vol.51「ライジングスター」
那須千春選手は所属の日立ソフトボール部のライジングスターだ。ルーキーイヤーだった昨シーズン、驚くなかれ3割9分4厘、ホームラン7本の数字を残した。世界最高峰といわれる日本リーグ1部で高卒ルーキーがいきなり4割近く打ったのだ。ちょっとあり得ないアジャスト力だと思う。活躍が評価され、リーグの新人賞とベストナイン(遊撃手部門)に輝いた。
2年目のシーズン中断期間、日立製作所戸塚グラウンドに那須さんを訪ねた。リオ五輪の開幕直前だ。IOC総会で2020年東京五輪の正式種目として野球・ソフトボール等、5競技18種目が承認される当日(日本時間の「前日」)のことだ。19歳の強打者にどうしても逢いたかった。2020年、順調に日本代表の主軸を張っているとして23歳。どんなことを考えてるんだろう。世界はどう映っている?
ソフトボールがオリンピック競技だったのは2008年、北京大会までだ。那須さんは小学生だった。谷間の時代に選手として成長を遂げたことになる。そして、自国開催のオリンピックという最高の舞台がいきなりひっぱり出される役回りだ。僕は女子サッカーの選手の取材をしても感じることがあるんだけど、たぶんこの状況だと「選手がジャンルを背負っている」んだ。否も応もなく。自分らが頑張ればジャンルの明日が拓ける。自分らがみっともないことをしたら明日がポシャる。これはやりがいがあると同時に責任重大なめぐり合わせじゃないのかなぁ。
「(母校の)上山明新館高校の有住隆先生から何チームか実業団チームを紹介されて、それを聞いた瞬間に私のなかでは山田恵里さん、西山麗さんがいる日立にって決めていました。最初はもう夢みたい。山田さんがいて、西山さんがいて。選手名鑑でしか見たことない人がたくさんいて。そのなかでプレーできることもベンチにいることさえもうれしかったです。日本一の遊撃手・西山さんからは『守備は足だよ、フットワークだよ、無駄な力はとにかく抜いて』って言われながらノックを受けました。『守備はやった分だけ上手くなるから』って手取り足取り」
那須さんは小学生のとき見た北京五輪・日本代表チームを忘れられない。それが山田恵里であり、西山麗なのだ。特に同じポジションの西山選手に対する憧れが強かった。僕は面白いなぁと思う。那須さんの「オリンピック」は人の形をしている。女子ソフトボールは競技から外れても、山田選手、西山選手は人の形をした「オリンピック」だった。
実は当コラムは2年前、那須さんの高校時代を取り上げている。2014年8月25日掲載のvol.27『入道雲』。南関東総体女子ソフトボール2回戦、厚木商業(神奈川)vs上山明新館(山形)の試合だ。後攻め、上山明新館の1番ショートで出場した那須さんは、リリーフ登板も果たし、文字通り投打にチームをけん引した。が、延長戦で惜しくも敗れたのだ。僕は延長8回表、クロスプレーの判定をめぐり、試合が紛糾したシーンの上山明新館・有住監督の毅然とした態度を覚えている。
「判定が不利に働いたせいで負けたと言われたくなかったんで、8回裏は絶対取り返そうって言ってたんです。でも、1点及びませんでした。有住先生は恩人です。何で今、ここまで来れたかっていったら有住先生のおかげです」
那須さんは有住監督の指導で、足を上げて打つフォームを身につけた。足を上げるフォームは一度も考えたことがなかったそうだ。やってみると打球に鋭さが増し、飛距離がグンと伸びた。有住監督は那須千春という選手にキャラクターをつけたのだ。何といっても彼女の武器は打撃力だ。そこがハッキリした。ハッキリすることが選手にとってどんなに大切なことか。
「日立に入って1年目は結果はあまり考えてなくて、試合に出られること、あのメンバーのなかで出られることを素直に楽しんでました。結果的にはそれがよかったんだと思います。やっぱり打球の速さも違うし、足の速さも違う。ピッチャーも外国人で、最初は驚いてたというか、すぐには対応出来なかったです。ついて行けないから私はただグランドでできることだけをやっていた。そんな感じでしたね。
2年目の今はずっと5番ショートですから、自分にプレッシャーをかけて、私が結果を出せばチームは勝つんだと強く思ってやってます。チームが日本一になるために打ちたいし守りたい、チームの為にプレーしたいと思っています」
強豪大学のソフトボール部という進路もあったけれど、実業団入りは一切迷わなかった。最高の環境に身を置いて、最高のレベルのソフトボールがやりたかったのだ。飛び込んでみた日本リーグは思った通り素晴らしい場所だった。今はソフトボールのことだけ考えて夢中でやっている。日本一を獲りたい。鈴木由香監督を胴上げしたい。
「東京五輪や日本代表についてはまだわかりません。でも、日立の那須としての結果がすごい大事になってくると思うんです。今を大事にしたい、今の積み重ねをつなげて行きたいって。打撃にしても守備にしても結果を考えて動こうとしても、いい結果が出たことがないので。次の一球をどう仕留めるか、目の前の一球を確実にアウトにするとか。今、何をしなくちゃいけないのかっていうのを、ひとつひとつやっていきたいなって思ってます」
取材日から時間が経って、那須さんはリオ五輪のメダルラッシュをどうご覧になったかなぁと思う。やっぱり浮つくことなく「ひとつひとつ」を大切にしていこうと思っておられるのかな。僕は今回お会いしてすんごい応援したい気持ちになった。那須千春選手の飛躍を楽しみにしている。
コラムニスト
1959年8月13日生まれ中央大学在学中にコラムニストとしての活動を開始。以来、多くの著書を発表。ラジオ・テレビでも活躍。
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「サッカー茶柱観測所」「F党宣言!俺たちの北海道日本ハムファイターズ」ほか
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