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あんどうたかおのバスケにどっぷり

vol.49「 ビーコル勝った」

2011年10月9日。
スコアボードに表示されている残り時間は49秒、横浜ビー・コルセアーズ2点負けの場面。
キャプテン#3蒲谷正之が3ポイント・シュートを放った。

シュート 逆転の瞬間

指先を離れたボールは綺麗なアーチを描いてリングへ向かってゆく。
そしてリングに吸い込まれた。
64-63と王者フェニックスを逆転した瞬間だった。

ヘッド・コーチ(HC)のレジー・ゲーリーが来日した9月始めから日本人選手+#6ファイ・パプ・ムール選手を加えた7人はディフェンス主体のハードな練習をこなしてきました。
#1チェイス・マクファーランド、#10マーカス・シモンズ、#24ジャスティン・バーレルの3外国人選手が来日し練習に合流したのが9月の中旬です。
それからコーチ・ゲーリーの基本的思想「基本に忠実」を合言葉に練習してきたものの、たったの3週間です。
システムで動くディフェンスのコンビネーションが取れないばかりか、オフェンスでのお互いの「阿吽の呼吸」は簡単に取れるわけがありません。

練習風景
↑暫くは日本人だけの練習が続きました。

しかしキャプテン蒲谷を中心に、日本人選手はベテランが多く練習熱心な選手が多いこと。それに対して外国人は大学を卒業したばかりの選手が中心のため若く素直な選手ばかりなのが良かったのでしょう。練習ゲームを数回行っただけで本番に臨む、それもチームとして史上初めてのゲーム、その上相手は2連覇中のディフェンディング・チャンピオンの浜松・三河フェニックスです。
プレッシャーが半端じゃなく選手にのしかかり、硬くなっていましたね、ガチガチでした。あの図太そうに見える#3蒲谷選手も「頭の中が真っ白になりました!」と言っていたくらいです。

練習にも来ていただい林文子横浜市のティップオフ・セレモニーのあと、2011年10月8日(土)18時5分、いよいよ歴史的ゲームがスタートです。

いよいよ歴史的ゲームがスタート

基本通り、ゴール下まで攻め込むATB(Attack the Basket)を繰り返し行いますが、ゴール下はフェニックスもシッカリと守っていることもあって、中々シュートが決まりません。見ていてフラストレーションが溜まります。
そしてゲームが始まってほぼ2分経過したとき、ビーコル球団初となる得点は#24JB(バーレル)選手が挙げました。フリスローラインの左端辺りからのジャンパー(ジャンプ・シュート)です。
これで一安心(ホッ!)

とはいえ、その後もシュートは決まらずビーコルの得点が伸びませんが、ディフェンスが良いのでフェニックスも得点出来なく、第1Qは15-16とロースコアです。
第2Qはもっと悲惨でしたね、相変わらずビーコルはシュートが入りません、悪いことに外人選手のFTも半分しか決まらないんです。それでも持ち味のディフェンスで相手を押さえます。

 

ディフェンディング・チャンピオンとは言え、フェニックスも万全ではありませんでした。
というのは、2連覇に導いたのはカリスマと呼ばれた中村 和雄コーチでしたが、その彼が昨シーズン後に退団して故郷の秋田へ帰ったため、いなくなったからです。(現秋田ハピネッツのコーチ。)
その上、外人の補強も手間取ったようで、準備が遅くて悪かった、とフェニックスの関係者は言っていますが、ビーコルはたったの3週間ですからね。

結局レギュレーション(通常のゲーム時間)では52-52の超ロースコアで終了となり、オーバータイム(OT、延長戦)に突入となりました。開幕戦からのOTとは、さすが横浜だけあってやることが派手ですね(笑)。
でも相手を52点に押さえたことはビーコルが勝ったのに等しいです。

OTではリードを奪っていたものの、フェニックスの大ベテラン35歳の大口選手の老獪さにやられて62-63で初戦を勝利で飾ることができませんでした。
初戦を勝利で飾ることができず

悔しい思いで迎えた第2戦。
ビーコルの選手達は又もATBをかけますが、結果は前日と一緒です、いやそれ以下だった(汗)。
第1Qはたったの7点です、5人が10分プレーしてたったの7点しか取れないとは、、、
第2Qも15-14とロースコアとなりました。
後半もこのままの状態が続くのか、重苦しいままハーフタイムを迎えます。

ところが第3Qになるとオモムキがガラッと一変します。
キャプテン蒲谷と#24JBがペリメーター(中距離)シュートを連続で決めました。実はハーフタイムでコーチ・ゲーリーは選手達にオマジナイを掛けたのです。
「リラックスしてバスケットをしよう。もっとシンプルに!シンプルなパスからシュートをしよう!」

チーム・プレーやゴールに攻め込む上っ面の基本ばかりに目が行って、バスケットの基本中の基本「ボールを持ったらシュートを狙う」ことを忘れていました、その場でのシュートを忘れていたんですね。
フェニックスもインサイドでのシュートに対し注意を払っていたので、ペリメーター・シュートに対しディフェンスが疎かになっていました。だから楽にシュートが撃て、楽に撃てたからシュートが入ったわけです。

この2本のシュートでチームに勢いが出て攻撃リズムができました。
急に雰囲気が変わったのです。
前半で22点しか取れなかったのが嘘のようで、第3Qだけで22点も取ってしまいました。
とはいえ、相手もディフェンディング・チャンピオンです。33-32と逆転したものの、それからは接戦が続き、第4Q中盤には51-58と7点差もつけられたのです。
しかしここからマーカス・シモンズ選手、ジャスティン・バーレル選手が得点を重ね追いつき、61-60とまたも逆転です。直ぐに3Pを入れ替えされたものの、土壇場(英語ではDown The Stretchと言います。)で前日の土壇場でパスカットされるなど良いところがなかったキャプテン蒲谷選手が意地で3Pを決めました。

とはいえ、前日も同じような展開で、最後にベテラン大口選手にパスカットとシュートを決められ62-63で負けたと言う経緯があります。

しかしこの日は違いました。慎重になりながらも消極的にならず、更に2ゴール加え69-63で初勝利を挙げたのです。

ゲーリーチコーチ

終了後コーチ・ゲーリーチは、「廣田代表、林市長、そしてブースターの皆さんに送りたいと思っていたプレゼントを今日、届けることができました」と話し、前日にプレゼントできなかったお詫びと感謝をしていました。

そしてロッカー・ルームに引き上げてきての第一声「次の埼玉戦は、、、」
そうです、勝利の美酒に酔うことなく、既に次のゲームに目を向けていたのです。

関係者の私が言うのも可笑しなものですが「ビーコルは普通に強いチーム」です(笑)。

でもそのためにはブースターを始めとする皆さんの応援が必要なんです。
次回は11月2日(火)の平日19時から横浜文化体育館、3日(祝)平塚総合体育館で新潟アルビレックスと対戦します。
ブーストしに来てください。

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「横浜ビー・コルセアーズ」bjリーグ初陣について、ハマスポニュース(PCサイト携帯サイト)も是非ご覧ください。

あんどうたかお プロフィール

1946年生まれ。

月刊専門誌「バスケットボール・イラストレイテッド」の編集長を経て、バスケットボール用品のデザイナーとして活躍。特にキャラクター「あんたかベイビー」のTシャツは一世を風靡した。日本初のバスケット・ユニフォームデザイナーとしても活躍。当時強豪と言われる殆んどのチーム<実業団-大学-高校>に関して何らかのデザインを手掛けている。またスポーツ界では唯一のファッションのコラムを持っていた。

現在は自身のユニフォーム・ブランド「305」を立ち上た。

NBAに関しては「月刊バスケットボール・イラストレイテッド」編集者時代の1966年から連載を執筆。TV解説はNHK BS以前にも東京12チャンネルで1985年から行っており、日本最古のNBA解説者と言われている。

過去にはスポニチウェブサイトのNBAコラムを担当。月刊バスケットボール及び月刊バスケットボール・マガジン等に連載を持っていた。

横浜の中学・高校バスケの指導者、関係者とのつながりが深く横浜及び神奈川県のバスケ事情に精通している。

現在は横浜をホームとするBリーグ「横浜ビー・コルセアーズ」の名誉広報として情報発信やプレス対応などチームの広報活動に力を注いでいる。

また(社)神奈川県バスケットボール協会広報顧問も務めている。

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