vol.115「カタール世界陸上」
9月27日(金)から10月6日(日)、カタール・ドーハで陸上競技の第17回世界選手権(世界陸上)が開催され、日本代表コーチとして帯同してきました。5月にもドーハに行きましたので、今年2回目のドーハ訪問です。5月も暑かったのですが、今回も暑かったです。ただ、競技場は相変わらず冷風がガンガン吹いていますし、ホテルも寒いくらいに冷房が効いています。
この穴から冷房が吹き下ろしてきます
今回の日本選手団の結果は、金メダル2個(男子50キロ競歩 、男子20キロ競歩)、銅メダル1個(男子4×100mリレー)を獲得、入賞5(男子走幅跳8位、女子マラソン7位、男子20キロ競歩6位、女子20キロ競歩6位、7位)とまずまずの結果を残し、来年の東京オリンピック開催に向けて順調に強化が進んでいることを示した形となりました。まだまだ課題も残っていますが。
日本の2個の金メダルは男子50キロ競歩・鈴木雄介選手(富士通)と男子20キロ競歩・山西利和選手(愛知製鋼)ですが、日本の競歩としては初めての金メダル獲得でした。映像をご覧になった方はお分かりと思いますが、日本チームの暑さ対策は万全でした。特製の氷や保冷剤の入った特製の帽子や首巻を使用して頭や首、手を効果的に冷やすことで、体温の上昇を抑えていました。さらに細やかにドリンクの取り方も指示されていました。これは長年の日本競歩の実績と日本陸上競技連盟の医科学委員会の調査、研究の賜物です。
近年日本の競歩チームでは、競歩レース中の体内温度を詳細に記録したり汗の成分を分析したりして、最先端の科学的な知見を採用しています。例えば、50キロ競歩ではレース中の約4時間も身体内部の体温をリアルタイムで管理できるようになっています。
東京オリンピックでも同じような環境になることが予想されますので、今回の日本チームの暑さ対策は高く評価されることでしょう。ただ、来年は多くの国が日本の真似をしてくることが考えられます。さらに上をいかねばなりません。
マラソンもそうでしたが、今回のレースはかなり過酷だったようです。
男子50キロ競歩は参加46人中ゴールできたのは28人で、約4割の選手が棄権してしまいました。50キロ競歩で残念ながら途中棄権となってしまった自衛隊体育学校の野田明宏選手にレースの後話を聞いたのですが、疲労からくる内臓への大きな負担に加え、猛暑、高湿度、そして、身体を体の内外から冷やすことからの“冷え”状態が暑さと同時にくるようで、腹痛がひどく、下してしまうそうです。下してしまうと今度は脱水症状が出てしまうので、水分を取らねばならず、また腹痛が生じてしまう悪循環だったそうで、脚もふらついており、相当なダメージを受けてしまったようです。早く体調を回復してほしいものです。
あの30度近い暑さの中で50キロ歩くのは相当に酷な環境です。多くの選手、スタッフから、今回の過酷極まりないレースに批判的なコメントを出しています。2020年東京が心配になりますね。事故だけは避けたいものです。
今回の結果を受けて医科学委員会は更なる分析、検討に入っていると思います。東京オリンピックでも金メダルの獲得が期待されます。
男子4×100リレーも銅メダルを獲得しました。2大会連続の銅メダルです。予選でアメリカが怪しい判定でした(多分アウトです)が、決勝ではアメリカが優勝しました。アメリカと今回銀メダルのイギリスは走力からして日本より格上です。日本の3位は悔しいですが、今回は十分な結果と思います。東京でのメダル獲得が現実味を帯びてきましたね。
特筆すべきは橋岡優輝選手(日本大)の男子走幅跳8位入賞です。この種目、世界陸上では日本人選手初の入賞です。橋岡選手は予選を8m07で通過、決勝は7m97で見事に8位に入賞しました。自己ベストは8m32ですから本人は悔しいと感じていると思いますが、快挙と言えます。
しかし、オリンピックでは1932年ロサンゼルス大会で陸上競技のレジェンド、南部忠平さんが走幅跳で銅メダルに輝いています。南部さんはこの大会、三段跳では金メダルに輝いています。南部さんの走幅跳のベスト記録は1931年にマークした7m98ですから今でも通用する記録なのですね。偉大です。
最後に、今回の大会は観客が少なくてニュースになっていましたが、大会の演出は素晴らしかったです。国際陸上競技連盟は興行として陸上競技大会を成功させることを目指しています。観せる、そして魅せる陸上競技大会です。真剣な勝負の中にもエンターテインメント性を持たせる事は陸上競技のみならずさまざまな競技で取り入れられ、近年、競技会は大きく進化しています。
東京オリンピックでも観る人をあっと言わせるような演出が求められることでしょう。競技と共にこちらも楽しみですね。
1969年5月8日生まれ、横浜市南区出身。
元オリンピック陸上競技選手。横浜市立南高等学校から法政大学経済学部、富士通、筑波大学大学院で競技生活を送る。
現在は法政大学スポーツ健康学部教授 コーチ学(スポーツ心理学) 同大学陸上競技部監督 法政アスリート倶楽部代表 日本陸上競技連盟強化委員会ディレクター兼オリンピック強化コーチ(ハードル)。
2007年から日本陸上競技連盟強化委員会の男子短距離部長を務め、世界選手権(2007大阪、2009ベルリン、2011大邱、2015北京、2019ドーハ)、オリンピック(2008北京、2012ロンドン)に帯同。
また、2014年には日本陸上競技連盟の男子短距離部長へ復帰し2016リオデジャネイロオリンピックに帯同し、日本短距離男子チームの責任者として同行した。
1990年代を代表する陸上競技者として活躍。1996年のアトランタと2000年のシドニーオリンピックに出場、世界室内陸上競技選手権大会400mで銅メダルを獲得するなどの活躍を見せた。元400mハードル日本記録保持者。
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