vol.91「出ました9秒台」
9月9日(土)福井県で開催された第86回日本学生陸上競技選手権大会でとうとう男子100m日本人初となる9秒台が達成されました。記録したのは東洋大学の桐生祥秀選手です。私はもういつでも9秒台が出ると言っていましたが、出る出る詐欺がやっと詐欺でなくなりました!!
桐生選手は高校3年の4月、10秒01という日本記録にあと、0.01に迫る記録をマークしてから注目され、最も9秒台に近い男と評価されていました。そこから4年半、とうとう10秒の壁を破ってくれました。9月9日、9.9なんて運命でしょうか。
わずか100分の2秒の更新でその距離20センチほどかもしれませんが、我々日本陸上競技に携わる人間にとっては大きな進歩です。
100mとトップスピードには、高い相関関係があります。つまり最高速度が高いことは、100mの記録が高いことにつながるということです。
過去の100m走のデータから100mを9秒台で走るためのトップスピードは秒速11.6m以上が必要であると報告されています。実はこの秒速11.6m、桐生選手はすでにクリアしています。
では、なぜ9秒台がでなかったかというと、桐生選手のレースパターンに理由がありました。
桐生選手はスタートダッシュが得意な選手であり、前半の速度の立ち上がりが早い選手です。つまり、トップスピードに到達するのが早いのです。早い時で45m、普段は50から55m付近でトップスピードを迎えます。
どんな選手も100m最後まで、トップスピードを維持し続けることはできません。100mのラストは、速度が低下してしまいます。これは9秒台の選手でさえ例外ではありません。世界記録保持者であるウサイン・ボルト選手も低下しています。
トップスピードをある程度維持できるのは、大体20mから25mくらいで、そのあと速度はゴールまで低下し続けてしまいます。
桐生選手はトップスピードが早い段階で訪れるのはよいのですが、それを維持し、そのあとの速度の低下が大きくなってしまい、あとわずかのところで9秒台を逃してしまっていた可能性があります。
今回のレースのトップスピードは、秒速11.67mで9秒台を出す条件はクリアしています。そして、そのトップスピードが出現したのは65mと発表されました。この距離は実は正確ではないのですが、この近辺で出たことは間違いありません。
つまり、いつもより後ろでトップスピードが訪れたことになります。そしてトップスピードが後ろに現れた分、速度の維持も後半にずれていき、速度の低下を少なく抑えられたのです。またトップスピードが高いということは、それに到達するまでの距離もかかることも考えられます。とにかく、トップスピードを高くすることが必須なのです。
これには桐生選手の100mレース中に走った歩数も関係しています。今回桐生選手は、47.3歩で100mを走り切りました。今までは48歩ほどかかっていました。ピッチ(脚の回転数)が同じだと仮定すると、歩数が減るということはそれだけタイムも縮まります。
ピッチとストライドを掛けたものが速さとなりますから、桐生選手のトップスピード時の歩幅は、ピッチを5回とすると2.334mとなります。通常100mのラストは、ピッチが低下しストライドが広がりますので、最大の歩幅はもう少し広いと推測されます。
今回のレースは実は細かい分析ができていません。これは日本学生選手権が日本陸上競技連盟の主催大会ではなく、学生連合の主催であるからです。しかし、日本人初の9秒台、限りある資料でできるだけの分析を進めています。
100mで10秒を切った人物は、125名ほどいます。そのほとんどは黒人種(ネグロイド)で、黄色人種(モンゴロイド)は2名しかいません。それだけ困難で価値のある記録なのです。人類が初めて9秒台を出したのは、1968年のメキシコ・オリンピック、ジム・ハインズ選手(アメリカ)です。この記録は高地で出した記録ではありますが、これから約50年、やっと日本人選手が9秒台に突入してくれました。
そして9月24日(日)、今度は山縣亮太選手(セイコー)が10秒00をマークしました。記録の壁は、誰かが破るとほかの選手もどんどん破ってくる、ということをよく耳にします。山縣選手も、近いうちに9秒台を出してくるかもしれません。ただ、ケガしてしまったということで、山縣選手の記録更新は来年度に持ち越しかもしれません。
今、男子短距離は9秒台を狙える選手が複数います。来年も熱い戦いを見せてくれることでしょう。
最後に、私が日本陸上競技連盟の男子短距離コーチになって、個人種目では日本記録を1つも出せずにいました。今回、桐生選手がとうとう日本記録を更新してくれました。ホッとしました。
1969年5月8日生まれ、横浜市南区出身。
元オリンピック陸上競技選手。横浜市立南高等学校から法政大学経済学部、富士通、筑波大学大学院で競技生活を送る。
現在は法政大学スポーツ健康学部教授 コーチ学(スポーツ心理学) 同大学陸上競技部監督 法政アスリート倶楽部代表 日本陸上競技連盟強化委員会ディレクター兼オリンピック強化コーチ(ハードル)。
2007年から日本陸上競技連盟強化委員会の男子短距離部長を務め、世界選手権(2007大阪、2009ベルリン、2011大邱、2015北京、2019ドーハ)、オリンピック(2008北京、2012ロンドン)に帯同。
また、2014年には日本陸上競技連盟の男子短距離部長へ復帰し2016リオデジャネイロオリンピックに帯同し、日本短距離男子チームの責任者として同行した。
1990年代を代表する陸上競技者として活躍。1996年のアトランタと2000年のシドニーオリンピックに出場、世界室内陸上競技選手権大会400mで銅メダルを獲得するなどの活躍を見せた。元400mハードル日本記録保持者。
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