vol.35「伝説を超えて」
ボクシング好きの友達に「絶対見たほうがいい」と誘われ、今年の2月初旬、後楽園ホールに出かけたのだ。お目当てのメインイベントは日本スーパーフェザー級タイトルマッチ10回戦、王者・内藤律樹(りっき)vs同1位・伊藤雅雪。国内タイトルの日本人対決があれだけ話題になったのは久し振りじゃないか。それもそのはず、「無敗どうし」の激突なのだった。対戦の時点で内藤律樹は11戦11勝(5KO)、伊藤雅雪は17戦16勝(7KO)1分。
僕の世代はチャンピオンの内藤律樹に強い関心がある。所属が石川町の「E&Jカシアスジム」だといえばピンと来る読者もおられるだろう。彼はカシアス内藤の長男なのだ。沢木耕太郎の『一瞬の夏』に描かれた、名トレーナー、エディ・タウンゼントと天才ボクサー、カシアス内藤の物語に学生時代の僕も心揺さぶられたひとりだ。ちょうど『スポーツグラフィック Number』(文藝春秋)が創刊した頃で、新しいスポーツノンフィクションの波が来ていた。
だから決定的な影響を受けたんだと思う。あれから長い月日が経って、こうして僕はまだスポーツを書いている。2月の後楽園ホールは好ファイトに沸いた。挑戦者の伊藤雅雪が強かった。内藤律樹は3度目の防衛戦だったが、これまでのベストバウトではないか。僕は内藤律樹の素晴らしいリズム感と気持ちの強さに魅了された。もちろん赤コーナーのセコンドにはカシアス内藤、リングサイド席には沢木耕太郎の姿があった。
その試合を見てからあちこちで内藤律樹の話をしてまわった。おかげで当コラムの取材も実現するのだが、すっかり調子に乗ってしまった。文化放送のラジオコラムでしゃべったときは反響が大きくて感動した。だって世界タイトル戦じゃないんだよ。いかに『一瞬の夏』や、カシアス内藤という名前が特別なものであることか。
しかし、調子に乗って話すうち気づいたことがある。この話にはあらかじめストーリーがある。僕はときどき考えるんだけど、いちばん伝達力がある話は「聞き手が既にイメージを持ってる話」じゃないか。皆、自分がわかることしかわかろうとしない。知ってることしか知ろうとしない。内藤律樹を見るときは『一瞬の夏』の延長戦だ。一瞬に潰えてしまった父の挑戦を息子が引き継ぐストーリーだ。
自分がまさにその通りであったのを棚に上げて言うのもどうかと思うが、内藤律樹選手、ちょっと面倒くさくないのかな。思い入れたっぷりな視線を浴びて、窮屈じゃないのかな。そりゃ磯子工高で高校三冠を達成したときから、メディアに注目されてトクをした面だって大いにあるだろう。「伝説のボクサーの息子」はアマでも、プロデビュー時も、「親子2代の日本チャンピオン達成(歴代2組目)」時も常に大きな見出しになった。それはプラス面だけもたらしただろうか。「伝説を見るな父を見るな、俺を見ろ!」と叫び出したいような心境には駆られなかったか。
「あんまり感じてないですね。皆に見られるから嫌だな、とかはないですね。ボクシング始めた最初から、内藤会長の息子さんだからボクシング強いんじゃないのって目で見られてたし、プレッシャーに感じたこともあります。でも、それより頑張ってやるぞ、やってやるぞと思った回数のほうが明らかに多いですね」
練習前、ジムの一角でインタビューに応じてくれた内藤律樹選手はすごく率直な印象だった。こちらが拍子抜けするほど素直、かつポジティブだ。僕は(おかしな言い方だが)「伝説」に対する耐性のようなものがある感じがした。この人はそういうのに慣れてる。それか、気にしてもしょうがないから気にしないでやってきた。
何しろ「E&Jカシアスジム」の「E」はエディ・タウンゼント、「J」は父親の本名(純一)から取っている。ジムの壁にはエディさんと現役時代の父の写真が飾られてる。気にしてしまったらそこは「伝説」の真っ只中だ。律樹選手が中学1年の頃、突然、家業がボクシングジムになったのだ。学校から帰ると父も母もジムにいるのだ。
「(『一瞬の夏』は)僕、読んでないんですよ。いっかい本を開いたことはありますけど、すぐやめちゃいました。別に読まなくてもいいかなって。自分が選手終わってから読みたくなるのかもしれないですけど、選手である間は読むことはないと思います」
あぁ、そういうものかと興味深かった。そして賢明なことのように感じた。言葉は一種の呪術でもあるから、目を通してしまったら無関係ではいられない。内藤律樹は内藤律樹の物語を生きるのだ。それが自然であり、健全だと思う。
「僕は世界タイトルとか正直興味ないんですよ。親父の夢だとか、そういうのも全然興味ないんですよ。誰もがあいつすごいな、強いなって言ってくれる、そして誰からもカッコいいって思われるようなボクサーになりたいですね。そのためには強い相手と戦いたいですね。八重樫東選手とローマン・ゴンザレスの試合(2014年9月、WBC世界フライ級タイトルマッチ)がそうだったじゃないですか。あれだけの人が感動したと言ってくれる。そういうのは勝ち負けじゃないと思うんですよね」
伊藤雅雪との対戦で後楽園ホールのファンが感じたことだ。内藤律樹は相手が強ければ強いほど面白いものが出て来る。次の試合が楽しみだ。今、一戦一戦、強くなっている。
※今回の内藤律樹選手とえのきどいちろう氏の対談は、5月20日(水)発行の横浜スポーツ情報誌「SPORTSよこはま」Vol.49内「夢を信じて」でご覧いただけます。
コラムニスト
1959年8月13日生まれ中央大学在学中にコラムニストとしての活動を開始。以来、多くの著書を発表。ラジオ・テレビでも活躍。
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「サッカー茶柱観測所」「F党宣言!俺たちの北海道日本ハムファイターズ」ほか
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