vol.141「ツイン・バスケ全国大会」
そろそろ梅雨入りのようで、日本で一番うっとうしい季節になりますね。
さて今回はツインバスケ(ツイン・バスケットボール)についてお話ししましょう。
このコラムで取り上げるのはvol.4とvol.48に続いて3度目となります。どちらでもツインバスケの競技やルールについて書いてあるのでお読みください。
とはいえ、ここでも少しおさらいをしたいと思います。
【車椅子ツインバスケットボールとは?】
健常者が使用する正規のリング(高さ3.05m)の他に、腕を含む首から下の筋肉をコントロールできなく、正規のリングまでボールが届かない重度障害選手(四肢麻痺*)のために、もう一つ「低いリング(高さ1.20m)」をセットしてあり、リングが2組あることから「ツインバスケットボール」と呼ばれます。
*四肢麻痺とは主に交通事故やスポーツ中の事故で首の骨を折る(頸髄損傷)また病気により手も足も障害があり機能が麻痺することを言います。
文字だけでは判りづらいと思いますので、こちらの動画をご覧下さい。
脚のみならず体幹や腕にまで障害がある頚髄損傷四肢麻痺者は1970年代には日常生活で自立できないと考えられ、自宅もしくは施設、病院などで介護を受けながら、大半の時間をベッドの上で過ごすことを余儀なくされていたようです。
そんな時、カナダで開催されたパラリンピックにおいて、電動の車椅子などで積極的に外出している頚髄損傷者を見た神奈川県総合リハビリセンターの北村昭子先生が、日本の頚髄損傷者における体力、日常生活能力、余暇の過ごし方、就労状況など、あらゆる面で違いを感じ、それに近づけようと、当時、訓練の一環として行っていた車椅子バスケットボールを勧めました。
しかし3.05mのリングまでボールを投げられず、身体能力が違いすぎて、とてもプレーできる状態ではありませんでした。
何度か試行錯誤の後、北村先生の大学の後輩で神奈川県総合リハビリテーションセンター医療体育科指導員の川崎二三子先生からのアドバイスも加え、1982年9月4日、国立療養所箱根病院と神奈川県総合リハビリテーションセンターとの「第一回頚髄損傷者バスケットボール対抗試合」にこぎつけ、誕生したのがツインバスケの始まりと言われています。
そして1983年、当時身体障害者のスポーツ界をリードしていた日本車椅子バスケットボール連盟(JWBF)は、同じ脊髄損傷者、同じバスケットボ-ルを愛好する者として、全面的なバックアップを約束し、駒沢オリンピック公園体育館で開催された第12回日本車椅子バスケットボール選手権大会で、 「エキシビジョンゲーム」としてツインバスケを公開しました。
【ツイン・バスケの見どころ】
健常者バスケと大きく違う点は、障害の度合いによってシュートできるリングや距離が違うことです。
・軽度の人は健常者と同じ上リング(高さ3.05m)へ。ヘッドバンドは無し。上シューターとも呼ばれます。
・中程度の人はフリースロー・サークル(健常者用では半円になっています。以下、FTサークル)内の下リング(高さ1.02m)へシュートできますが、FTサークルの外からになります。白のヘッドバンド。円外シューターとも呼ばれます。
・重度の人は下リングに、それもFTサークル内からシュートできます。赤のヘッドバンド。円内シューターとも呼ばれます。
赤ヘッドバンド(円内シューター)はFTサークル(黄色いライン)に入れますが、白ヘッドバンドは外にいなくてはいけません。
そこで問題になるのが「持ち点」です。障害のレベルによって1.0~4.5点の「個人持ち点」を付けます。障害の重い人ほど持ち点は低く、コートでプレーする5人のチ-ム持ち点を合計11.5点以内で構成をしなくてはなりません。更に軽度の人を複数入れてもいけません。
ボールを運んだりする、健常者で言うポイントガード(PG)は4.0以上の選手が担当して、このPGの上手さが勝敗のカギを握ることも多くあります。
※持ち点と得点は無関係です!
健常者と大きく違うのはもう一点。スローインやボールをフロント・コートへ運ぶまでの時間やショット・クロックなどの時間が長くなることですね。筋力が無いので、動作が遅くなることを考慮しているためです。
細かいルールを書くと長くなるのでここをご覧ください。
プレー面で言うと、車椅子バスケでもそうですが、スクリーンの効果は半端ないです。バッチリ決まります。そしてリングが2個あることで攻め方のバリエーションも2倍になるってことです。
話は変わりますが、新横浜にある横浜ラポール(正式名称「障害者スポーツ文化センター横浜ラポール」)をご存知ですか?
日産スタジアムの手前にある障害者のためのスポーツ施設で、陸上競技場や体育館はもちろんのこと、テニスコート、アーチェリー場、ローンボール場、プール、フィットネス、ボウリング場などそろっています。
そこで毎年秋にツイン・バスケの関東トーナメントという大会が開催されます。関東圏外からも招待し、10チームほどで大会をしてます。そこのT.O.(テーブルオフィシャルズ)を「とん太会」というグループ名でお手伝いしてます。
<「とん太会」はTOを担当してます>
「とん太会」というのは横浜駅西口近くにある居酒屋の名称で、年に数回そこに県内のバスケ大好きおじさんたちが集まる単なる飲み会なのですが(笑)
そのメンバーを中心にツイン・バスケのボランティアをやっています。
ボランティアは他にも横浜バスケットボール協会にお願いして市内の中学に手伝ってもらったり、県内の高校にもお願いしてます。
<ツイン・バスケ審判部も毎回ミーティングを開き研修をしてます>
特に高校生には「ツイン・バスケ」という環境を知ってもらい、バスケができる環境に感謝する気持ちを持ってもらいたいと思い、県内の横浜商科大高、法政大二高、横浜清風高、東海大付相模高という強豪チームに無理にお願いしてきました。偶然なのかもしれませんがほとんどのチームはその年に良い結果を出しています。
ボランティアに来た子には車椅子体験をしてもらいますが、これが結構はまるようで、喜んでやってます。
さてそのツイン・バスケの全国大会が今月22日(土)-23日(日)の2日間東京の墨田区総合体育館で行われます。神奈川県からは、横浜ラポールを本拠地とする「横浜レッドブリックス」と、厚木市七沢にある、神奈川リハビリテーションセンターを本拠地とする「神奈川JUNKS」の2チームが参加します。
レッドブリックスは、記録が残る2010年第24回大会から6回目の出場となる名門チームです。
更に素晴らしいのはJUNKSです。第24回大会から昨年まで8年連続出場だけでなく準優勝3回、優勝3回と言う強豪チームで、優勝した昨年の大会では得点王を伊東良平が獲得し、ベスト5(優秀選手賞)に深澤康弘、山口貴久の2人が、MVPに橘内祐太郎が選ばれていて、今大会の優勝候補筆頭に挙げられています!
両チームの日程は下の通りです。
・レッドブリックス 1回戦 6月22日(土)Aコート11時。勝つとCコート16時。
・JUNKS シードされ2回戦から 6月22日(土)Aコート14時20分。勝つと準決勝へ。
準決勝 6月23日(日)9時
決 勝 12時
ぜひ神奈川県のチームの応援に来てください!!
そういえば、この大会の記念シャツをデザインしてます。
実は、2006年埼玉で行われた大会で記念シャツをデザインしてまして、考えてみるとこれ以来のお付き合いということになりますね。
この時のデザインです。箪笥の隅にしまってあったのを取り出してきたのでしわくちゃです(笑)
そして今回のデザインは↓これです。
紺地に「TWIN」と大きく入れました。一番アピールしたい言葉ですからね!!
そしてバスケらしさを強調するためボールを大きく入れ、さらに東京らしさを出すために、東京名所をシルエットにしてボールの中へ落とし込みました。左から国会議事堂、浅草雷門、スカイツリー(墨田区総合体育館の有る錦糸公園から良く見えます!!)、東京駅、東京タワー、都庁舎と続きます。
さて問題。一番右は何のシルエットでしょうか? 正解しても賞品はありません(笑)
このTシャツは会場で販売してるかもしれません!
*ツイン・バスケの詳細はこちらの公式サイトをご覧ください。
◆高校男子関東大会
先月号で書いたとおり、神奈川県からはAブロックへ法政二高(以下法政)、桐光学園高(以下桐光)、横浜清風高(以下清風)、Bブロックは東海大相模高(以下東海)と初出場の立花学園高(以下立花)の計5チームです。
□Aブロック
県予選では準決勝で法政に敗れた桐光。高さを含めたポテンシャルはピカイチでしたが、初戦の相手は優勝候補No.1の土浦日大高(茨城県1位、以下土浦)でした。センターNo.7兪龍海(197㎝3年)、シューターNo.4柏奏太(174㎝3年)とNo.5萩原康平(175㎝3年生、六ッ川中)のシュートで競りましたが、土浦の鍋田に3P15本を含む52点を入れられ初戦敗退となりました。
清風はNo.6須藤タイレル拓(175㎝3年、本牧中)を中心に、得意のダブルユニット戦法でディフェンスを強めながら二桁得点者4人というバランス良い攻撃で、危なげなく県立宇都宮工高(栃木県1位)を下し2回戦に進んだものの、優勝した実践学園高(東京都1位)に敗れました。
県大会1位で臨んだ法政は、1回戦で千葉県2位の習志野市立習志野高と対戦。立ち上がりは初戦ということで緊張していたのか、リズムが掴めなかったものの、ディフェンスを強くすることでペースを掴み、No.3今池翔大(168㎝3年)のATBや良いディフェンスとNo.30吉澤凌雅(182㎝3年、豊田中)らのシュートで引き離し勝ちました。
しかし2回戦の八王子学園八王子高(東京都2位)では高さのあるNo.7ウスヌマ・ジャ(206㎝3年)に苦しんだものの、第4Qに強いディフェンスでペースを掴み、今池と#17佐藤悠真(184㎝2年、東永谷中)のスリーで逆転から引き離し、勝利しました。
翌日の準決勝は高さもシュート力も勝る土浦戦です。立ち上がりは今池の調子が良くなかったものの、佐藤が繋いで五分の展開を見せていましたが、土浦がディフェンスをゾーンに変えるとATB出来なくなり、法政の得点が止まり、一歩リードされる展開に。それでもNo.31 皆藤太郎(190㎝3年、保土谷中)がI/Sで得点。どうにか追いついていたものの、土浦はここからNo.4陣岡とNo.9神の2人がスリーを3本ずつ計6本を決め、一気に46‐61と離されてしまい、決勝進出はなりませんでした。
□Bブロック
初出場の立花は、地元の県立市川高(山梨県3位)と対戦。前半を9点のビハインドで折り返したものの、No.5青木宇優(175㎝3年)などのスリーで追いつきオーバータイム(延長戦)に突入します。最初のオーバータイムではNo.4紫村仁(175㎝3年)の活躍でダブル・オーバータイムへ突入となりましたが、足がついていけず92‐102で初戦突破はなりませんでした。
神奈川県予選では準々決勝で桐光に74‐75の1点差で敗れた東海、本来ならAブロックで戦うべきチームです。1回戦の市立柏高(千葉県5位)戦と2回戦の保善高(東京5位)戦はNo.11立花諒(180㎝3年)が2ゲームでスリー17本を含む61得点の活躍で快勝し、二日目の準決勝に臨みました。
さすがに準決勝ともなると相手もディフェンスが強く、お互いにシュート・ミスが多くなりますが、東海はつくば秀英高(茨城県2位)のインサイドアタックをスティールやブロックで止め、そこから速攻を出しペースを掴み、72‐63でつくば秀英を下し決勝進出を決めました。
決勝の文星芸術大附高(栃木県2位)戦では、つくば秀英戦とは打って変わって脚も良く動き、シュート確率もグンとアップ。文星にビッグマンがいないこともありNo.7蛭子修二(186㎝3年、六ッ川中)がI/Sもスリーも好調に決めました。第1Q中盤に逆転してからは、リバウンドやスティールから速攻を出し東海ペースに持ち込み、常にリードを保ち前半を59‐26で折り返します。後半もNo.15御林広樹(188㎝2年)が外からもI/Sも攻め、チーム・ハイの25得点し105‐78で初優勝となりました。
6月1日(土)
□Aブロック 富士北麓公園体育館
◆1回戦 桐光83‐94土浦、清風99‐82宇都宮工高、法政81‐61市立習志野高
◆2回戦 清風74‐91実践、法政72‐65八王子高
□Bブロック 富士吉田市営鐘山スポーツセンター総合体育館
◆1回戦 東海103‐57市立柏高、立花92(2OT)‐102県立市川高(山梨県3位)
◆2回戦 東海103‐58保善高(東京5位)
6月2日(日) 富士北麓公園体育館
□Bブロック
◆準決勝 東海72‐62秀英
◆決 勝 東海105‐78文星 東海は初優勝
□Aブロック
◆準決勝 法政72‐91土浦日大
1946年生まれ。
月刊専門誌「バスケットボール・イラストレイテッド」の編集長を経て、バスケットボール用品のデザイナーとして活躍。特にキャラクター「あんたかベイビー」のTシャツは一世を風靡した。日本初のバスケット・ユニフォームデザイナーとしても活躍。当時強豪と言われる殆んどのチーム<実業団-大学-高校>に関して何らかのデザインを手掛けている。またスポーツ界では唯一のファッションのコラムを持っていた。
現在は自身のユニフォーム・ブランド「305」を立ち上た。
NBAに関しては「月刊バスケットボール・イラストレイテッド」編集者時代の1966年から連載を執筆。TV解説はNHK BS以前にも東京12チャンネルで1985年から行っており、日本最古のNBA解説者と言われている。
過去にはスポニチウェブサイトのNBAコラムを担当。月刊バスケットボール及び月刊バスケットボール・マガジン等に連載を持っていた。
横浜の中学・高校バスケの指導者、関係者とのつながりが深く横浜及び神奈川県のバスケ事情に精通している。
現在は横浜をホームとするBリーグ「横浜ビー・コルセアーズ」の名誉広報として情報発信やプレス対応などチームの広報活動に力を注いでいる。
また(社)神奈川県バスケットボール協会広報顧問も務めている。
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