vol.93「スパイク開発秘話」
陸上競技ファンならご覧になっている?かもしれないませんが、池井戸潤原作TBSドラマ「陸王」、いよいよ佳境に入ってきました。埼玉県行田市にある老舗足袋業者の「こはぜ屋」が、足袋の技術を生かしてランニングシューズ開発に参入し、さまざまな苦難を乗り越えていくドラマです。なかなかリアルな描写で我々専門家でも「あるある」とうなずいてしまいます。キャストも斬新で、元陸上競技の選手も出演しています。元箱根駅伝の選手や日本代表にもなったよく知るハードル選手も出ていて驚きました。
池井戸さんは宮崎のあるホテルで執筆活動をされているそうです。実は昨年、同じホテルで日本陸上競技連盟の男子短距離合宿をしました。その時にこの「陸王」がテレビドラマで放映されることを知りました。
さて、「こはぜ屋」は足袋業者で足袋の技術をランニングシューズに応用して「陸王」というシューズを開発しているのですが、私はこの足袋の技術をと聞いたとき、現役時代にスパイクシューズを足袋のようにしてほしいと要求したことを思い出しました。
あれは私が現役の頃でしたので、1997年か1998年くらいだったと思います。当時お世話になっていたミズノさんから新しいスパイクを作りたいので協力してほしいという話をいただきました。ミズノさんから2名の靴職人の専門家が私の練習場所に何度もいらしてくださいました。私はその時、「足袋のようなスパイクがほしい」と言って、足袋のようなスパイクを実際に作成してもらいました。
しかし、この足袋スパイクは耐久性があまりなく、走るとアッパーの部分が横にぶれてしまいました。ドラマのようなしっかりしたアッパー素材が見つかればよかったのですが、アッパーの素材は変えられないとのことでしたので黄色いテープ状の補強を何本か足がぶれない場所に沿って補強していただきました。
足の前方部分や、踵から前方へもっていく部分などその角度から強さまで何度も修正を重ね、サンプルモデルを何度も作成していただき、できたのがソックスのように履くタイプのスパイクでした。このスパイクはフィット感が最高でした。このスパイクで何度かレースに出ましたが、多少重いことと履くのに時間がかかることが難点でした。
履きやすさに難があることからこの足袋スパイクは市販に採用されることはなく、新型スパイクの試行錯誤はまだ続きました。そこで私が出した提案は「もうこの黄色い補強だけでよいのではないか」という案でした。このテープのような補強だけでも走れるかもしれないと考えたのです。そうすることでアッパー部分の布がなくなり軽量化できます。そして、その補強テープだけのスパイクを作成してもらいました。踵のヒールカップもとってしまっていたので、かなり軽くフィット感もまずまずでした。
しかし、走ると踵の部分がぶれてしまいました。踵のブレは致命的です。踵には通常ヒールカップという踵の形状をしたプラスチック製のカップが入っています。これをなくしてしまうと踵がかなりぶれてしまいます。また、ヒールカップを入れると重くなってしまいます。そこでかなり小さい皿状のカップを入れることで踵のブレをなくすことに成功しました。
アッパー部分はテープのようなヒモ状なので靴下が見えるスパイクとなりました。裸足ではくと皮膚が見えます。いままでそのようなスパイクはありませんでした。これが今、ミズノさんの主要スパイクであるスケルトンスパイクの始まりです。
スケルトンモデル(ミズノHP)
スケルトンの完成には2年くらいかかったと思います。当時、ミズノさんの職人さんと「こうしてほしい、ああでもない、こうでもない」などと言って、試行錯誤しながらサンプルを作成していただいたその進化の歴史スパイクが今でも家に10足以上眠っています。
2000年このスケルトンモデルは市場で発売され、大ヒットしました。開発にかかわることができてうれしかったことを覚えています。ただ、「スケルトンKARUBE」とかにしてくれたらなーと思っていました。
スケルトンは今でもメジャーなスパイクです。履いている皆さん。こんな感じであのスパイクは開発されたのです。このスパイクを一緒に作成していただいた靴職人さんは引退され、このことを今知る人はミズノさんの社員さんの中でも少ないのではないかと思います。
さて、この「陸王」本当に速いのでしょうか。最近、ナイキがソールの厚いシューズを開発し、マラソンで2時間を切るプロジェクトを始めました。ソールの薄い「陸王」とは、真逆のシューズです。
2017年5月6日イタリア・モンツァで行われたマラソンのレースでケニアのエリウド・キプチョゲが2時間0分25秒でゴール。なんと世界記録である2時間02分57秒を2分30秒以上も上回りました。ただし、これは選手に有利な条件で走ったこともあり公認されていません。多くのペースメーカーや風よけランナーがサポートしたこと、公認レースと異なる給水方法があったからです。
このときキプチョゲが履いていたのがナイキ・ズームヴェイパーフライ4%です。このシューズは踵付近のソールが厚くなっており、前に重心がかかるようになっています。黒人選手に多い、いわゆるフォアフット着地が自然とできるという仕組みです。また、ソールが厚くなると重くなってしまうのですが、このシューズはかなり軽量で、耐久性もある素材です。
ナイキ・ズームヴェイパーフライ4%(ナイキHP)
陸王のシューズは、軽量化の観点は同じですが、ソールは薄くミッドフット着地を目指しています。私もソールは薄く、硬めのソールのシューズを好んでいました。どちらがいいのですしょうか。ぜひ両方試してみたいものですね。
1969年5月8日生まれ、横浜市南区出身。
元オリンピック陸上競技選手。横浜市立南高等学校から法政大学経済学部、富士通、筑波大学大学院で競技生活を送る。
現在は法政大学スポーツ健康学部教授 コーチ学(スポーツ心理学) 同大学陸上競技部監督 法政アスリート倶楽部代表 日本陸上競技連盟強化委員会ディレクター兼オリンピック強化コーチ(ハードル)。
2007年から日本陸上競技連盟強化委員会の男子短距離部長を務め、世界選手権(2007大阪、2009ベルリン、2011大邱、2015北京、2019ドーハ)、オリンピック(2008北京、2012ロンドン)に帯同。
また、2014年には日本陸上競技連盟の男子短距離部長へ復帰し2016リオデジャネイロオリンピックに帯同し、日本短距離男子チームの責任者として同行した。
1990年代を代表する陸上競技者として活躍。1996年のアトランタと2000年のシドニーオリンピックに出場、世界室内陸上競技選手権大会400mで銅メダルを獲得するなどの活躍を見せた。元400mハードル日本記録保持者。
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