vol.132「箱根駅伝 低血糖」
北京冬季オリンピックが開催され、日本人選手の活躍のニュースが世間をにぎわせていますね。
横浜市関係者では、男子スノーボードハーフパイプ戸塚優斗選手(横浜市立西谷中学校~日本体育大学在学)、フィギアスケート鍵山優真選手(横浜市立六角橋中学校-星槎国際高等学校横浜在学)が出場しています。2人とも大活躍していますね。
鍵山選手は、男子シングルで銀メダル獲得です!!
法政大学関係者が数名出場しているので、私も、テレビで毎日応援しています。
スノーボード女子(現役学生1名:岩淵麗楽)とアイスホッケー女子(OG3名:床亜矢可・秦留可姉妹と鈴木世奈)に出場しています。
このコラムを書いている時点で、スノーボードの岩淵選手は、スロープスタイルは惜しくもメダルを逃しましたが(5位)、前回の平昌オリンピックで4位だった得意種目ビッグエアが残っていますし、アイスホッケーが1次予選を1位で通過したところです。悲願のメダル獲得に期待しています。
5区芦ノ湖
さて、少し前のことになってしまいますが、今年も東京箱根間往復大学駅伝競走(第98回)が無観客で1月2日(日)~ 3日(月)に開催されました。私が総監督を務める、法政大学が出場しました。
1月2日の往路、本学は来年の出場権を得られるシード権内の10位(東海大学)まで28秒差の13位でフィニッシュし、復路での巻き返しを狙っていました。
6区スタート前
1月3日、箱根をスタートした6区選手が好走し、11位に順位を上げ、10位とはわずか9秒差。7区終了時11位で12秒差。8区終了時12位に後退し10位(国學院大学)とは50秒差。
9区終了時11位に順位を上げ、10位帝京大学と32秒差となかなか浮上してきませんが、シード権内にぎりぎり届かないところで最終ランナーにたすきが渡りました。
こういう展開が1番疲れます。
10区は23キロです。
20キロ過ぎ地点の馬場崎門を帝京大学に37秒差で通過しましたが、前との距離は詰まるどころか広がっていきます。残り3キロを切って、37秒を詰めるのは厳しい差です。その後、帝京大学との差は少しずつ開いていきました。
我々スタッフもあきらめかけたその時、東海大学の選手が帝京大学に抜かれます。東海大学は、明らかにスピードが落ちていました。ゴールまで残りわずかでしたが、これは追いつくのではとムードが一転しました。
そして、残り1キロ、東海大学に追いつき、コースを間違えそうになりましたがそのまま突き放して10位でゴールし、なんとかシード権を獲得しました。
シード権が手の届きそうなところにいながらも、なかなか届かないというもどかしい駅伝でしたが、最後の最後で10位シード権内に滑り込むことができました。
東海大学の10区の選手は低血糖症を引き起こしてしまったようで、意識ももうろうとした状態だったそうです。長距離走のような持久系運動では、低血糖症のことを「ハンガーノック」とも言います。低血糖症になると、エネルギーが枯渇状態となってしまい、脳へエネルギーを送ることを優先させるようになります。
つまり、身体の危険を察知し、生命維持のエネルギー利用を優先させることで、運動に使用するエネルギーが足らなくなり、運動の継続が困難になってしまうのです。重度の低血糖症となると意識混濁や多汗、筋けいれん、生命の危機に陥ることもあります。
日々トレーニングを欠かさず、栄養も十分とり、コンディショニングも万全であるはずの、箱根駅伝で走るような一流ランナーでも起きてしまうのかと驚かれるかもしれませんが、ただ単なるエネルギー消費によるものだけではなく、オーバーペースや精神的なものも関わってきます。一流選手でも一般のランナーでも、起こりうる症状なのです。
もし、運動中に低血糖症が疑われるときは、速やかに運動をやめ、ブドウ糖ゼリーなど吸収の良い糖質をとって休むしかありません。ただ、箱根駅伝は母校や仲間の思い、たすきの重みなど様々な重圧を背負っているので、止まるという判断を選手がすることは難しいでしょう。指導者は難しい選択を強いられます。
このような状況での本学のシード権獲得は複雑ではありますが、このようなことがあるのも箱根駅伝です。程度は様々ですが、テレビで映っていないところで低血糖症や低体温症などは度々起きているのが現実です。選手はそれだけぎりぎりの状況でレースをしているのです。
美談にしてはいけないのですが、それでも母校の為、仲間の為に前に進む。そんな学生の姿が観戦する人の心を打つのかも知れませんね。
とにかく、今年は箱根駅伝予選会がなくなり、来年の箱根駅伝に出場できること、出雲駅伝出場(箱根駅伝でシード権を獲得すると権利が発生します)も決まったことは大きな収穫でした。
良かった、良かった。
さて、オリンピックを観なければ。
1969年5月8日生まれ、横浜市南区出身。
元オリンピック陸上競技選手。横浜市立南高等学校から法政大学経済学部、富士通、筑波大学大学院で競技生活を送る。
現在は法政大学スポーツ健康学部教授 コーチ学(スポーツ心理学) 同大学陸上競技部監督 法政アスリート倶楽部代表 日本陸上競技連盟強化委員会ディレクター兼オリンピック強化コーチ(ハードル)。
2007年から日本陸上競技連盟強化委員会の男子短距離部長を務め、世界選手権(2007大阪、2009ベルリン、2011大邱、2015北京、2019ドーハ)、オリンピック(2008北京、2012ロンドン)に帯同。
また、2014年には日本陸上競技連盟の男子短距離部長へ復帰し2016リオデジャネイロオリンピックに帯同し、日本短距離男子チームの責任者として同行した。
1990年代を代表する陸上競技者として活躍。1996年のアトランタと2000年のシドニーオリンピックに出場、世界室内陸上競技選手権大会400mで銅メダルを獲得するなどの活躍を見せた。元400mハードル日本記録保持者。
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