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vol.150「箱根駅伝・神奈川マラソン・かながわ駅伝」
2025年1月2日から3日、第101回東京箱根間往復駅伝競走(箱根駅伝)が、開催されました。
2日、大手町を8時にスタートし、東京都を抜け、川崎市、横浜市と神奈川県を縦断し、箱根町で往路ゴールを迎え、3日の復路は折り返して大手町に帰ってきます。
私は、例年の通り法政大学の総監督として参加したのですが、今回は初めて運営側として内部に入って、内側から箱根駅伝に携わることとなりました。学生スポーツの枠を超え、日本を代表する正月のイベントとして定着した箱根駅伝は、ものすごい規模のイベントであることは認識していたのですが、想像以上でした。
我々運営のほかに、警視庁、神奈川県警の交通整理、警備に2000名、東京陸上競技協会や神奈川陸上競技協会の役員、審判、運営協力に約1000名のご協力、大学生の補助員に約2000名、そのほか警備会社の警備に約1000名に関わっていただきました。
そのほかにも多くの方がボランティアとしても携わってくださっています。すべて合わせると一体何名の方が関係しているのでしょう。そして、コースとなる沿道は人で埋め尽くされています。観客数は100万人を超えると言われています。1つの競技会としては日本で一番大きい大会なのではないでしょうか。
報道も、主となる読売新聞、放送は日本テレビと文化放送など、さらに報知新聞をはじめ、いらっしゃった報道陣はなんと400名を超えています。これらを取り仕切っているのは実は大学生です。もちろん我々も関わっていますが、主となって動いているのは学生たちなのです。驚きですよね。
もともと、日本のスポーツは学生スポーツから派生していることが多くみられます。箱根駅伝を主催している関東学生陸上競技連盟の創設は1919年(大正8年)で、関東の8つの大学によって創立されました。日本陸上競技連盟は1925年(大正14年)ですから、日本の組織よりも関東学生陸上競技連盟の方が先に発足しています。
関東学生対校陸上競技選手権大会(関東インカレ)は、1919年に第1回大会が開催されています。箱根駅伝は1920年が第1回大会で、昨年100回目を迎えました。日本選手権は1913年に第1回大会が開催されていて、今年は109回大会なのですが、第1回大会から第11回大会までは、日本陸上競技連盟は組織されておらず、大日本体育協会(現在の日本スポーツ協会)が主催していました。
学生たちは1907年(明治40年)頃から対校競技会を開催していたようですが、1923年(大正12年)、翌年のパリオリンピック日本代表選考に不服を申し立て、体協が主催する1924年の日本選手権の開催を認めませんでした。これが、日本陸上競技連盟が組織されるきっかけとなったのです。学生の力はすごいですね。学生の持つ様々なアイデアや、行動力、機動力にいつも驚かされています。
さて、長くなってしまいましたが、箱根駅伝は青山学院大学が2年連続8回目の優勝を飾りました。ウチは、4年連続のシード権獲得を目指しましたが、シード権獲得ならず、予選会からの参加となります。
この神奈川県を駆け抜けた箱根駅伝の選手たちですが、2月2日(日)横浜市磯子区の磯子駅から根岸高架橋を走り、日清オイリオ磯子事業場をお借りして開催された第47回神奈川マラソンに数名が出走しています。同日に日本学生ハーフマラソンが丸亀(香川県)で開催されていたので少数ではありましたが、箱根のランナーと同じレースに出場できるのです。
優勝した青山学院大学の宇田川瞬太選手は1区(区間10位)を走った優勝メンバーですし、7位の同じく青山学院大学の野村昭夢選手は、6区区間賞で大会MVPの選手です。そのほかにも駒澤大学の安原海晴選手(8区2位)や専修大学の丹柊太郎選手(6区14位)、日本大学の冨田悠晟選手(3区20位)など数名の箱根ランナーが出走していました。箱根駅伝に出場していた20大学中11大学が神奈川マラソンには参加しています。
箱根駅伝が終わって間もない時期に、箱根ランナーと一緒のレースに参加できるのは、貴重ですよね。またもちろん箱根ランナーだけでなく、次を担う学生ランナーにも注目できますよ。根岸高架橋も走れますし、なんてお得なマラソンなのでしょう。
最後になりましたが、9日(日)に山北町で開催された第79回市町村対抗かながわ駅伝競走大会は横浜市が3連覇を達成、43度目の優勝に輝きました。おめでとうございます。
こちらも数名の箱根ランナーが出走していましたね。中学生から大学生、実業団のランナーまでは地元の声援を胸に団結して疾走する駅伝も見ごたえ十分です。
かながわ駅伝は、メンバーに選ばれないと走ることはできませんが、神奈川マラソンは、市民ランナーも大勢走ることができます。1次エントリーは例年11月終わりくらいです。第48回大会、箱根ランナーと一緒に走ってみてはいかがでしょうか。
1969年5月8日生まれ、横浜市南区出身。
元オリンピック陸上競技選手。横浜市立南高等学校から法政大学経済学部、富士通、筑波大学大学院で競技生活を送る。
現在は法政大学スポーツ健康学部教授 コーチ学(スポーツ心理学) 同大学陸上競技部監督 法政アスリート倶楽部代表 日本陸上競技連盟強化委員会ディレクター兼オリンピック強化コーチ(ハードル)。
2007年から日本陸上競技連盟強化委員会の男子短距離部長を務め、世界選手権(2007大阪、2009ベルリン、2011大邱、2015北京、2019ドーハ)、オリンピック(2008北京、2012ロンドン)に帯同。
また、2014年には日本陸上競技連盟の男子短距離部長へ復帰し2016リオデジャネイロオリンピックに帯同し、日本短距離男子チームの責任者として同行した。
1990年代を代表する陸上競技者として活躍。1996年のアトランタと2000年のシドニーオリンピックに出場、世界室内陸上競技選手権大会400mで銅メダルを獲得するなどの活躍を見せた。元400mハードル日本記録保持者。
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