vol.28「キーパーは一日にして成らず」
僕は「GK族」と呼ばれる人たちにかねて関心を持っている。ゴールキーパー。ゴレイロ。ゴーリー。個性が際立っているのだ。変人、マイペースと評される選手も多い。取材すると話が100パー面白い。野球のキャッチャーが「グラウンド上の監督」と表現されるのにも似ている。チームのなかでひとりだけ全体を見ている。景色が違う。リズムが違う。つまり、苦労のしどころが違う。
だもんでサッカー、フットサルはもちろん、アイスホッケー、ハンドボールetc、と「GK族」に話が聞けるとなったら飛んで行くのだが、今回は大ネタだ。横浜F・マリノス(以下、横浜FMと表記)の正キーパー、榎本哲也選手。 もう、スタジアムでずっとプレーを見てる選手だ。見てるだけじゃなくて、僕も名前に「榎」が付くので勝手に親近感を持っている。 横浜FMは一時期、「榎本達也」選手と「榎本哲也」選手という、一字違いのキーパーが2人いる、「榎」陣営からすると実にたまらないチームなのだった。
そして榎本哲也選手こそ横浜FMの生え抜き中の生え抜き、プライマリーからF・マリノスひとすじ、かつキーパーひとすじという素晴らしいキャリアの持ち主なのだ。画期的なインタビューイ(※インタビュー対象者)だと思う。書き手としては彼の人となりを通じて「横浜FMとはどんなサッカークラブなのか?」、そして「GKとはどんな職種か?」という2つの事柄にスポットを当てられる。
で、ICレコーダーをセットするなり、単刀直入に質問してみた。「GK族っていうのはどうやってできるものなんでしょう? そもそもの最初はキーパーっぽい性格の子が『はい、俺、キーパーやります』って手を上げてキーパーになるんですか? それともキーパーをやってるうちにキーパーっぽい性格になるんですか?」。
話のニュアンスは「血液型占い」に似ているかもしれない。たぶん読者も一度は同じことを考えたことがあるはずだ。「几帳面なA型人間」はA型に生まれたから几帳面になるのか、それとも周囲から「きっちりしてA型っぽいね」とか「A型のくせにだらしないよ」なんて言われてるうち、後天的に「几帳面なA型人間」になるのか。あ、ちなみに血液型と性格との因果関係は現在では否定されていますよ、念のため。
「僕は活発な子供でしたね。ぜんぜんキーパーっぽい性格じゃなかったと思います。いちばん最初は小学校3年くらいのとき練習で、『キーパーやりたい子〜?』って言われて手を上げたんです。何で上げたのかは今でもわからない。まぁ、小学生の頃は背が大きかったのもありますね。でも、ホントにたまたまです。そうしたら何となくキーパーやる流れになって、僕、小学生からずっと『1番』をつけてるんです」。
おお、「1番」人生は偶然始まったのか。すごく面白いことだと思う。僕が爆笑したのは小学生時代の榎本少年がキーパーに決まって、お父さんからめっちゃ怒られたというエピソードだ。
「何でなんですかねぇ、キーパーなんかになりやがってって。たぶん昔の考え方だと、プレーヤーとして劣ってる子がキーパーになるみたいなイメージだったんじゃないですか。やってるうちにやっと理解してくれて、応援してくれるようになりましたけど。最初はキーパーなんかダメだって、ホント怒られましたね(笑)」
それがプロでキャリアを重ねるようになるんだから世の中わからない。もっともキーパーを反対されたというのは、最初のうちだけだ。榎本少年も「やってるうちにシュートを止める面白さに気づいた」そうだけど、ご家族も同じだったに違いない。全面的なバックアップ体制をとってくれた。ジュニアユースくらいからは背を伸ばすために牛乳をじゃんじゃん飲まされることになる。
「コーチからは最低180センチって言われて…、うちは両親がそんなに大きくないので、『牛乳飲め牛乳飲め』って毎日…、僕、牛乳嫌いになりましたもん。あとはうち、酒屋なんでツマミで小魚とアーモンドがパックされたやつがあって、あれ食べさせられましたね。でも、おかげで180にぎりぎり届きました。感謝してます(笑)」。
榎本哲也選手は育成年代から目立つ存在だった。反応の良さ、身体能力はもちろんだけど、一途でひたむきな性格が可愛がられたのだった。語り草になってるエピソードがあって、それは中村俊輔のFK練習にまだ10代の彼がつき合わせてもらった話だ。超一流のFKを毎日受け続けたことがどれだけ若者の力になったことか。
「ユースの頃、駅から練習場へ向かってたら俊輔さんのクルマが後ろから来て、乗ってけって。それから何となくFK練習するから付き合えって言ってもらえて。個人練習です。俊輔さんが蹴って、僕がゴールを守るだけ。それがぜんぜん捕れないんですよ。こんなすごいんだと思いました。それが毎日毎日でした。あれから試合も含めてFKいっぱい受けてますけど、俊輔さんがいちばんですね」。
榎本哲也選手の場合、名キーパーが出来上がるには環境も大きいんだなぁと思わざるを得ない。活発なサッカー少年がキーパーを任されて、恵まれた環境のなかでぐんぐんキーパーになっていく物語。最初からキーパーなキーパーはいないのかもしれない。どんなプロのキーパーにも、最初や途中があって、それはかけがえのない宝石みたいな日々なのだ。僕は榎本哲也選手のサッカー人生をまぶしく見つめる。
コラムニスト
1959年8月13日生まれ中央大学在学中にコラムニストとしての活動を開始。以来、多くの著書を発表。ラジオ・テレビでも活躍。
Book
「サッカー茶柱観測所」「F党宣言!俺たちの北海道日本ハムファイターズ」ほか
Magazine/Newspaper
「がんばれファイターズ」(北海道新聞)/「新潟レッツゴー!」(新潟日報)ほか
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Web
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「えのきどいちろうのファイターズチャンネル」
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