vol.41「ハマボウルの看板」
少し早めに横浜市体育協会に到着したらオフィス全体がざわざわしていた。それもそのはずだ。これからフィギュアスケートの村主章枝(すぐりふみえ)さんが来られる。読者も実感を出すためにちょっと想像してみてほしい。「氷上のアクトレス」だ。02年ソルトレイクシティ五輪5位、06年トリノ五輪4位、03年グランプリファイナルでは日本人初優勝、06年世界選手権2位、四大陸選手権優勝3回だ。つまり、スターだ。そんな人がこれからあなたの会社とか学校にいらっしゃるのだ。そりゃざわざわしますね。
実は村主章枝さんは横浜育ちだ。オフィシャルな出生地は「千葉県千葉市」ではあるけれど、5歳からはずっと横浜がホームタウンだ。スケートを始めたのも横浜だった。その縁もあって06年には第55回神奈川スポーツ賞・オリンピック賞、及び第55回横浜文化賞を受賞されている。また財団法人横浜市体育協会からは横浜スポーツ表彰優秀選手賞を受賞されている。だから協会のオフィス的には「横浜スポーツ表彰優秀選手」が来られる前にざわざわしている状態だろうか。
で、面白いね。村主さんいらっしゃったらピタッと静まるんだ。空気が緊張している。現役を退かれて1年、振付師として奮闘されている今もスターの華がある。パッとそこだけ輝いている感じだ。クールな「氷上のアクトレス」を想像していたが、ぜんぜん違った。エネルギーの塊だ。表情豊かにテンポ良く話す。そして、この人のいいところは全部出してくれるところだ。オープンマインド。たぶんその嘘のない姿が心の強度をつくっている。
「生まれが千葉です。育ちはずっと横浜です。3歳から5歳までアラスカにいて、帰ってきてからはずっと横浜です。スケートを習い始めたのは日本に帰って来てすぐです。アラスカでもちょこっとやったんですけれども。母が英語はすぐ忘れちゃうだろうけど、身体で覚えることだったらアラスカの思い出が一生残るだろうって。スケートのハマボウルの看板が我が家の近くにあったわけですよ。それをうちの母親は幼稚園の送り迎えをするときに毎回見てたわけですよ。それでスケートやらせてみようかって。でも後になって、あぁ、あそこに看板があったのがいけなかった、こんなにお金がかかって大変だと思わなかったって(笑)」
天真爛漫な子供だったそうだ。後の「氷上のアクトレス」は男の子のように活発な子だった。外で遊ぶのが大好き。格好もこだわらない。意外なことに家のなかで人形で遊ぶようなところは皆無だったという。
「小学生に上がったら鎌倉の学校(清泉小学校)だったんですけど、そこの教育がものすごく面白くて、三浦半島の方で月に1回自然教室をやっていて、そこに稲刈りに行ったり、星を観に行ったりっていう体験をしていたんですね。やはりそういうところで感性っていうのは磨かれるっていったらおかしいですけど、自分の中で芽生えるものがあったのかなと思います。横浜で育ってホントによかったと思う。横浜は今でも緑がありますね。自然がたくさんあるなかで遊んで、身体で感じるという体験は横浜じゃなかったらできなかったと思います」
人生を変える出会いは15歳の出来事だった。街はトロント。カナダ人の振付師、ローリー・ニコルさんの薫陶を受けた。目からウロコが落ちる思いだった。ニコルさんは彼女に「芸術としてのフィギュア」という道を示したのだ。
「それまで競技としてのスケートっていう見方しかしていなくて、ジャンプを飛ぶ、回るっていうことしかわからなくて。きっかけは同い年にミシェル・クワンっていう素晴らしい選手がいて、ある年、ものすごく演技が変わったときがあったんです。それを見て、これ何かあるなって思ったら振付師さんっていうのがついたって情報を得て。その当時は振付師さんの存在ってほとんど出て来なかったので、自分もその人と会ってみたいと思ってトロントへ飛んだんです。それがすごいターニングポイントだったんです」
それは後の村主さんの演技をイメージすれば瞬時に理解できることだ。フィギュアスケートというジャンルは、たぶん「体育」と「芸術」の両面を備えている。で、僕ら日本人は何回転ジャンプとか、「体育」的なアプローチでフィギュアを見てきた。一方、外国はバレエの伝統があったり、ショービズの歴史があったり、文化的な厚みが背景になっている。
僕がかつて週刊誌コラムに書いた村主章枝評は「この人だけに見えている世界がある」だった。彼女は「非・体育」といったら言い過ぎだろうが、それに近いアプローチをした。何回転ジャンプではない。氷上にひとつの世界をつくろうとすること。舞台芸術のアプローチだ。
「プログラムをつくってほしいって依頼をさせていただいたんですけど、そのときのつくり方、向き合い方が面白くて。あと提示される題材がバレエだったり演劇だったりものすごく難しくて。でも、ローリー・ニコルに出会って初めてスケートの芸術的な部分に目覚めたんですね」
僕らライターは人が劇的に変わる瞬間に目を向ける。その跳躍をペンで描こうと試みる。そしてもうひとつ好んで描こうとするものがある。人が変わらないでいるさまだ。村主章枝さんは15歳の転機からまっしぐらに生きてきた。人に感動を与える作品をつくろうと一心に突き詰めてきた。
だから引退してもブレることがない。「日本のローリー・ニコル」を目指して、もう走りだしている。彼女だけに見えている世界は依然として広大なのだ。彼女は依然としてトップランナーだ。横浜にスケート環境があって本当によかった。
コラムニスト
1959年8月13日生まれ中央大学在学中にコラムニストとしての活動を開始。以来、多くの著書を発表。ラジオ・テレビでも活躍。
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「サッカー茶柱観測所」「F党宣言!俺たちの北海道日本ハムファイターズ」ほか
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