続きます。
大学生は4年間で入れ替わりますから連覇することは大変なことだと思います。
私は法政大学の総監督として箱根に行ってきました。法政大学は往路5位、復路5位、総合6位という成績で2年連続のシード権を獲得しました。
うちの大学は出場回数78回と、中央大学(91回)、日本大学(87回)、早稲田大学(87回)についで4番目に多いのですが、総合優勝は一度もありません。最高位は3位です。
こんなに出場しているのに総合優勝していない大学はうちくらいです。少し恥ずかしい、、、。
今は出場20校の激戦ですから出場校が10校くらいだった時に一度くらい勝っていてほしかった。なんて不謹慎でしたね。すみません。
今年のうちの目標は7位入賞でした。下馬評ではシード落ちとか言われていましたが、下馬評通りか、初日2日は苦しい展開から始まりました。
1区なんと19位、2区で巻き返しをと思ったらエースが区間14位で15位にまでしか上げられず、続く3区は区間8位で盛り返したものの13位通過、そして4区は14位に後退と悪い流れで初日最終5区を迎えました。
5区は理工学部2年の青木涼真。シード獲得ラインの10位前後まで上がってくれれば御の字と箱根ゴールで選手を待っていました。
テレビではうちの大学はほとんど映らなかったので、様子が分からなかったのですが、たまに入ってくる情報で区間4位、とか区間2位で走っているとかを耳にします。遅れを取り戻すために速く突っ込みすぎているのではという心配でしかありません。
すると15キロを過ぎても区間3位で走っていました。ここまで来たらブレーキさえしなければ上位に食い込めます。「あれ、もしかして青木すごい?」と、疑念をいだきつつモニタを見つめますが注目されていないのか、全く映りません。
しかし、インターネットの情報では区間賞争いをしています。そして、往路ゴールは4位拓殖大学と1秒以内の胸の差でゴール。なんと9人抜きの快挙です。
さらに区間賞も獲得、おまけに区間新、往路を5位でフィニッシュしました。
まさか、山の神がうちにいたのか。法政大学がこの区間で区間賞を獲るのはなんと64年ぶりだそうです。誰も知らないって。
でももしかしたらあの先輩では、と思ったら大正解でした。1954年5区区間賞を獲られたのは山内二郎先輩です。
山内二郎先輩は、1954年第2回アジア大会10000mで銀メダルを獲得している方で、5000mの日本記録を樹立した経験もあります。山のぼりでは山内二郎先輩以来64年も獲れていなかったとは、、、。
さて、うちの大学はそこから完全に息を吹き返し、3日の復路も5位でまとめ総合6位で大手町ゴールを迎えました。
駅伝は前で展開していかないと、なかなか上にくることができなくなってしまいます。流れというものがあるのです。前で展開していれば力のない選手でも我慢することができるのです。
平地の区間はなかなか差がつかないものなのですが、山は違います。平気で軽く5~6分違ってきます。流れを取り戻すには十分です。
うちと全く逆の展開となってしまったのが地元神奈川大学でした。
神奈川大学は11月の全日本大学駅伝を制したこともあり、箱根駅伝では青山学院大、東海大とともに3強の一角として注目されていました。2日往路、2区エース鈴木健吾選手が苦戦したもののうまくまとめ3区、4区も健闘、5区に3位で襷を渡しました。
しかし、この5区で大ブレーキ、区間最下位に沈み、一気に15位に落ちてしまいました。区間賞を獲ったうちの選手とは9分30秒近くタイム差があります。
9分30秒ですと、3キロくらいの差となってしまいます。平地では歩いたりしない限り、こんなに差がつくことはありません。完全に流れを断ってしまいました。
復路も上位に来ることはなく総合13位、シード落ちしてしまいました。
怖いですね。でも、こういうことがあるから箱根駅伝は面白いのかもしれません。
うちの大学は6区山下りでも区間3位となり、山の区間だけでは総合1位でした。
山制覇!さすが大学が山の中にあるだけのことがありますね。自虐ネタ、失礼いたしました。
1969年5月8日生まれ、横浜市南区出身。
元オリンピック陸上競技選手。横浜市立南高等学校から法政大学経済学部、富士通、筑波大学大学院で競技生活を送る。
現在は法政大学スポーツ健康学部教授 コーチ学(スポーツ心理学) 同大学陸上競技部監督 法政アスリート倶楽部代表 日本陸上競技連盟強化委員会ディレクター兼オリンピック強化コーチ(ハードル)。
2007年から日本陸上競技連盟強化委員会の男子短距離部長を務め、世界選手権(2007大阪、2009ベルリン、2011大邱、2015北京、2019ドーハ)、オリンピック(2008北京、2012ロンドン)に帯同。
また、2014年には日本陸上競技連盟の男子短距離部長へ復帰し2016リオデジャネイロオリンピックに帯同し、日本短距離男子チームの責任者として同行した。
1990年代を代表する陸上競技者として活躍。1996年のアトランタと2000年のシドニーオリンピックに出場、世界室内陸上競技選手権大会400mで銅メダルを獲得するなどの活躍を見せた。元400mハードル日本記録保持者。
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