vol.141「高校総体2023」
令和5年8月2日(水)から6日(日)まで、北海道札幌市厚別陸上競技場で陸上競技の全国高等学校総合体育大会(高校総体:インターハイ)が開催されました。
曇りがちで雨に降られた時もありましたが、夏の高校総体らしい暑さの中で競技会が開催されました。
しかし、風が強いうえ、風向きが安定しておらず、難しい種目もあったように見受けられました。
さて、横浜勢の活躍ですが、男子5000m競歩で保土ケ谷高校の守屋海斗君が2位、同じく保土ケ谷高校が男子4×100mリレーで6位入賞を果たしました。
保土ケ谷高校のリレーはかなり攻めたバトンパスを成功させ、しびれました。
準決勝でもかなり攻めたバトンパスをしていて、まぐれではと思っていましたが、決勝のレースでも再現しており、さらに攻めていました。戦略的に攻めのバトンパスを行っていたようです。
まぐれなどと、失礼いたしました。
他の入賞は残念ながらありませんでした。
横浜勢にとってはなかなか思うようにいかなかった大会となってしまいました。
とにかく、今回の大会は風の影響が大きかったと思います。
男子100mでは予選が8組あり、各組2着までと3着以降は組に関係なく記録の上位8名が準決勝に進出できます。そしてその予選の結果、すべての組が向かい風となり、風が一番弱かった組から6名が順位以降の記録上位8名に入ってしまいました。
やり投げや円盤投げも難しかったと思います。
やりや円盤は向かい風の方が、揚力が強く生じることから有利と言われています。しかし、風が強すぎるとやりや円盤が上に上がってしまって遠くに飛ばせないこともありますし、やりや円盤の飛んでいく角度や速度、その競技者の技術や体力特性などでも向かい風、追い風の有利不利は変わってきます。
今回は向かい風で競技していましたが、有力選手でも苦戦していたようです。
また棒高跳びは、5mほど上空にあるバーを越えていきますが、地上の風とバーのある上空の風が異なることがあり、こちらも風の影響を強く受けてしまいます。
テレビの中継でコーチが映って風に指示をしているときがありますが、これは上空の風をみてそれを選手に伝えています。下では風がなくても上では向かっているなんてことはよくあることです。
筋力の弱い選手は風に影響をより強く受けてしまいます。女子は男子よりも影響は大きいでしょう。
陸上競技の競技者は、雨よりも風の強さと方向により神経を使います。この風によって勝負の明暗を分けることも多々あります。うまく風を味方につけることも大事だったりするのです。
フィールドでは、風の方向を考慮して跳ぶ方向を変えてくれることがあります。競技の途中で変更することもあります。
短距離でも、方向を変えて計測できるシステムがある競技場ではなるべく追い風でレースをしてくれます。
競技の方向を変更することは、審判員や運営の方々にとって大変な作業と思いますが、競技者にとっては本当にありがたいです。競技場周辺の風を熟知されて、「あと1時間で風が変わる」など風向きを予知される審判の方もいらっしゃって、事前に競技の方針を決定してくれることもあります。
北海道での高校総体開催は36年ぶりでした。
そして36年前の1987年。私は横浜市立南高校3年生でこの同じ厚別の競技場で走らせていただきました。
…負けました。
36年前の大会も、同じ8月2日からの開催でしたが、気温16度、常時風が吹き、凍えながらの大会でした。寒くて大変だったことをよく覚えています。
この時、同じ横浜出身(上郷高校:現在の横浜栄高校)で男子走り高跳びに優勝した吉田孝久先生(日本女子体育大学)は、今でも大親友で今回の大会を一緒に観戦しました。彼のその時の記録は現在も大会記録として残っています。
吉田先生だけでなく、36年も前にここで一緒に競った人たちと遠征をしたり、酒を飲んだりして現在でも交流があります。この夏、世界選手権に私と一緒に行くハードルコーチもここで走った同期で、彼らは一生の友人です。
今回出場した高校生たちも私たちのようになるのかと思うと感慨深いですね。
1969年5月8日生まれ、横浜市南区出身。
元オリンピック陸上競技選手。横浜市立南高等学校から法政大学経済学部、富士通、筑波大学大学院で競技生活を送る。
現在は法政大学スポーツ健康学部教授 コーチ学(スポーツ心理学) 同大学陸上競技部監督 法政アスリート倶楽部代表 日本陸上競技連盟強化委員会ディレクター兼オリンピック強化コーチ(ハードル)。
2007年から日本陸上競技連盟強化委員会の男子短距離部長を務め、世界選手権(2007大阪、2009ベルリン、2011大邱、2015北京、2019ドーハ)、オリンピック(2008北京、2012ロンドン)に帯同。
また、2014年には日本陸上競技連盟の男子短距離部長へ復帰し2016リオデジャネイロオリンピックに帯同し、日本短距離男子チームの責任者として同行した。
1990年代を代表する陸上競技者として活躍。1996年のアトランタと2000年のシドニーオリンピックに出場、世界室内陸上競技選手権大会400mで銅メダルを獲得するなどの活躍を見せた。元400mハードル日本記録保持者。
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