vol.145 パリオリンピックへ続く2024年陸上トラックシーズンの幕開け
2024年4月6日(土)、慶應義塾大学日吉陸上競技場で第57回東京六大学対校陸上競技大会が開催されました。昨年は国立競技場で開催したこの大会、今年は慶應義塾大学さんのグランドをお借りして開催しました。
慶応義塾大学日吉キャンパスは、日吉駅の駅前です。東急電鉄(東横線、目黒線、東急新横浜線)と横浜市営地下鉄グリーンラインが通っています。改札を出て1分かかりません。交通、生活に便利な環境はうらやましい限りです。
うちもかつては武蔵小杉に木月公舎があったのですが、市ケ谷と多摩に移転してしまいました。まだ付属校や体育会の練習場が残っていますが、もし大学自体が木月に残っていたらどうなっていたのでしょうか。
2024年トラックシーズン開始を告げる本大会は、天候にも恵まれ、大変盛り上がりました。男子400mHでは、今年8月にパリで開催されるオリンピックの参加標準記録をすでに突破している豊田兼選手(慶応義塾大学)が出走し49秒38の好記録で優勝、順調なシーズンインを果たしました。パリオリンピックで注目してほしい選手の1人です。
さて、そのパリオリンピックでは、レースのラウンド進出に大きな変更がありました。それは「敗者復活ルール」の採用です。
今まで陸上競技では、敗者を復活させることはありませんでした。予選の着順位と、それ以降は記録の良い順で次のラウンドに進むという方式です。
たとえば、予選が4組あって準決勝が2組だったとします。準決勝に進める人数は8レーンの2組で16名、予選の4組それぞれの3着までで12名が準決勝進出を決めます。そして残りの4名は、4組のうちで準決勝進出を決めた12名をのぞいた記録上位で決定します。予選は4組3着+4と表記します。
そして、決勝は8名ですから準決勝は2組であれば、3着+2として8名を決めます。
これが参加人数によって、組数や着順で決まる人数プラスの人数が決まります。
同記録の場合は、千分の1秒まで計測し判断します。それでも同じ場合は、レーンがあれば(9レーンある競技場など)複数名を次のラウンドへ進出させます。レーンがない場合は抽選です。
これが、敗者復活戦を取り入れるとどうなるでしょう。敗者復活ルールは、予選において着順のみのラウンドの進出とし、プラスはなくします。そして、着に入らなかった選手全員でもう一度レースを実施するというものです。
つまり、予選で負けても、もう一度、次のラウンドに挑戦できるレースが実施されることで、2回のチャンスがあるということです。先の例でいうと4組の3着までの12名まで準決勝進出し、残る4名は、12名以外の全員でもう一度レースを実施するというものです。
世界陸連(WA)は、「オリンピックに出場して、たった1本しかレースができないのではなく、2本走らせてあげたい」というコメントを出しています。セカンドチャンスを与えるということのようです。敗者復活戦から決勝に残ればそのまま上がる人よりも1本多く走れることになりますね。
敗者復活のレースは、200mから1500mのトラック種目に採用されます。100mがないのは、もともと予備予選というレースがあるからです。この敗者復活からはどのように準決勝に進むのかは、まだ情報がありません。着順なのか、記録なのか、着と記録なのか、またレースの組はどのように決まるのか。詳細が待ち遠しいです。
この敗者復活レース、うまく利用すれば戦略的にラウンドを進めることができるかもしれません。たとえば、予選のレースはあきらめて、軽く走り、強い選手が不在である敗者復活レースに力を温存するなどということもあるかもしれません。途中までは勝負して、無理だと思ったらそこでレースをあきらめて、敗者復活レースに望みをつなぐといったこともあるでしょう。
これにより、大会が面白くなるのか、つまらないレースが増えてしまうのか、やってみないとわかりませんね。
とにかく詳細が分かり次第、さまざまな想定をして、戦略を練りたいと思います。
パリオリンピックは、東京オリンピック後の集大成となる大会です。私はハードルコーチとしてパリ入りする予定です。なんとか日の丸を掲げてほしいですね。
オリンピック代表は、多くの選手が6月末の日本選手権で決まります。それまでに参加標準記録を突破する、もしくはポイントを稼ぐことが重要になってきます。日本選手権までの大会にもぜひ注目してください!!
1969年5月8日生まれ、横浜市南区出身。
元オリンピック陸上競技選手。横浜市立南高等学校から法政大学経済学部、富士通、筑波大学大学院で競技生活を送る。
現在は法政大学スポーツ健康学部教授 コーチ学(スポーツ心理学) 同大学陸上競技部監督 法政アスリート倶楽部代表 日本陸上競技連盟強化委員会ディレクター兼オリンピック強化コーチ(ハードル)。
2007年から日本陸上競技連盟強化委員会の男子短距離部長を務め、世界選手権(2007大阪、2009ベルリン、2011大邱、2015北京、2019ドーハ)、オリンピック(2008北京、2012ロンドン)に帯同。
また、2014年には日本陸上競技連盟の男子短距離部長へ復帰し2016リオデジャネイロオリンピックに帯同し、日本短距離男子チームの責任者として同行した。
1990年代を代表する陸上競技者として活躍。1996年のアトランタと2000年のシドニーオリンピックに出場、世界室内陸上競技選手権大会400mで銅メダルを獲得するなどの活躍を見せた。元400mハードル日本記録保持者。
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