vol.36「長距離黒人」
2月24日(日)第7回東京マラソンが開催されました。東京マラソンは2013年からワールドマラソンメジャーズに加入し、世界のトップクラスの選手が集まる世界メジャーマラソン大会となりました。ワールドマラソンメジャーズは、ボストンマラソン、ロンドンマラソン、ベルリンマラソン、シカゴマラソン、ニューヨークシティマラソンの主要都市で行われているマラソンと世界陸上もしくはオリンピックの結果からポイント制で総合優勝を決める陸上競技シリーズで、2006年から始まっています。男子の過去5回の総合優勝者はすべてケニア人です。今回東京マラソンに優勝したデニス・キメット選手もケニアの選手です。
報道によると、デニス・キメット選手は2006年から“軽い気持ち”でマラソンを始め、現在29歳。これまで農業や酪農をしていたそうです。参りましたね。昨年初マラソンで2時間4分16秒の初マラソン世界最高記録を樹立、東京マラソンは2時間6分49秒で制しました。
ケニアといえば長距離、マラソンの強いイメージがありますよね。マラソンの世界10傑を見るとケニアとエチオピアの選手で占められています。
1位 2時間03分38秒 パトリック・マカウ (ケニア)2011年
2位 2時間03分42秒 ウィルソン・キプサング・キプロティチ (ケニア)2011年
3位 2時間03分59秒 ハイレ・ゲブレセラシェ (エチオピア)2008年
4位 2時間04分15秒 ジョフリー・ムタイ (ケニア)2012年
5位 2時間04分16秒 デニス・キプルト・キメット(ケニア) 2012年
6位 2時間04分23秒 アエレ・アブシェロ (エチオピア) 2012年
7位 2時間04分27秒 ダンカン・キベト(ケニア)2009年
ジェームス・キプサング・クワンバイ(ケニア)2009年
9位 2時間04分38秒 ツェガエ・ケベデ (エチオピア)2012年
10位 2時間04分40秒 エマニュエル・ムタイ (ケニア)2011年
キメット選手は歴代5位です。この10傑後のランキングもケニアとエチオピアの選手が名を連ねます。なんと32位までこの2か国の選手が独占しています。33位にやっとほかの国の選手が出てきます。モロッコの選手です。そして47位にアメリカの選手、48位がブラジル、59位に日本の高岡寿成選手が入っています。高岡選手の記録は2時間6分16秒です。なんと、100傑中、ケニア人61人、エリオピア人27名、2か国で100人中88人です。なぜこの2か国はこんなにマラソンが強いのでしょう。
筑波大学の榎本靖士先生が「ケニア人長距離選手の生理学的・バイオメカニクス的特徴の究明」と題した論文を発表しています。ケニア人選手6名と日本人選手14名を比較し、日本陸上競技長距離界の今後のトレーニングの示唆とすることを目的とした研究です。
まず、生理学的な面では、血液でケニア人の赤血球が小さく、ヘモグロビン量がやや多い。血漿量が多いので血液の粘性が小さかったと報告されています。しかし、日本人選手と差はあまりなく、血液の影響はあまりなさそうです。ただ、榎本先生は粘性が低い分血液が流れやすく、酸素を運びやすいのではないかと推測しています。
差があったものでは、ランニングエコノミーでケニア人選手はランニングエコノミー能力に優れていたと報告しています。つまり、同じ酸素の摂取量でより早く走ることが可能、効率の良い走りができるということです。
また、動作では、ケニア人選手の脚のスウィング動作に特徴があると指摘しています。ケニア人選手は日本人選手と比較して後方にスウィングし、前方に脚を持っていくときに大きな力を使っているそうです。そして、大腰筋が発達しており、アキレス腱が長いそうです。大腰筋は後方から脚を前方にスウィングするときに使う筋です。日本人選手は大腰筋よりも内転筋が太かったそうです。アキレス腱はバネに関係しています。また、頭部の大きさはケニア人選手のほうが小さかったと報告しています。
たしかに、ケニア人は頭が小さくて、多少脚が後方に流れる感じがあり、長く細い脚でバネのある走りが特徴的ですよね。ケニア人選手はその体格や筋組成などの遺伝的な特性に加えてトレーニングによる筋や呼吸循環系などの生理的な発達や走動作の習得によって優れた長距離選手となっているようです。やはり、先天的なものが大きいのですね。その先天的なものにトレーニングや環境が加わりトップ選手を輩出しているのでしょう。日本人選手が近づくことは難しいかもしれません。しかし、それでも勝つために日本人選手は日々トレーニングしているのです。
また、Newtonの2012年8月号に、マラソン世界記録保持者のパトリック・マカウ(ケニア)選手の着地足が「つま先」接地であったことが紹介されています。ケニアのマラソン選手の多くが「つま先」や「中央部」で足を接地して走り続けています。このような走りは「ベアフット・ランニング(はだし走り)」と呼ばれ、固いアキレス腱や高いアーチ状の「土踏まず」によって地面からの衝撃を吸収します。報告によると5%ほどの省エネとなると計算されるそうです。「ベアフット・ランニング」は、普段裸足で走っているランナーにみられるそうで、アメリカの人類進化生物学者のダニエル・リーバーマン博士は「つま先」着地が人類本来の走り方であると指摘しています。
私はランニングの指導で基本的には「かかと」から着地するように指導しています。しかし、「つま先」で走る一流選手も多いことは前から知ってはいました。自分で試したりもしていましたが、なかなか身に付きませんでした。しばらく走り続けると脚底が痛くなってしまうのです。Newtonでも「つま先」での着地は慣れないと怪我をする恐れもあり、一朝一夕では身につかないと指摘しています。
裸足で芝生を走るなどは脚への負担が少なく「ベアフット・ランニング」を試すには良い方法と思います。今後「つま先」接地が日本でも主流になるのかもしれません。興味のあるランナーのみなさん、試してみてはいかがですか。
1969年5月8日生まれ、横浜市南区出身。
元オリンピック陸上競技選手。横浜市立南高等学校から法政大学経済学部、富士通、筑波大学大学院で競技生活を送る。
現在は法政大学スポーツ健康学部教授 コーチ学(スポーツ心理学) 同大学陸上競技部監督 法政アスリート倶楽部代表 日本陸上競技連盟強化委員会ディレクター兼オリンピック強化コーチ(ハードル)。
2007年から日本陸上競技連盟強化委員会の男子短距離部長を務め、世界選手権(2007大阪、2009ベルリン、2011大邱、2015北京、2019ドーハ)、オリンピック(2008北京、2012ロンドン)に帯同。
また、2014年には日本陸上競技連盟の男子短距離部長へ復帰し2016リオデジャネイロオリンピックに帯同し、日本短距離男子チームの責任者として同行した。
1990年代を代表する陸上競技者として活躍。1996年のアトランタと2000年のシドニーオリンピックに出場、世界室内陸上競技選手権大会400mで銅メダルを獲得するなどの活躍を見せた。元400mハードル日本記録保持者。
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