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あんどうたかおのバスケにどっぷり

vol.176「河村勇輝がNBAへ挑戦!と50年前のアメリカでの備忘録」

今では「元」と付けなければいけない河村。

「ビーコルの勇輝」から「NBAの勇輝」へと羽ばたこうとしている。
とは言え、まだNBA入りが決まった訳ではない。メンフィス・グリズリーズとの「エグジビット10契約」が合意を発表しただけの話。

その「エキシビット10」とはNBAで定められている契約の1つであり、最低年俸かつ無保証という条件にはなるが、チームはシーズン開始前に「2ウェイ契約(NBAと傘下のGリーグチーム両方と交わす契約)」に切り替えることが可能。レギュラーシーズンの開幕までに契約を解除された場合も、傘下のGリーグチームに入団することができる…と言うもので、ロスター(メンバー)入りしたというものではない。

では河村は「NBAへ行けるんだろうか?」と言うことと「通用するのだろうか?」と言うことだが、通用するのではないかと思う。根拠としては夏のオリンピックで十分に活躍できたことだ。元を含めNBA選手が数多く出場しているレベルの高い今大会で得点もアシストも結果を出していて、尚且つポイントガードと言うポジションで、昨シーズンまでのビーコルでも日本代表チームとしてもボールを持っている時間が一番長いので、かなり思い通りにプレー出来そうな気がする。

2つの意味で注目された今夏のパリオリンピック。多くの人からオリンピックではなく「誤審ピック」と揶揄されたように、バスケをはじめ、柔道その他の競技でもかなり審判に泣かされたオリンピックだった。
今大会は12ヶ国がA、B、Cの3組に分かれ予選リーグを行い各リーグ上位2ヶ国+それ以外の成績上位国2ヶ国=計8か国がパリで行われる本戦に進むことが出来るという仕組みだった。
男子FIBA(世界バスケットボール連盟)ランキング26位の日本はドイツ(FIBAランキング3位)、フランス(FIBAランキング9位)、ブラジル(FIBAランキング12位)と同じB組となった。世界ランキングでは一番下だが、この世界ランキングは過去8年間の実績でランク付けされるので実力と離れた順位になることが多い、その最たる例がフランスであるがこの件はスルーする。

日本はドイツとの予選第1戦に77-97で敗戦。続くフランス戦、何の根拠もないが「フランスには勝てるのじゃないか? 勝てるとしたらフランスだ!」と。何の根拠のない思いを持っていた。
オーバータイムまでもつれ込む激戦を繰り広げたものの、惜しくも敗れることとなったが、3位でのグループフェーズ突破を賭けて臨んだブラジル戦は、第3クォーター終了時点で4点差まで肉薄するも、終盤に突き放され敗戦。好ゲームを見せながらもあと一歩及ばず、結果として3戦全敗だが大きな財産を得た大会だったのは間違いない。
ちなみにフランスは準優勝して世界ランキングは4位となり、ドイツは3位のまま。良く考えたら世界で5本の指に入る国と好勝負をしたことに、もっと称賛を与えて良いのじゃないかな?

そして「あの誤審がなければ!?」と思ってしまうのは勝負事ではタブーだが…。
フランス戦でのレギュレーション終了14秒前のプレーが頭をよぎる。4点リードして相手ボールだが、スリーを入れられても1点差で、残秒から考えれば逃げ切れると思ったが、河村がファールを取られてしまった。
シューターとは30~40cmも身体が離れているのに、そして審判はシューターの後ろ側にいて河村の動きは見えにくく遠近感も分からないはずなのに、大いに疑問が残るジャッジ。
河村のバスケIQは低くないから、ブロック・ショットに行く必要はないと分かっているはず。でもディフェンスの本能からなのか、シューターに近づいてしまってはいたが、30~40cm前で止まりジャンプもしてない。だが審判は笛を吹いた。明らかな誤審、もしかするとフランスに買収されていたのでは…と勘繰りたくなってしまったほどだ。

2時代くらい前ならそんなこともあったが(!)、今はそんなことができる時代ではないはずだし、ランクが下の日本戦で審判を買収する意味はないはず。
ただし満員の観衆は地元フランス贔屓。この春沖縄で開催されたFIBAワールドカップの日本と同様で、審判の笛は言うまでもなく中立であるべきなのだが、大声援に惑わされ無意識のうちに少し地元寄りの笛になってしまったこともある…と知り合いの元国際審判が言っていた。
まあここはファールをした河村を責めるのではなく、このスリーを決め尚且つ&1も足して同点となる4点プレーを決め切ったフランスのマシュー・ストラゼルを褒めるべきだろう。

ちなみに河村勇輝は初出場となった今回のオリンピックで平均20.3得点7.7アシスト3.3リバウンドをマーク。グループフェーズ終了時点で得点5位、アシスト数2位にランクインしていた。
FIBAは今オリンピックの優秀選手としてグループBからは男子日本代表の河村勇輝を選んだ。そして河村のオフェンス能力と将来性について「23歳の彼は、少なくともあと10年は日本のオフェンスを支配することになるだろうし、毎年夏に成長を見せる彼の姿を見ると、河村勇輝がどれだけ上手くなるか末恐ろしい」と称賛している。

さて河村がエグジビット10契約を結んだグリズリーズは、9月23日に35歳のベテランガード、デリック・ローズの解雇を発表。
これが河村勇輝の契約が少し有利になるかもしれない。
これによってグリズリーズのロスターは13人に。エグジビット10契約選手は河村を含めて4人、3つある2WAY契約枠はスコッティ・ピッペンJr.、キャム・スペンサー、ジェイ・ハフと埋まっているものの、本契約にふたつの空きがある(フルロスターは本契約15人+2WAY契約3人の18人)。
また、河村のPGのポジションはエースのジャ・モラント、名ディフェンダーのマーカス・スマート、2WAY契約のピッペンJr.と3人いるが、スマートはシューティングガードでの起用が予想されている。

現時点でモラントのバックアップはピッペンJr.のみと安泰とは言い難く、同じポジションのローズの放出は、NBA入りを目指す河村にとって追い風と言えるかもしれない。

さてその河村がいなくなった横浜ビー・コルセアーズは例年通りアウェーのシーズン開幕を迎える。シーズン開幕という特別な日をアウェーで迎えるのはやはりとなり少し寂しい!
それでも10月12日(土)には横浜国際プールでホーム開幕戦を迎えるので、このコラムの読者の皆さんにはぜひ新生・ビーコルを応援してほしい。

りそなグループB.LEAGUE 2024-25 シーズン
横浜ビー・コルセアーズ試合情報
◆開幕戦
10月5日(土)・6日(日) vs仙台89er @カメイアリーナ仙台
◆ホーム開幕戦
10月12日(土)・13日(日) vsアルバルク東京 @横浜国際プール

 

■忘備録<初渡米 その3>
ボストンから飛行機でセントルイス(アメリカのほぼ真ん中。シカゴとサンタモニカを結ぶ国道「ルート66」が通る)へ。ここは西部への入口とも言われるゲートウェイ・アーチが有名。
会場は1929年に建設され、当時全米第2の大きさを誇るアリーナで30年前に閉館したそうだ。ダウンタウンから少し離れた郊外にあり、周りは草原と言うか公園っぽくなっていて、駐車場には当日はキャンピングカーや乗用車が多く、昼間と言うこともありバーベキューを楽しむグループが多かった。
ここは全米大学最大のイベント、「ファイナル・フォー(インカレ準決勝・決勝)」1973年の開催地。この大会は各カンフェレンスから勝ち抜いてきた36チームによるトーナメントの準決勝および決勝になり、この年はUCLA対メンフィス・ステート大、インディアナ大対プロビデンス大によって争われた。
ここは私が直接トーナメントに取材申請したのか、前回登場の岩倉組・田口監督が手配してくれたのかは忘れましたが、「ウィルコール(Will Call)」でチケットを貰えるはずだったのだが…。
会場の入り口で私の名前を言ってチケットを受け取ろうとしたが受付のおばちゃんが「ANDO」の名前はないと言う、何度も確かめてもらったのだが「ない」とのこと。そのおばちゃんは市内の大会本部にあるかもしれないというので慌ててタクシーで市内へ戻ったが本部にもないとのこと。ただ、申し込みは受けてあるのでチケットは会場にあるはず…と言うので再度アリーナへ。
もうとっくに第1ゲームは始まっている時間で、会場から声援が聞こえてくるので気が気じゃない。再度あのおばちゃんに探して貰ったら「ANDO」と書いた白の封筒を発見。「あったわ!」だって。…あんたがちゃんと探していたら見つけられていたはずなのに!!
後から気が付いたことだが「これがアメリカ!」。

<その時のチケット>

ゲーム前に感じたことその2。
出場校の一つインディアナ大はセントルイスまで車で7~8時間の距離ということで、車で来ることが出来た人が多い。乗用車やキャンピングカー、トレーラー等で応援に来ていて、広場に車を停めバーべキューをしている家族を多く見かけた。また「Go Red」「BEAT UCLA」と書かれた旗をなびかせながら車でそこら中を走り回り楽しんでいる姿が羨ましくもあった。ちなみに「Red」はインディアナ大のスクールカラーで、赤を大事にし、スポーツの応援ではこれを叫んだりプリントされた旗を振る人が多い!

<インディアナ大のウォームアップス。ファイナル4の時のモノでは有りません>

私の席は中段でオフィシャルの正面でコートからはそれ程遠くはなく、選手の表情はどうにか分かる。既にメンフィス・ステート大vsインディアナ大は始まっていた。このゲームの記憶はそれほどなく、注目はUCLA vsプロビデンス大。
UCLAはアメリカ切っての名門大学でこのシーズンは全勝だったはず(間違っているかもしれない…)。そして巨匠ジョン・ウッデンのUCLAコーチング24周年目と言う大会だった。
主力は3年生のビル・ウォルトン(Bill Walton)と言う2m10cmの動くセンター。当時はポジションが「センター、フォワード、ガード」とキッチリ分けられていたこととスタメンでは最長身だったのでセンター・ポジションにいたが、動きはフォワード。ドリブルで急ストップからのプルアップ・ジャンパー。さらに両肘を伸ばし、頭上のはるか上からのシュートとなると、止めるのは難しい。
このゲームだったと思うが、ボードに対してジャンプし、リバウンドから身体を捻り、サイドに出たガードに対し着地前にパスしたのを見てびっくり、凄い能力だと感じたのを覚えている。70-59でUCLAがインディアナ大に勝利しファイナル進出を決めた。
もう一方の対戦はメンフィス・ステート大98-85プロビデンス大でメンフィス・ステート大が決勝進出を決めた。
このゲームでプロビデンス大のガード、アーニー・ディックレゴリオ(場内アナウンスではディッゴリオと聞こえる。イタリア系移民の息子と紹介されている)の個人の能力の高さには驚いた。1on1やパスをはじめとするバスケの巧さは当然ながら、片方のエンドラインからフロント・コートまで、ベースボール・パス(ショルダー・パス)の様に頭上から片手で投げるフィジカルの強さにも驚いた。
ここは問題なく98-85でメンフィス大がファイナル進出を決め、ファイナルはUCLA vs メンフィス・ステート大。
この準決勝は土曜日に行われ、決勝と3位決定は一日置いた月曜日に行われる。連日の対戦ではパフォーマンスが落ちるだろうと言うことだけではなく、「日曜日は協会へお祈りに行く日だからゲームはしない」とか言う話も聞いたが、それが真実なのか正確なところは知りません。
ちなみに当時はNBAより大学バスケの方の人気が高く、「翌年のファイナル4のチケットは発売当日で売り切れる」と聞いていた。2日分セットで売られており$27.5だった。

ファイナルはUCLA vs メンフィス・ステート大。UCLAのカラーは水色とゴールドでメンフィス・ステート大はオレンジ。ユニフォームは当然だが羨ましかったのは応援する人たち。学生も多いが、社会人が圧倒的。OBはもちろん、地元の人の応援が本当に多い。日本で言えば、高校野球の甲子園大会みたいなもので、地元以外にもニューヨークから大学の卒業生が多く来るようだ。それもスクールカラーを身に付けて来る。
UCLAなら水色や黄色のジャケットやネクタイをお爺ちゃんのような人が身に付けて応援していて、TO(テーブル・オフィシャルズ)を挟んでハッキリと左右で分かれていて、ベンチ正面の私の席から良く見えた。その時は気が付かなかったが、応援する学生たちは私が座っているサイドに居たようで気が付かなかった。

ゲームはUCLAの一方的は勝利だった気がする。88-67だったが印象に残っているのはUCLAのウォルトン。このゲームでは得点に集中していて、頭上高くから撃つ独特の肘を絞ったジャンパーが決まりに決まり22本撃って21本決めた、と翌日の新聞に掲載されていた。ただ私の記憶だと数本ティップに失敗していたような記憶がある。まあそこまで細かいことはどうでも良く、とにかく素晴らしいと思ったことはリングに正対してのプレーが多かったこと。ペイント内ではあるが、リングから数m離れていたと思う。
UCLAは当たり前のように優勝し、2年後のサンディエゴ大会でも優勝した。この年はウッデン最後の年だったはずで、パンタロンスタイルで優雅ダンスを得意としていたUCLAのソングガール(多分チアガールのことだと思う)は表彰式終了後もずーっとミュージカル「ジーザスクライスト・スーパースター」の曲に合わせ踊っていた。

ファイナル4と言えば、このサンディエゴ大会は私がツアーを組み、日本からも観戦に行っている。確か当時大阪商業大学監督の島田三郎氏や関西大コーチの笈田欣二氏と言う重鎮達が参加したはず。
また1976年のフィラデルフィア大会もツアーを組み、その時は当時東京教育大(現筑波大)の青井水月監督夫妻が参加してくれた。

あんどうたかお プロフィール

1946年生まれ。

月刊専門誌「バスケットボール・イラストレイテッド」の編集長を経て、バスケットボール用品のデザイナーとして活躍。特にキャラクター「あんたかベイビー」のTシャツは一世を風靡した。日本初のバスケット・ユニフォームデザイナーとしても活躍。当時強豪と言われる殆んどのチーム<実業団-大学-高校>に関して何らかのデザインを手掛けている。またスポーツ界では唯一のファッションのコラムを持っていた。

現在は自身のユニフォーム・ブランド「305」を立ち上た。

NBAに関しては「月刊バスケットボール・イラストレイテッド」編集者時代の1966年から連載を執筆。TV解説はNHK BS以前にも東京12チャンネルで1985年から行っており、日本最古のNBA解説者と言われている。

過去にはスポニチウェブサイトのNBAコラムを担当。月刊バスケットボール及び月刊バスケットボール・マガジン等に連載を持っていた。

横浜の中学・高校バスケの指導者、関係者とのつながりが深く横浜及び神奈川県のバスケ事情に精通している。

現在は横浜をホームとするBリーグ「横浜ビー・コルセアーズ」の名誉広報として情報発信やプレス対応などチームの広報活動に力を注いでいる。

また(社)神奈川県バスケットボール協会広報顧問も務めている。

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