vol.33「道場に球場がくっついている」
横浜スタジアムの一角に剣道場があるのをご存知だろうか。JR関内駅の改札を出て、横断歩道を渡って公園に入る。内野席へ行くお客さんはなだらかなスロープを上っていく。そのスロープの脇、チケット売店の奥のところだ。ガラス張りの剣道場が見える。僕は一体、どういういきさつなんだろうとずっと気になっていた。
プロ野球の球場である。剣道場の並び、もっと外野方向へ行ったあたりにはベイスターズのグッズ売店がある。それはそういうもんじゃないのかな。球場に併設される「テナント」って大概は売店だと思う。あるいは東京ドームのように野球体育博物館が入ってるケースもある。が、ハマスタは剣道場だ。野球から離れている。
例えば球場内で筒香嘉智が会心の逆転3ランを放ち、大いに沸いているとしよう。それとは全く別個の剣道場では稽古が重ねられている。裂帛(れっぱく)の気合で「胴っ!」と踏み込んでいる。同じ敷地内にありながら無関係に時間が流れている面白さ。
いや、僕は茶々を入れてるのじゃなく、いい感じだなぁと思っている。あれはハマスタの個性の一部だと思っている。で、いっぺん機会があったら是非ともお話をうかがいたいと思っていた。僕は野球ファンとしてハマスタに行くわけだけど、考えてみればこんなに頻繁にお近くを通る剣道場もない。「日本一、接点のある道場」と申し上げたいのだ。
あらためて剣道場の前に立つ。「少年剣道部員募集」の看板。ガラス戸には金文字で「剣道横浜公武会」とある。(あんまり他の道場を知ってるわけじゃないが)ガラス戸、ガラス張りってだけでそもそも珍しいのじゃないか。球場に併設されたテナントだから、片面のみがガラス張りだ。で、道場の外にも内にも、建築強度を保つべく斜めの柱が建っている。たぶんこれはガラス張りじゃなかったら、ピッチャーブルペンであってもおかしくないスペースだ。
「失礼します!」と道場にお邪魔する。床面は使い込まれ、雰囲気がある。正面に国旗と神棚、両サイドには防具棚。この時間は小学生の少年剣士が竹刀を振るっている。一歩入って、これは剣道を主語にして話全体を考え直す必要があるぞと直観した。僕らは(あるいは世の中の大半は)「野球場に剣道場がくっついている」とばかり思っているが、もしかすると「道場に球場のほうがくっついている」のかもしれない。占有スペースは確かに野球のほうが広大だが、こういうものは広い狭いの比較ではないだろう。少なくとも「横浜公武会」の会員の皆さんにとっては、間違いなく「道場に球場がくっついてる」状態のはずだ。
「町道場」という言葉が浮かんだ。僕の語彙では時代劇に登場する北辰一刀流・千葉道場みたいな場所だ。横浜公武会は現代の都市空間にあって、堂々、「町道場」の矜持(きょうじ)を保っている。 岩﨑守会長のお話をうかがった。驚くなかれ、道場は何と昭和8年、「体育協会公園道場」として発足していたのだった。
「戦前から続いている歴史ある道場なんです。おととし創立80周年、今年で82年になります。昔はこの場所に平和球場(戦前は『横浜公園球場』、戦後、いったんGHQに接収され、返還後、『横浜公園平和野球場』に改称される)があって、道場はそのスタンドをお借りしていたんです。終戦からしばらくはGHQによって剣道禁止が通達されたことがあって、その時期は会の活動が中断しました」
戦前の「横浜公園球場」にクリケット場があったことは知られているけれど、剣道場もあったんだなぁ。しかも、球場のスタンドを利用していたとは(!)。認識が色々と改まる。特に僕が興味深かったのは横浜公園の位置づけである。僕らは関内駅の「関内」の開港場というイメージに引っ張られ、つい外来の「スポーツする精神」が最初に定着した港町、と横浜を図式的にとらえてしまう。
それは一面確かなことだけれど、それだけじゃないんだなぁ。おそらく日本最初のスポーツ複合施設でもあったような横浜公園にはちゃんと剣道場も存在した。ハマスタに立地する横浜公武会はその伝統を現代に伝えていた。
【横浜公園体育館柔剣道場 (出典:「横浜スポーツ100年の歩み」より)】
「公武会はGHQの剣道禁止のほか、平和球場の取り壊し(昭和52年。中消防署日本大通り出張所を借りて、道場が続く)も乗り越え、横浜スタジアム完成(翌昭和53年)と同時に新道場を発足させました。はい、家賃を横浜市公園緑地課に納めています。会員は一般が150人、少年が20人。クラブチームのような成り立ちですね。道場主は存在せず、みんなの会費で運営されています」
社会人の一般会員にとっては交通アクセスが良く、防具や竹刀がキープでき、シャワー室が使える点が大好評のようだ。会社帰りに手ぶらで稽古に来られ、汗を落として電車に乗れる。
「ホントに30分だけ竹刀を振りたいって来られる会員もおられますよ。それから週末、船に乗ってる会員さんが昼休み、この近くに船が着くんですね、10分でいいからって稽古に来られる。横浜という土地ならではだと思いますね」
会の年間行事でいい情景だなぁとしみじみしたのは「除夜稽古」という、大晦日23時から1時までの年越しの行事だ。新年を迎える瞬間は稽古を止めて、皆、正座して待つのだという。もちろん横浜の年越しの瞬間は港の船がいっせいに汽笛を鳴らす。それを静かに聴いて、おめでとうございますと一礼するのだそうだ。岩﨑会長に「それ、カッコいいですねぇ」と申し上げたら、「だけど、昔と違って今はあんまり聴こえなくなりました」と笑っておられた。
(写真左)剣道横浜公武会 岩﨑守会長(左)とえのきどいちろう氏(右)
コラムニスト
1959年8月13日生まれ中央大学在学中にコラムニストとしての活動を開始。以来、多くの著書を発表。ラジオ・テレビでも活躍。
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