vol.46「2014年箱根」
12月8日(日)南区大岡公園で「第3回南区みなっちランニングフェスタ」に参加してきました。主催は南区体育協会で、私は「走り方教室」を担当しました。対象は小学4年生から6年生で、少し話をし、そのあと走り方の基本をレクチャーしました。意外だったのは参加した小学生が元気いっぱいであったことです。都会の子どもたちなのでおとなしいかと思いきや、非常に活発な子どもたちでした。ちゃんと伝わったのか不安ですが、楽しくやれました。
私は南区蒔田町出身なので、隣町である弘明寺で開催された今回の教室は今まで参加してきた陸上教室や講演の中でも地元中の地元での教室でした。これが本当の地元への還元ですね。参加できてうれしかったです。
アスリートは地元に貢献することは使命であると考えます。できるだけこうしたイベントには参加していきたいと思います。
さて、年が明け、毎年このコラムに書いていますが、正月2日3日は横浜を縦断する箱根駅伝が開催されました。私が監督である法政大学は昨年シード権を獲得し、連続シード権獲得を目標に出走しました。
シード権とは来年の箱根駅伝に予選なく参加できる権利で、優勝争いとともにシード権争いも熾烈です。シード権は10位のチームにまで与えられます。
結果は11位。10位とはわずか50秒の差でした。今年は10月に開催される予選会に出場し予選を突破しなければ来年の箱根駅伝を走ることはできません。
実を言いますと、今年は上位を狙っていました。それが苦戦してしまったのはケガの影響でした。それもエースの故障、そして主力がもう一人ケガをしてしまいました。戦力は大幅なダウンです。3日は8位から11位を行き来して我々スタッフにとって胃の痛い一日でした。
あと50秒の差を埋めるべく、4日からトレーニングを始めました。
適切な言い方ではないですが、スポーツ選手にケガはつきものです。ケガなくトップアスリートになった選手は少ないでしょう。決してケガを肯定するわけではありません。
ケガをするのは本人の責任もありますが、まずはしっかり管理してやれなかった我々スタッフの責任が大きいです。しかし、理解していただきたいのは、ケガをしてしまうギリギリのところでトレーニングをしているということです。より高みを目指すために限界まで追い込んでしまうのです。もしも、これ以上やったら故障、これ以下は強くならないという明確な指標があるのであればそこまで追い込むことはないでしょう。しかし、そこまでやらねば勝つことは難しいのです。やらないと不安で仕方ない時もあります。このあたりを見極めなければなりません。私も世界で勝つために限界まで自分の身体を痛めつけていました。ケガもたくさんしました。しかし、ケガを乗り越えるたびに強くなった気もします。難しいものですね。
勝敗を競うチャンピオンスポーツではケガと隣り合わせではありますが、健康を目的としたスポーツではケガをしてしまっては本来の目的とは外れてしまいますね。
ランニングの傷害の1つに疲労骨折があります。うちの大学でも少し前に大腿部の疲労骨折をした学生がおりました。疲労骨折は骨折と言ってもいわゆる衝突や転倒による「外傷性骨折」とは違います。疲労骨折はスポーツなどによる繰り返しの外力によって骨にひび割れができ、そのひび割れが大きくなったものを言います。
ランナーは硬い路面で繰り返し地面からの衝撃を受けることになります。これは骨が何度も叩かれているのと同じような状態です。骨はこうしたストレスを与えることで強くなるのですが、その程度が過ぎると疲労骨折を引き起こしてしまうことがあります。そのまま継続していくと完全に折れてしまうこともあります。
ランナーの疲労骨折で多い身体部位は
・スネの部分である脛骨
・足部の足背(足の甲)中心部である中足骨 が多いです。
ランニングによる傷害は、当たり前ですが走行距離が多くなるほどそのリスクが大きくなります。したがって走行距離を調整することが大切です。
スポーツ医学の観点からは、中高年ランナーは月間走行距離を200km以内(女性は150km程度)に抑えることを推奨しています。
走行距離のほかに、運動の強度、時間、スピードなども影響します。適切な休憩、栄養補給も重要です。これらを考慮しながら計画を立てましょう。
走っていてスネや足部の足背に鈍い痛みが生じ、それが長く続くようでしたら疲労骨折を疑うことも必要です。早めに診察に行きましょう。
程度にもよりますが、疲労骨折の治癒には1ヶ月ほどかかります。この時、まったくの安静がいいかというと実はそうでもありません。痛みのない程度に軽く動かしても大丈夫です。
くれぐれも無理なく、スポーツを楽しみたいですね。
1969年5月8日生まれ、横浜市南区出身。
元オリンピック陸上競技選手。横浜市立南高等学校から法政大学経済学部、富士通、筑波大学大学院で競技生活を送る。
現在は法政大学スポーツ健康学部教授 コーチ学(スポーツ心理学) 同大学陸上競技部監督 法政アスリート倶楽部代表 日本陸上競技連盟強化委員会ディレクター兼オリンピック強化コーチ(ハードル)。
2007年から日本陸上競技連盟強化委員会の男子短距離部長を務め、世界選手権(2007大阪、2009ベルリン、2011大邱、2015北京、2019ドーハ)、オリンピック(2008北京、2012ロンドン)に帯同。
また、2014年には日本陸上競技連盟の男子短距離部長へ復帰し2016リオデジャネイロオリンピックに帯同し、日本短距離男子チームの責任者として同行した。
1990年代を代表する陸上競技者として活躍。1996年のアトランタと2000年のシドニーオリンピックに出場、世界室内陸上競技選手権大会400mで銅メダルを獲得するなどの活躍を見せた。元400mハードル日本記録保持者。
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