vol.61「サッカーの真っ只中」
サッカーJ3リーグ、Y.S.C.C.横浜の樋口靖洋監督取材は、当コラム取材班に一大衝撃をもたらしたのだ。あまりにも面白かった。そもそもJリーグ監督のインタビューは大ネタだから『SPORTSよこはま』(横浜市体育協会発行の情報誌)と、当ウェブコラムの2本立てで扱う方針を立てていた。が、急きょそれでは足りないと予定変更になった。面白すぎて切るところがないのだ。『SPORTSよこはま』は前・後編に分け、2号にまたがる掲載とした。それから僕は取材したその週、文化放送の朝ワイドに出演して「監督・樋口靖洋」の魅力を語っていた。つまり、事実上の4本立てだ。いまや僕を含めて取材班は皆、樋口さんの大ファンである。そんなことってなかなかない。
取材はY.S.C.C.横浜の練習日、山手の高台にある横浜カントリー&アスレチッククラブ(YC&AC)にお邪魔した。「Y.S.C.C.横浜」と「YC&AC」は名前が似ているが、直接は無関係である。Y.S.C.C.横浜としては借りている練習グラウンドのひとつだ。やっぱりJ3クラブは練習環境も大変だなと思った。というのは、実は以前にも僕らは樋口監督の練習にお邪魔していたからだ。
前回はみなとみらいのマリノスタウンだった。2014年9月25日掲載の当コラムで榎本哲也選手(現・浦和レッズ)を取り上げたとき、横浜F・マリノスを率いておられたのが樋口監督だった。マリノスタウンはJリーグ史上でも特筆すべき素晴らしい施設だった(「だった」と過去形にしなくてはならないのが残念だ)。僕らはあのとき豪華なクラブハウスで、新聞記者に混じって樋口監督の練習後の談話を聞いたのだった。まぁ、マリノスタウンと比較したらどんな練習環境でも見劣りしてしまうだろう。
しかし、どの場所にいても樋口さんの印象は不変なのだった。真っ黒に日焼けして、サッカーの真っ只中にいる。匂いたつような現場のリアリティだ。練習場が似合うとか何とかいうレベルを通り越している。ずっと現場に立ち、心血を注いできたのだ。それがこの人の世界なのだ。
樋口さんの経歴はかなりユニークだ。三重県の四日市中央工業高校から1980年、日産自動車サッカー部(横浜F・マリノスの前身だ)に入部。しかし、早々と現役を退き、85年、日産サッカースクールのコーチに就任している。以来、ユースチームの監督、コーチ、トップチームのコーチを歴任し、2005年、指導歴22年目にして初めてモンテディオ山形の監督に就任、トップチームの指揮を執る。以下に樋口さんのJリーグ(トップチーム)の監督歴を並べてみる。
06-07年 モンテディオ山形、08年 大宮アルディージャ、09年 横浜FC、12-14年 横浜F・マリノス、15年 ヴァンフォーレ甲府、16年~ Y.S.C.C.横浜。
ほぼ1、2年で退任・契約解除を繰り返し、しかしながら監督口が絶えないのだ。こんな人はなかなかいない。サッカーの監督さんは、おそらく他のどのジャンルの監督さんより過酷な仕事だ。平たく言えばあっさりクビを切られる。今年(17年シーズン)も夏を迎える前に鹿島・石井正忠、新潟・三浦文丈、大宮・渋谷洋樹、山口・上野展裕といった各氏がJリーグ監督を退任された。
樋口さんの場合、退任・契約解除を繰り返してるのだから、「結果を出してる監督さん」ではないのだと思う。順位的には13年、横浜F・マリノスの2位が最高で、J1でもJ2でも優勝していない。それでも本当に評判がいいのだ。僕はあちこちで樋口さんの評判を聞いてまわったが、悪く言う人がひとりもいなかった。皆、指導に傾ける情熱、実直な人柄に全幅の信頼をおいていた。その理由はインタビューしてすぐにわかった。
「僕が最初に指導した子どもに川崎フロンターレでプロになった寺田周平がいたんです。教え始めてどんどん上手くなってくれて、指導の手応えを感じていたら、別のコーチから「寺田いいなぁ、お前にそっくりだな」って言われたんです。ハッと思いましたね。自分の持ってるものをいっしょうけんめい教えたんですけど、それだと25歳で選手をクビになった僕くらいの選手にしかなれないんです。僕自分の発想以上のことを伝えていく必要性を気づかせてくれました。具体的には当時は(木村)和司さんや(水沼)貴史さんという代表クラスの選手のプレーを見せるようにしました」(樋口さん)
育成コーチ時代の「思い出に残る選手」を尋ねたとき、スッと出てきた話だ。指導者としての気づきである。寺田周平というプロになれる素材を「25歳でクビになった自分」という枠内にとどめてはいけない。教えすぎてはいけない。それは子どもの無限の可能性にフタをする危険がある…。そんなことが言える指導者が、世の中にどれだけいるだろうと思う。そこに気づくことのできる客観性、教え子の才能に対する信頼、率直にそれを言葉にする誠実さ。これらは一流のコーチが備えているものだ。
樋口さんのサッカー観は明快だと思う。「主体性」と「達成感」を重んじるのだ。僕は育成から叩き上げられたキャリアの結晶をイメージする。やらされるサッカーには魅力がない。やらされる選手にも魅力がない。聞いていて胸のすく思いがした。
「(トップチームは)プロの世界ですから、選手たちは試合に出てなんぼなんですね。試合に出られる、出られないという選手の心の葛藤をチームとしてひとつの方向にまとめられるか。育成と全く違う部分ですね。僕が選手のときに感じていたことと同じように『使ってもらえない』という葛藤を持ちながらやっているような選手たちに対して、しっかりとアップローチをかけながら前を向かせていく。
「すべての選手に武器を出させて勝負させる。達成感が積み重なってチャレンジへの意欲になることを僕は子どもたちへの指導で経験してましたから、試合に出られてない選手たちにもこの部分では勝負できることに気づかせて、勝負してやるという気持ちに仕向けるんです。僕の経験から言うと例えば紅白戦で控え組が強いとき、その週の公式戦はだいたい勝ちます。それはつまりチーム全員が必死にやっているということなんです。チームの意識、準備が完成しているんですね」
「野球は監督がバントのサイン出したらバントしなきゃいけない。サッカーはシュート打とうがドリブルしようが、それはそれぞれの判断。サッカーの魅力は、主体的にプレーすることです。自分は何をアピールしたらいいか、一流の選手はそういうことをわかっています。だから自分が監督のチームは、主体的な試合がしたいですね」
つまり、パターンナイズされた戦術(例えば日韓W杯でトルシエジャパンが採った「フラット3」が好例だろう)を樋口さんは好まない。パターン化したほうが強化に即効性があったとしても、それは本当の強化ではないという考え方だ。おそらくはハードルの高い発想だ。
「高いです。すごく難しいですね。パターン化してトレーニングした方が、選手も覚えやすいし、型にはめた方が戦術の理解度も深まります。チームの勝ち負けを考えたらその方が早いのかもしれませんが、自分としては嫌なんですよ。選手から主体性を奪ったらサッカーは面白くない」
僕は極めつけの「ザ・コーチ」という感じがした。そして、樋口靖洋という個性が横浜の地に戻ってきたのを嬉しく感じる。Y.S.C.C.横浜での取り組みはどんなことなのだろう。
「チームのスタイルをちゃんと作らないといけないと、吉野理事長と確かめ合って引き受けたんです。順位を上げるっていうのは僕の大事な仕事でコミットメントのひとつです。だからといって、守って守って守備的に戦って順位がちょっと上がったけれども次の年に何も残らないようなサッカーはどうなのか。5年後、10年後、20年後に続くサッカーのスタイルを構築する。チームのスタイルというものを大事にしながら順位を上げていくチャレンジをしようと理事長は言ってくれたんで。僕のイメージする主体的なサッカーをやろう、やらなきゃいけないと。
「Y.S.C.C.横浜はJリーグが始まる前に地域発で始まったクラブです。そのトップチームである我々はこうであるというスタイルを示せなかったらダメだと思っています」
樋口さんのサッカー観はブレない。僕はJ3に自らのスタイルを持ったサッカークラブが育ったら、日本サッカーは新しいフェーズに入ると思う。Y.S.C.C.横浜に注目してほしい。樋口靖洋監督に注目してほしい。
コラムニスト
1959年8月13日生まれ中央大学在学中にコラムニストとしての活動を開始。以来、多くの著書を発表。ラジオ・テレビでも活躍。
Book
「サッカー茶柱観測所」「F党宣言!俺たちの北海道日本ハムファイターズ」ほか
Magazine/Newspaper
「がんばれファイターズ」(北海道新聞)/「新潟レッツゴー!」(新潟日報)ほか
Radio/TV
「くにまるジャパン」(文化放送)/「土曜ワイドラジオTOKYO」(TBSラジオ)ほか
Web
アルビレックス新潟オフィシャルホームページ
「アルビレックス散歩道」
Web
ベースボールチャンネル
「えのきどいちろうのファイターズチャンネル」
※タイトル・本文に記載の人名・団体名は、掲載当時のものであり、閲覧時と異なる場合があります。