vol.81「障害者バスケット」
現在、世界のバスケットの注目の的はNBAファイナルです。
東西30チームで構成されている世界最強のプロリーグNBA(National Basketball League)。その頂点に立つのはサンアントニオ・スパーズかそれとも2連覇中のマイアミ・ヒートか?
実は昨シーズンも同じ顔合わせでしたが、ヒートが2勝3敗のピンチから、残り5秒で同点に追い付いてひっくり返し、4勝3敗で優勝してます(編集部注:6月10日現在、1勝1敗。6月11日第3戦)。
技術や身長ではそのNBAに遠く及びませんが、NBA以上に熱い情熱でプレーしてるのが「第31回神奈川県ゆうあいピック大会バスケットボール競技」の選手たちです。ゆうあいピックは多くの競技を行ってますが、その中でもバスケットは参加者が最も多く人気競技なのです。
バスケットは6月7日(土)8日(日)の2日間、男子32チーム、女子10チーム計42チームのトーナメントが大和スポーツセンター(大和市)で行われました。
チームは養護学校及び支援学校等の単独チーム、数校の養護学校からなる団体、社会人(主に養護学校等の卒業生でチームを作っている)チームと様々。男子は32チームを実力別に4リーグ(M1〜4)、女子も同じように2リーグ(F1、2)に分け、それぞれにリーグでトーナメントを行い順位をつけます。
そのためFID(知的障害)出場チームのように技術レベルの高いチームもあればSO(Special Olympics)チームのように運動をさせることがリハビリの一貫と捉えるようなお楽しみレベルのチームもあり、バラエティーに富んでいて面白い!
技術レベルが違えば審判のやり方も違ってきます。男子でいえばM1とM2はほぼ日本協会の正規ルールで行い、トラベリング等も厳しく吹かれますが、M3と4クラスは「バックパスは無し。8秒と24秒のショットクロックも無し」でトラベリング等も基準は緩やかにしてます。
今回レフリーをした金子宏さんによると「主催者から、笛を吹く前だけじゃなく、吹いた時やその後の様子も見てください」と言われたそうです。ジャッジに対して自分自身が受け入れられない選手もいて、大きな声を発することもあるようで、そこまで見てくださいということです。
そして下のリーグではバスケットの経験が少ない選手にも楽しんでもらうために「基準を緩やかにしている」とも言ってました。
今回は二俣川や藤沢の選手達で構成されているSON(Special Olympics Nippon)「神奈川サンズ」の新田昌幸(SON藤沢)さんにお話を聞くことができました。
神奈川サンズと名付けているように、二俣川をはじめ藤沢や川崎等養護学校の生徒を中心に小学3年生〜40歳代までが集まったチームで、通常は各チームで練習しています。藤沢では鵠沼にある「太陽の家」体育館で土曜日の10時半から1時間半程度で、健常者に比べ短い気がしますが、筋力、体力がないため、長くはできません。さらには3ヶ月練習したら1ヶ月は休むのが原則となっていて、練習再開時には以前行った練習を忘れてしまうこともあるとか。ただ練習が進むうちに身体で覚えている部分もあるため、思い出してくれます。
このように指導が難しいのは当たり前になってますが、ジャンプシュートはすぐに覚えてくれます。しかし難しいのはレイアップ・シュート(ランニング・シュート)です。皆さんも初めてボールを触った頃を思い出してください。レイアップのステップができなくて、新入生は別メニューでずーっとやらされていませんでしたか?
皆さん以上に覚えるのが難しいレイアップのステップ。だからステップが踏めるようになった時、当人以上に練習を見守っていた親やコーチ達が大喜びです。何回も何十回も、繰り返し繰り返し練習してたことを知ってますから。
今回男子はM2とM4、女子はF1しか見てませんが、かなり技術レベルに差がありました。M2レベルでも応用プレーは難しく、パスまではできるが、スクリーンプレーはできないのに、FIDクラスでは2対2のスクリーンで、その後リングへの走り込み(ピック&ロール)ができたり、その後のパスもあるとか。つまり知能発達の差がプレーの差ともなっています。
そのため指導で苦労すると言ってますが、心の中にあるのは「選手達にはバスケットを嫌いになってほしくない!」そして「バスケットが生活の励みになってほしい!」という思いがあります。だから「選手達が一つでもプレーができたら褒めるんです」。
今日参加したメイジャーは今年3月行われたbjリーグ 横浜ビー・コルセアーズの前座ゲームを務めています。
1946年生まれ。
月刊専門誌「バスケットボール・イラストレイテッド」の編集長を経て、バスケットボール用品のデザイナーとして活躍。特にキャラクター「あんたかベイビー」のTシャツは一世を風靡した。日本初のバスケット・ユニフォームデザイナーとしても活躍。当時強豪と言われる殆んどのチーム<実業団-大学-高校>に関して何らかのデザインを手掛けている。またスポーツ界では唯一のファッションのコラムを持っていた。
現在は自身のユニフォーム・ブランド「305」を立ち上た。
NBAに関しては「月刊バスケットボール・イラストレイテッド」編集者時代の1966年から連載を執筆。TV解説はNHK BS以前にも東京12チャンネルで1985年から行っており、日本最古のNBA解説者と言われている。
過去にはスポニチウェブサイトのNBAコラムを担当。月刊バスケットボール及び月刊バスケットボール・マガジン等に連載を持っていた。
横浜の中学・高校バスケの指導者、関係者とのつながりが深く横浜及び神奈川県のバスケ事情に精通している。
現在は横浜をホームとするBリーグ「横浜ビー・コルセアーズ」の名誉広報として情報発信やプレス対応などチームの広報活動に力を注いでいる。
また(社)神奈川県バスケットボール協会広報顧問も務めている。
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