vol.55「コンチネンタルカップ」
9月13日(土)から14日(日)にモロッコでコンチネンタルカップという陸上競技の大会があり、行ってきました。コンチネンタルカップはあまり馴染みのある大会ではないと思いますが、実は国際陸上競技連盟の主催するレベルの高い国際大会です。
この大会は陸上競技の大会の中でも特殊な大会で、大陸対抗戦の形式で4つの大陸がチームを編成して競い合います。
競技場 スタッド・ド・マラケシュ
その分け方は、ヨーロッパ・アメリカ・アジア/パシフィック・アフリカの4チームで、種目は世界陸上やオリンピックと同じ種目があります。各チーム2名が代表として出場し、順位で得点を加算していきます。リレーもあります。リレーは、かつて違う国のメンバーの混合チームで組んでいました。今は1つの国で出場することが多いですね。
日本はもちろんアジア/パシフィックチームに所属しています。アジア/パシフィックチームは、オセアニアを含むのでオーストラリアなども同じチームとなります。
私はこのアジア/パシフィックチームの短距離・ハードルコーチとして参加してきました。日本からは男子が200m、400m、400mH、4×100mリレー、4×400mリレー、女子が1500m、100mH、4×100mリレーがアジア/パシフィックチームの代表として出場しました。残念ながら1種目も優勝はできませんでしたが世界トップ選手を相手によく健闘してくれました。
コンチネンタルカップではアジア/パシフィックチームは4位が定位置です。なかなかヨーロッパやアメリカの牙城を崩せずにいます。
しかし、こうしてアジア/パシフィックチームとしてアジア、オセアニアの国々が1つとなって同じユニフォームを着て協力して共に戦う大会はほかにありません。貴重な大会と思います。ほかの競技でもあるのでしょうか。聞いたことがありませんね。
さて、今回モロッコのマラケシュで大会が開催されました。この大会は4年ごとに開催されます。前回はクロアチアでした。
日本からモロッコへは直行便がありません。ドバイを経由します。ホテルに到着するまで30時間近くかかったと思います。そして2日後に大会でした。選手はなかなか厳しい条件の中戦わなければなりませんでした。
こうした遠征で我々が気にすることはその地の環境です。気温はもちろん水や食事、宿泊施設、練習環境などは特に影響を受けるものです。いつもと違う環境の中でも高いパフォーマンスを発揮しなければなりません。
いつもと違う環境で「ダメだ」と思ってしまうと良い結果が出せないことがあります。この環境の変化に負けてしまうことは、スタートラインに立つ前にネガティブな気持ちになってしまうということであまり良くはないでしょう。環境の変化に動じない。与えられた環境を受け入れることは大切なことです。すべて合わせることはありませんが、そこに適応し、対応できる強さが必要になります。
特に海外での大会ではいつもと違うことが多々あります。大会で使用される用具がいつもと違うことや、あまり良いものでないこと、言葉がうまく伝わらないこともあります。食事も初めて見るような食べ物が出てくることもあります。まあ無理に食べることはありませんが、そこの環境に合わせることやいつもと違っても「別に気にしない」という考え方をする方が有効だったりします。
といいつつ少しお腹が…。
とにかく、日本の環境は最高です。この恵まれた日本の環境を常に求めてはいけません。いつでもどこでもどんな状況でも力を発揮できる。それが本当に強い競技者なのです。
と、持論を書いてしまいましたが、現役の時に海外を1人で転戦していた時にこうした考えに至ってしまいました。「ああ、私は甘えすぎていた」と。そして「なんとかなるさ」という人間になってしまいました。
今回の話はモロッコが特別劣悪な環境だったというわけではありません。実はホテルは超高級ホテルでした。快適。
そして最後に、このマラケシュの競技場(スタッド・ド・マラケシュ)は12月にTOYOTAプレゼンツ FIFAクラブワールドカップ モロッコ2014が開催される競技場です。
芝の感触は確かめておきましたので。
Google earthから。中心が競技場です。周りには何もありません
周辺はこんな感じです
1969年5月8日生まれ、横浜市南区出身。
元オリンピック陸上競技選手。横浜市立南高等学校から法政大学経済学部、富士通、筑波大学大学院で競技生活を送る。
現在は法政大学スポーツ健康学部教授 コーチ学(スポーツ心理学) 同大学陸上競技部監督 法政アスリート倶楽部代表 日本陸上競技連盟強化委員会ディレクター兼オリンピック強化コーチ(ハードル)。
2007年から日本陸上競技連盟強化委員会の男子短距離部長を務め、世界選手権(2007大阪、2009ベルリン、2011大邱、2015北京、2019ドーハ)、オリンピック(2008北京、2012ロンドン)に帯同。
また、2014年には日本陸上競技連盟の男子短距離部長へ復帰し2016リオデジャネイロオリンピックに帯同し、日本短距離男子チームの責任者として同行した。
1990年代を代表する陸上競技者として活躍。1996年のアトランタと2000年のシドニーオリンピックに出場、世界室内陸上競技選手権大会400mで銅メダルを獲得するなどの活躍を見せた。元400mハードル日本記録保持者。
ブログ
※タイトル・本文に記載の人名・団体名は、掲載当時のものであり、閲覧時と異なる場合があります。