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元オリンピック陸上選手苅部俊二のダッシュ

vol.84「2017かながわ駅伝」

 

 

 

 2月12日(日)第71回市町村対抗「かながわ駅伝」が開催されました。この駅伝大会は、秦野カルチャーパーク陸上競技場をスタートし、県立相模湖公園までの51.5キロ、7区間で競われます。

 

 横浜市は昨年に引き続きの優勝で、2連覇を成し遂げました。現在は総合の部と町村の部が分かれているのですが、総合の部の上位は大都市で占められています。

 

 優勝回数も横浜市が最も多く、ライバル川崎市といつも先頭争いをしています。今年は昨年3位の相模原市と3区までトップ並走をしていましたが、以降徐々に引き離し、40回目の優勝を飾りました。相模原市が2位、川崎市は3位でした。横浜市代表選手の皆さんおめでとうございます。お疲れ様でした。

 

 この大会は神奈川県に住所のある人や県外に出ていても県内の中学や高校の出身であるとメンバーになることができます。私の大学の関係者も横浜市ではありませんが、数名走らせていただきました。それほど強い選手ではありませんが、地区の代表として走ることができることは彼らにとって誇りです。

 

 こうした市町村対抗駅伝を開催している都道府県はたくさんあります。リレーもそうですが、駅伝は凝集性があり、そのチームやそのチームに関係する人たちを結束させる良いツールなのでしょう。

 

 横浜市出身の私は横浜市が優勝することは大変うれしいのですが、ほかの市町村のほうが地域密着型のチーム編成がなされているように感じてしまいます。たしかに横浜にゆかりのある選手が代表なのですが、何かこう身近に感じられない気がしてしまうといいますか。

 

 そこで、横浜市、川崎市、相模原市は区で分けるのはどうでしょう。相模原市も合併して政令指定都市になって大規模な市になりましたし、合併した城山町は町村の部で優勝経験もあります。私は南区なのであまり強くはないかもしれませんが、そのほうがもっと応援に力が入りそうな気がします。

 

 ただ、正月の箱根駅伝もそうなのですが、チームを増やすのは容易なことではありません。単純にチーム運営も大変ですが、道路の状況や運営上の問題も多々抱えてしまうことになります。実現はたやすいことではないでしょう。

 

 全部の区がだめなら横浜市を3つに分けてなど、ぜひとも検討してもらいたいものです。なお、これは私の勝手な私的な妄想です。

 

 

 さて、またまた私事なのですが、3月4日(土)に八王子市で陸上教室をやった際にまたやってしまいました。今度は肉離れです。小学生との競争でムキになりパチッと左ハムストリングスの大腿二頭筋の下のほうをやってしまいました。先日の膝といい、もう走ってはいけないのでしょうか。

 

 ただ、もうそんなに速くは走れないので内出血がひどいとか歩けないということはありません。少し痛みがあるくらいです。肉離れにはRICE処置です。皆さん覚えていらっしゃるでしょうか。

 

 私は肉離れをしたことをいいことにテーピングを試したり、水素水に浸してみたりと自分を実験台にして遊んでいます。あ、皆さんはマネしないようにしてください。安静が一番です。治し方を間違えるといつまでも違和感が残ってしまったり、しこりになってしまったりすることがあります。

 

 私の場合はハムストリングスなのでうまく動かすことが難しいのですが、ジョギング愛好家や長距離ランナーの方はハムストリングスよりも圧倒的にふくらはぎの肉離れが多く発生します。

 

 

 

 

 ふくらはぎの肉離れは厄介で、我慢すれば動かせますし、程度にもよりますが走れてしまいます。ですから治りきらずに動かしてしまうことにより、しこりや違和感を長きにわたって生じさせてしまうことになる危険性があります。

 

 私が書いても説得力がないかもしれませんが、もし肉離れをしてしまったら、適切な処置を施し、決して軽視せず、痛みがなくなってからも慎重に練習をするようにしてください。

 

 

苅部俊二 プロフィール

1969年5月8日生まれ、横浜市南区出身。

元オリンピック陸上競技選手。横浜市立南高等学校から法政大学経済学部、富士通、筑波大学大学院で競技生活を送る。

現在は法政大学スポーツ健康学部教授 コーチ学(スポーツ心理学) 同大学陸上競技部監督 法政アスリート倶楽部代表 日本陸上競技連盟強化委員会ディレクター兼オリンピック強化コーチ(ハードル)。

2007年から日本陸上競技連盟強化委員会の男子短距離部長を務め、世界選手権(2007大阪、2009ベルリン、2011大邱、2015北京、2019ドーハ)、オリンピック(2008北京、2012ロンドン)に帯同。

また、2014年には日本陸上競技連盟の男子短距離部長へ復帰し2016リオデジャネイロオリンピックに帯同し、日本短距離男子チームの責任者として同行した。

1990年代を代表する陸上競技者として活躍。1996年のアトランタと2000年のシドニーオリンピックに出場、世界室内陸上競技選手権大会400mで銅メダルを獲得するなどの活躍を見せた。元400mハードル日本記録保持者。

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