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えのきどいちろうの横浜スポーツウォッチング

vol.24「平沼さん」

今月はひょんなことから偶然に取材が始まったのだ。こんな展開もあるんだなぁと新鮮だった。しかも大収穫だ。たまにはダンドリのない、アポなし、ノープランの企画もやってみるものだと勉強になっちゃったもんなぁ。えーと、順にお話しよう。5月の薫風のなか、僕が三ツ沢公園あたりを歩いてたと思ってください。バスを降りてニッパツ三ツ沢球技場へ向かう。J3の試合を見に来た。Y.S.C.C.の応援ですよ。

で、降りてふと見ると平沼記念体育館が目に入った。ていうか、いつも目に入るんです。僕はサッカー誌で連載を持っていたことがあるから、三ツ沢はよく取材に来た。バスを降りると平沼記念体育館を左手に見て、公園へ入っていく。平沼記念体育館はちょっと灯台みたいなタワーがついてて、洒落た建築物です。あぁ、三ツ沢へ来たなぁと実感がわく。で、ふと思ったんです、「平沼記念」の平沼さんって誰だろう?

人物名ってそうそうは建物に冠することないでしょう。外国だったら「エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ」のようにかつての名選手の名前がつけられたりする(サンティアゴ・ベルナベウはレアル・マドリードの名選手だっただけでなく、引退後は会長職を務めた名士でもあった)。平沼さんはアスリートだったのだろうか。と考えながらスタジアムの前まで来て、またまたふと右手の像が目に入ったのだ。たいまつを掲げて走るブロンズ像。あれは何だったっけとちょっとのぞきに行って仰天した。タイトルが「平沼さんの像」だった(!)。
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【昭和37年建立「平沼さんの像」】

いや、だけど「平沼さんの像」の説明がない感じがすごい。平沼○○とフルネームにすることなく、「平沼さんの像」。そりゃあなた、「平沼さん」ですよというニュアンスだ。説明不要でしょ、あの「平沼さん」だもん。ご存知の「平沼さん」。皆に慕われた「平沼」さん。像を見上げて、案外、年齢のいった人物だと驚いた。青年像だと勝手に思い込んでいた。これはもしかするとアスリートじゃないかもしれない。だけど「平沼記念体育館」があって「平沼さんの像」があるんじゃ、三ツ沢公園は平沼さんが締めたも同然じゃないか。

Y.S.C.C.の熱戦が終わって、サッカー少年の一団とスタジアムを後にする。で、歩いていくと今度は右手に平沼記念体育館だ。もう、辛抱たまらなかった。アポなしで追い出されたら追い出されるだけのこと。勇気を出して正面玄関へ向かう。「横浜市平沼記念体育館」という石のプレートが建てられている。灯台みたいなタワーは展望台になっているみたいに見える。これは一般が入っても大丈夫な場所なのか。まぁ、公共の体育館だったら入っても良さそうだよなぁ。
えのきどいちろうの横浜スポーツウォッチング【横浜市平沼記念体育館】

そうしたら平沼記念体育館は素晴しいところだった。マジで感動したのだ。まず、最初に言っておきたいのは、建物がオープンな性質だという点だ。迷惑行為や非常識な行動さえなければ、誰でもぶらっと入っていける。体育館フロアは予約が必要だけど、展望室、記念品展示室、休憩所は一般に開放されている。まず展望室へ上がるのをおすすめしたい。らせん状の階段を上がって、灯台のように見えたタワーの上部。ぐるっと360度、窓から景色が眺められる。桜の季節が見事だそうだ。が、5月の緑も素晴しい。これまで展望室へ上がらず、脇を素通りしてたなんて大失敗だなぁ。

展望室をぐるっと歩いて横浜市街を一望するぜいたくに浸っていたら、説明書きがあって「平沼方面 平沼亮三氏の祖父と父が開拓した土地です。横浜市西区にある地区で、ほぼ帷子川とその派流・石崎川にはさまれた地域、現在の町名は平沼一、二丁目および西平沼町で、主に商店街・住宅地になっています。この地域を開発した江戸時代の豪商、平沼家の名にちなんでついた地名です」となっている。その窓から眼下に見おろすのが平沼地区(の方角?)なのだ。
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【過去に思いを馳せつつ、平沼方面を眺めると「みなとみらい地区」が一望】

「江戸時代の豪商・平沼家」「平沼亮三氏の祖父と父が開拓した土地」、こう、クイズでいったらヒントを出された気分だ。ルーツは江戸時代から横浜で知られた商家だった。こりゃ「平沼さん」、相当な大物だぞと思って、展示室へ入っていく。読者よ、それが僕なんかの想像をはるかに超えた大物だった。いや、感動するから絶対見に行ってほしいですよ。

「平沼さん」が何者なのか? アスリートなのか政治家か、という疑問のアンサーは「そのどちらでもある」じゃないだろうか。おそらく資料的なまとめならば、平沼亮三氏は政治家としてカテゴライズされるだろう。明治41年、29歳で神奈川県議会議員に当選、同43年に横浜市議会議員、大正13年に衆議院議員、昭和7年に貴族院議員を歴任する。戦後は昭和26年、横浜市長に当選、二期7年10ヶ月を務め、在任中79歳で亡くなり、市民葬をもって送られる。財界にあっては横浜商工会議所会頭、またスポーツ界においては戦前の大日本体育会会長、戦後の横浜体育協会会長の要職につかれて、昭和30年、スポーツ界初めての文化勲章を授与された。「横浜スポーツの父」とも称される方なのだ。

が、スポーツ界の要職についたから「横浜スポーツの父」なのかというと、少しニュアンスが異なる気がする。展示室を見ればそのわけは一目瞭然。まず何より古色蒼然たる木製バットが戦前、最も華やかだった六大学のそのまた華、「慶應大学野球部の4番バッター」だった「平沼さん」の姿を伝えてくれる。というか「平沼さん」は美男でスポーツ万能なのだ。僕は加山雄三の映画「若大将」シリーズを連想した。映画の若大将をもっとノーブルにして、華やかさをアップさせた感じとでもいうか。
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【木製バットをはじめ様々な展示品と、若かりし頃の平沼さん】

三ツ沢球技場前の「平沼さんの像」は昭和30年、第10回国民体育大会神奈川県大会で炬火の最終ランナーとして炬火台に点火した勇姿なのだった。翌31年新年の歌会で昭和天皇から「松の火をかざして走る老人の おおしき姿見守りにけり」の歌を贈られている。それは「平沼さんの像」も建立されるだろう。なるほど納得だ。

で、体育館を最後に見学したんだけど、天井の骨組みが見えるモダン建築だ。これは昭和遺産ではないか。1970年建造というから大阪万博の「太陽の塔」と同い年である。カッコいい体育館だなぁ。さすがに電気とか水まわりは直しながら使ってるというけれど、建物自体は東日本大震災にも耐えて、帰宅困難者等の一時避難所にも活用されたという。昭和史、平成史を生き抜いた「平沼記念体育館」にもっとスポットが当たるといい。横浜の知られざる名所ではないか。

えのきどいちろうの横浜スポーツウォッチング

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【(写真左)vol.19で取材したY.S.C.C.理事長・吉野次郎氏と話をするえのきど氏】
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えのきどいちろうの横浜スポーツウォッチング Y.S.C.C.理事長の吉野次郎氏
【「ここの筋肉がすごいよ」と興奮するえのきど氏。下から見上げると迫力があります。】

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【展示室を案内してくれた平沼記念体育館職員の砂川惠一さん】

えのきどいちろう プロフィール

コラムニスト

1959年8月13日生まれ
中央大学在学中にコラムニストとしての活動を開始。以来、多くの著書を発表。ラジオ・テレビでも活躍。

Book
「サッカー茶柱観測所」「F党宣言!俺たちの北海道日本ハムファイターズ」ほか

Magazine/Newspaper
「がんばれファイターズ」(北海道新聞)/「新潟レッツゴー!」(新潟日報)ほか

Radio/TV
「くにまるジャパン」(文化放送)/「土曜ワイドラジオTOKYO」(TBSラジオ)ほか

Web
アルビレックス新潟オフィシャルホームページ
「アルビレックス散歩道」

Web
ベースボールチャンネル
「えのきどいちろうのファイターズチャンネル」

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