vol.5「横浜・健志台キャンパス」
秋だ。空気がカラッとしている。横浜市体育協会でこのコラムを担当している中邨啓二(ナカムラケイジ)さんから素晴しい申し出があった。「日体大の横浜・健志台キャンパスへ行きませんか? 僕が案内します」。中邨さんは平成7年卒業の日体大OBなのだ。一般入試で入ってサッカー部で4年間を過ごした。母校を当コラムで紹介できる日を心待ちにしていたようなのだ。
「え、日体大って駒沢通りじゃないの?」 僕は世田谷区に住んでいたことがあって、日体大っていうと東京のイメージがある。千歳船橋から小田急バスでよく横を通った。あれは世田谷区深沢だ。馬事公苑から駒沢公園へ抜ける途中、住宅地だが何となく緑のイメージが強いなぁ。
「駒沢通りの東京・世田谷キャンパスも今年6月、世界水準の施設・教育研究環境で新装されたんですけど、僕が思い出深いのは青葉台の横浜・健志台キャンパスなんです。健志台は昭和46年にグラウンド開きが行われて、当時は健志台グラウンドと呼ばれていたんですけど、その後、体操競技館等、施設を充実させて、東京・世田谷キャンパスと両輪の働きをしてきたんです」
そうなのか、日本体育大学は横浜の学校でもあったのか。これは認識不足だった。田園都市線の青葉台駅から直通バスで10分だ。あ、そうそう、ここでクイズです。日本体育大学。読み方は「にっぽんたいいくだいがく」でしょうか? それとも「にほんたいいくだいがく」でしょうか? 正解は「にっぽん」です。昭和56年、呼称を「にほん」から「にっぽん」に正式に変更しています。
「中邨さん、それはアレだね、日体大って略称の『にっ』の小さな『っ』の部分も齟齬(そご)がなくなったわけだね」
「そうですね、『にほんたいいく』だと小さなつがなくて、にたいだいになりかねませんね(笑)」
そんなことを言いながら青葉台から「日体大」行きのバスに乗る。日頃の行いのせいか、取材日は天候が悪かった。ザーッと雨になったり、上がったりをくりかえしている。
正門にバスが到着して、感動したなぁ。正門脇にでっかく「ロンドン五輪 応援ありがとうございました!」という垂れ幕が掲示されている。そこに並んだ在校生・OBオリンピアたちの名前がすごい。「金 内村航平(体操競技)」 「銀 内村航平(同)、山室光史(同)、北島康介(競泳)、丸山桂里奈(サッカー)、近賀ゆかり(同)、川澄奈穂美(同)」「銅 松本隆太郎(レスリング)、早川漣(アーチェリー)」「4位入賞 北島康介(競泳)」「5位入賞 北島康介(競泳)、箱山愛香(シンクロ)、糸山真与(同)、湯元健一(レスリング)」「6位入賞 堀畑裕也(競泳)」「7位入賞 鶴見虹子(体操競技)、松本弥生(競泳)、菅原智恵子(フェンシング)」「8位入賞 鶴見虹子(体操競技)、松本弥生(競泳)、田中理恵(体操競技)、阪本直也(カヌースプリント)、高橋美帆(競泳)、長谷川恒平(レスリング)、齋川哲克(レスリング)、中野希望(フェンシング)、佐藤冴香(バドミントン)、岩本亜希子(ボート)」
正門からなだらかな坂を上がると右手に陸上トラック、前方に百年記念館が見えてくる。やっぱり大変な施設だなぁ。健志台キャンパスは広さ、東京ドームの3.5倍だという。坂道の左側にプールがあった。「えのきどさん、ここです。屋外なのに温水プールとして話題になったプールです」。え、そんなものすごいプールなの? ごっついなぁ、横浜・健志台キャンパス! 中邨さんが胸を張るのもわかる。ジャージ姿の学生が坂道を行き交っている。女子学生が意外と多いのが印象深かった。
僕はとにかく学食と購買をのぞきたかった。購買では日体大グッズを買う気まんまんだ。さすがにスポーツウェアが充実している。ワゴンセールで校名入りトレーナーが1000円になっていた。すんごい迷った末に校名入りのポロシャツを購入。たぶん着てるだけで35倍くらい健康になった気がするだろう。取材のとき、大いばりで着ていこう。
学食は銀座・スエヒロが入っていた。これは期待大だ。ショーケースをのぞくと北島康介と中村礼子のサイン入り学食プレートが飾られている。メニューは安くてボリューム満点。注目すべきは「健志台ランチ」が金・銀・銅と3種類あって、それぞれ鉄板焼、チーズのせジャンボメンチカツ、チーズハンバーグと野菜コロッケであったことだ。さすがは第9回アムステルダム五輪(1928年、昭和3年)以来、オリンピアを輩出してきた学校だ。もちろん金の食券を買った。それが読者よ、めっちゃ旨い! 日体大横浜・健志台キャンパスは、大学スポーツの試合会場として一般にも開放されているから是非、機会があればご賞味いただきたい。ちなみにこの学食で一日に炊くゴハンの量は2俵半(約160kg)だそうだ。
米本記念体育館をはじめ、沢山の施設を見学させていただいた後、僕らはキャンパスの奥へ進んだ。いよいよ今日のクライマックスだ。横浜市体育協会・中邨啓二さんが4年間を過ごしたサッカーフィールド。雲間から陽がさして、いい情景だった。木立ちの道の向こうに人工芝のサッカー場が見える。中邨さんは実家が横浜なのに、寮に入ってサッカーづけの日々を過ごした。空気が澄んでいる。中邨さん、すっかり懐かしそうな顔になった。
人工芝ピッチでは女子選手が2人、ボールを蹴っていた。インサイドで正確に相手の足元へ。学生スポーツは終わりが来るからせつないんだよなぁと僕が言う。中邨さんが「そうですね、学生生活最後の試合、なんて言ってましたね」と笑って、もう一度、女子選手らのほうへ目を向ける。ここには青春と呼ぶしかないリアリティがある。しばらく僕らはその場にたたずんでいた。
コラムニスト
1959年8月13日生まれ中央大学在学中にコラムニストとしての活動を開始。以来、多くの著書を発表。ラジオ・テレビでも活躍。
Book
「サッカー茶柱観測所」「F党宣言!俺たちの北海道日本ハムファイターズ」ほか
Magazine/Newspaper
「がんばれファイターズ」(北海道新聞)/「新潟レッツゴー!」(新潟日報)ほか
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「くにまるジャパン」(文化放送)/「土曜ワイドラジオTOKYO」(TBSラジオ)ほか
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Web
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