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元オリンピック陸上選手苅部俊二のダッシュ

vol.76「肉離れ」

陸上競技日本選手権が終わり、陸上リオオリンピック日本代表選手が決まりました。あとわずかに代表枠があり、7月13日には陸上競技のすべての選手が決定します。

 

 

横浜にゆかりのあるオリンピック代表選手は東洋大学の松原大介選手で、20km競歩に出場予定です。松原選手は横浜市立浜中学校、横浜高校出身です。応援したいですね。

 

 

さて、オリンピックは4年に1度開催される大会なので、そこで代表になるのはなかなか難しいことです。昨年は日本代表であっても今年は調子が合わなかったり、ケガでなどで代表に漏れたりする選手もたくさんいます。ですから代表となった選手にはホントに頑張ってほしいですね。

 

 

私も初めてのオリンピック挑戦はケガに泣きました。日本代表を争うとなると、選手たちは大変な努力をしています。ケガはしてはいけませんが、ケガのリスクと常に戦いながらトレーニングをしているのです。

 

 

調子の良いときもケガのリスクはあります。身体が動きすぎてしまうことがあるからです。例えば肉離れは、強い筋収縮があったときなどにおこる筋損傷で、筋疲労によるものや気温が低かったり、柔軟性がなかったりするとおきますが、調子が良すぎていつもより身体の可動域が大きくなってそれに筋が耐え切れずに損傷してしまうことがあります。

 

 

肉離れに関しては、2014年のハマスポ コラム苅部俊二のダッシュ!!vol.57「肉離れ」で紹介しましたが、今回も少し説明したいと思います。

 

 

肉離れには一般的に1度から3度でその受傷度合が分けられています。MRIなどの画像診断から1型から3型に分けられることもあります。覚えておくと良いと思います。簡単に説明します。

 

 

1度 筋や筋膜の小さな部分的な損傷、出血がみられる。痛みは弱い。
2度 筋や筋膜の部分的な損傷 皮下出血がみられることもある。痛い。
3度 筋の断裂 歩行困難。痛い。

 

 

こんな感じです。1度であれば、1~2週間で練習に戻れます。2度からは結構重傷です。1度の場合、毛細血管が切れている場合があり、出血が多くみられることもありますが、筋の損傷がない、もしくは少ないこともあるのでこちらは早く治癒します。筋の損傷がなければ正確には肉離れではないかもしれないですね。

 

 

肉離れの図

上の図は、ハムストリングスの肉離れのMRI画像です。

写真の左は輪切り(上が前)、右は縦切りです。白いところは出血です。写真を見るとかなりの出血がみられますが、症状は1型です。痛みはそれほどなかったりしますが、この状態での大会出場は難しいです。1度は治りは早いですが、やはり注意は必要です。肉離れの診断を受けて3日くらいで試合に出場する野球選手とかいますが、昔は「ほんとに?」と思っていましたが、1型ならあり得ることです。ただし、競技復帰は慎重にしたいものです。出血があるということは筋に血がまわってしまうことを意味します。血が筋にたまることで“しこり”を作ってしまうことがあります。“しこり“はなかなか取れません。いつも脚に違和感を覚えるようになってしまいますので、気をつけなければなりません。

肉離れの処置はvol.57「肉離れ」をご覧ください。

 

 

肉離れと聞くと短距離選手やサッカー選手、ラグビー選手などスピードが速い競技や激しいスポーツのみと思われるかもしれませんが、長距離ランナーでも肉離れはします。長距離ランナーの肉離れは、ふくらはぎが最も多い部位です。短距離選手はもものうらであるハムストリングスが最も多い部位です。

 

 

先に書いたように、肉離れの原因は筋疲労やウォーミングアップ不足、柔軟性の不足などがよく言われますが、身体が軽くて動きすぎてしまってもおこります。
あまりビビらせてもいけませんが、「調子の良いときこそケガに気を付ける!」覚えておいてくださいね。

 

 

苅部俊二 プロフィール

1969年5月8日生まれ、横浜市南区出身。

元オリンピック陸上競技選手。横浜市立南高等学校から法政大学経済学部、富士通、筑波大学大学院で競技生活を送る。

現在は法政大学スポーツ健康学部教授 コーチ学(スポーツ心理学) 同大学陸上競技部監督 法政アスリート倶楽部代表 日本陸上競技連盟強化委員会ディレクター兼オリンピック強化コーチ(ハードル)。

2007年から日本陸上競技連盟強化委員会の男子短距離部長を務め、世界選手権(2007大阪、2009ベルリン、2011大邱、2015北京、2019ドーハ)、オリンピック(2008北京、2012ロンドン)に帯同。

また、2014年には日本陸上競技連盟の男子短距離部長へ復帰し2016リオデジャネイロオリンピックに帯同し、日本短距離男子チームの責任者として同行した。

1990年代を代表する陸上競技者として活躍。1996年のアトランタと2000年のシドニーオリンピックに出場、世界室内陸上競技選手権大会400mで銅メダルを獲得するなどの活躍を見せた。元400mハードル日本記録保持者。

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