vol.2 「ドカベンたちの聖地」
JR保土ケ谷駅からバスで坂道を登る。地形の高低差に保土ケ谷の「谷」という字を思い浮かべる。バスは住宅地を抜けて、県立保土ケ谷公園の緑地に囲まれる。丘陵の突端、坂東武者が城でも構えそうなところに「保土ケ谷・神奈川新聞スタジアム」が所在する。ちなみに住所を言うと横浜市保土ケ谷区花見台4-1である。桜の名所なのだ。
【保土ケ谷・神奈川新聞スタジアム】
が、通称・保土ケ谷球場は間違いなく日本一有名な地方球場だ。神奈川県高校野球の聖地である。かつて「東海大相模の原辰徳君」や「横浜高校の松坂大輔君」がこの球場で大活躍した。それから水島新司氏の人気マンガ『ドカベン』の舞台としても知られる。山田太郎や里中や岩鬼がこの球場で大暴れした。神奈川県予選のライバルたち、不知火や雲竜、土門らの存在感も忘れ難い。バスに乗る僕の意識は完全に「聖地巡礼」だった。
取材に訪れたのは3回戦、第1シードの強豪・東海大相模の初戦の日に当たっていた。第1試合が東海大相模×橘学苑、第2試合が三浦学苑×立花学園。球場前には第2試合の立花学園応援のご父兄がオレンジのシャツで勢ぞろいされている。ま、「ご父兄」というがお母さん方が主力だ。立花学園は足柄上郡松田町の学校だからバスを連ねていらっしゃったのか。皆さん、超テンション高い。もうすぐ行われる試合への期待感の高さだ。
「一般500円」のチケットを買って球場内へ入る。スタンドは10年ちょっと前、改修されていて厳密に言うと「東海大相模の原辰徳君」や『ドカベン』の頃とは違っている。通路を抜けてグラウンドが見えた。感動する。いつもテレビ神奈川の高校野球中継で見ている光景だ。スコアボードの形状が『ドカベン』そのもの。両翼95m、センター120m、収容人員は約1万5千人。
【保土ケ谷・神奈川新聞スタジアムのスコアボード】
素晴しいなぁと思ったのは内野スタンドを広く覆っている屋根だ。夏の高校野球予選は炎天下の試合だから、観客も熱中症&日焼け対策が大変だ。熱中症の方はスポーツドリンクを摂るなどして、水分補給を心がけるしかないが、問題は日焼けなのだ。場慣れた高校野球ファンは日傘や麦わら帽やすだれ付きの帽子、腕カバーの類いで完全武装するけれど、僕は大体いつも鼻のあたまや手足を赤くしている。大汗をかくから日焼け防止クリームが流れてしまったり。保土ケ谷球場なら屋根が日よけになってくれる。
【内野スタンドを広く覆う屋根に注目】
これは特筆すべきことだ。こんなにいいコンディションで見られる地方予選会場は全国でも数えるくらいしかない。屋根があって、売店が開いててドリンクもアイスも弁当も買えて、高台だから風が渡っていく。一般的な会場では屋根なんてぜいたくは望めない(あってもスタンド上部のわずかな部分を覆う程度)。売店も設置されない場合が多い。僕はちょっと物怖じする感じもあって、これまで保土ケ谷球場へ来なかったのを後悔した。なるほどなぁ、どうせ高校野球を見るなら「聖地」で見ろってことだ。
第1試合は橘学苑の好投手・黒木優太君の力のあるストレートに感心した。
【橘学苑・黒木投手】
高校野球のレベルは本当に上がっている。黒木君を攻略する東海大相模の作戦は「上ずった球は少々ボールでも叩け」だ。ジワジワと力押しして、得点をもぎ取っていく。僕の高校時代は東海大相模の黄金期だった。タテジマのユニホームにしびれた。だから昨春のセンバツ優勝は感激して見たのだ。今日も強い勝ち方に思えた。
【快勝の東海大相模】
第2試合は立花学園・荒川雅樹投手が印象に残る。それから三浦学苑の小さなミスに乗じて勝ちきる勢いのようなもの。
【立花学園vs三浦学苑】
面白いことに第1試合の勝者・東海大相模は第2試合の勝者・立花学園と後日当たることになる。つまり、2試合続けて「たちばながくえん」戦という奇遇だ。そのときは「そんなこともあるんだなぁ」という感想しかなかった。3日後、4回戦で立花学園が東海大相模を破るというニュースに仰天するのである。つまり、平成24年、東海大相模の夏は2つの「たちばながくえん」戦だけで終わってしまった。
思えば高校野球の魅力の大きな部分は「敗者のつくる影」にある。僕はライター修業の駆け出し時代、先輩から「勝者を見るな、敗者を見ろ」と教わった。この日も自然に橘学苑、三浦学苑の2校に目が行った。「勝者にドラマはない」と先輩は言うのだった。勝者は喜びを語る。歓喜を爆発させる。それはどの勝者でも似たり寄ったりだと先輩は言う。沢山の同業者がコメントを取ろうとするけれど、大体のところ「やりました」「嬉しいです」だと言う。
【東海大相模に敗れた橘学苑】
【立花学園に敗れた三浦学苑】
その点、敗者は沈黙する。思いを胸にため、静かに去ってゆく。「人間は黙ってるほうが雄弁なんだ」と先輩は言った。黙ってる奴が本当は何かを言っている。夏の高校野球は参加校のほぼ全てが敗者となる戦いだ。甲子園で頂点に立つ1校以外は皆、負けて終わる。
保土ケ谷球場で僕はもう一度、『ドカベン』を思い出していた。橘学苑、三浦学苑、4回戦に進むことのなかった2校の何と生き生きしていたことか。マンガのなかで明訓高校に敗れる不知火や雲竜、土門らの個性が際立っていたように。青春そのものの輝きのように。
『ドカベン』の主人公、山田太郎はその名の通り、あらかじめ没個性を狙ったキャラクター設定だ。無口で特徴がない。強打者だというだけで、もしかすると誰でもあり得る。僕らはたぶん自分の知ってるいちばん野球のうまい友達を代入して、山田太郎に親近感を抱いた。そのかわり、チームメイトの脇役、敵役には思いきり派手なキャラクターを用意した。
勝者には勝利がある。選手らにとってそれよりいいものはない。けれど、脇役、敵役が思う存分、青春を燃やし尽くしているから勝利が輝くのだと思う。
脇役といえば、保土ケ谷球場にはもうひとつ、「隼人のトンボ」と呼ばれる名物がある。
【保土ケ谷名物・隼人のトンボ】
イニング間のトンボがけに横浜隼人の野球部員が飛び出してくる。腰を落として、トンボがけをしながら下半身の強化もしている。「爆発的にトンボをかけている」といっていい。一度、保土ケ谷球場へお出かけください。たぶん「隼人のトンボ」にも魅了されますよ。
コラムニスト
1959年8月13日生まれ中央大学在学中にコラムニストとしての活動を開始。以来、多くの著書を発表。ラジオ・テレビでも活躍。
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「サッカー茶柱観測所」「F党宣言!俺たちの北海道日本ハムファイターズ」ほか
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