vol.47「金総インターハイ優勝!!」
やったねー、ついにヤッタ!!
8月2日、秋田市で開催されていた第64回高校総体(インターハイ)女子部門で、県立金沢総合高が66-63で大阪薫英女学院を下し優勝しました。
久しぶりの優勝、13年ぶり3度目です。前回は県立富岡高時代でしたからね。
第1回目の優勝は1988年、公立校としては79年の宮崎県立小林高以来9年ぶりとなります。そして横浜市どころか神奈川県勢としても、男女を通じても初の優勝です。それまでファイナル4(4強)へ進んだことは一度もなく、いきなりの優勝です。
その時の中心選手は加藤 貴子(現姓 中原)通称「ジェット」。彼女はシャンソン化粧品へ進み10連覇の原動力となり、日本代表としてアトランタ・オリンピックに参加しまし、その後はイタリアのプロチームでプレーして2001年に引退しました。ちなみに高校生で代表メンバーに選ばれたのはバスケット史上、ジェットが初めてとなります。
そして98年に二度目の優勝を果たしました。
その後は常に神奈川県ではトップを取り、全国でもファイナル4常連となりました。
何年かに一度ファイナル4に入るのならともかく、常連となるには並大抵の力ではありません、それも公立校です。
この20年ほどで、ファイナル4常連校と言われる公立は男子の秋田県立能代工業高と富岡高(金総)だけです。
とは言え一時ほど選手が集まりません、と言うのは監督の星澤先生が転勤になる、と言われたからです。公立教員の宿命ですね。それまではほぼナンバー1選手の集団だった金総の質が下がってきました。逆を返すと他校に流れて強いチームが増えてきた、と言う良い面もありますが(笑)
県立金沢総合高は2004年に県立東金沢高と富岡高が統合されて富岡高の敷地に創立されたものですが、富岡高として最後の大会となった03年12月のウィンター・カップでは、戦力がそれほど揃っていませんでした。前の年にはIH(インターハイ)3位になったものの、この年はファイナル4に残れませんでした。そんな状態ながら、強豪ライバル高が早めに敗退すると言う幸運も手伝い、関根の3P、渡辺のゴール下の活躍で優勝し「節目の大会に強い」伝説が生まれました。
そして昨年、私はかなり良いメンバーが揃ったと思ってました、その上第1回優勝時の頑張り屋さんだった教え子が交通事故で無くなったことの弔い合戦と言うこともあり、星澤先生自身も入れ込んでいました。
それまで星澤先生はCTO(タイムアウト)を取らないことや、ベンチでは椅子に座りっぱなし、と言うので有名でしたが、この年からCTOは取るし立って怒鳴ることもしばしば。
なので期待していたのですが、準決勝で優勝した札幌山の手高に大敗してしまいました。相手には今回全日本代表に選ばれ、U-17で世界5位になったときのチーム・メイトでもある長岡 萌映子(180cm)をセンターに置き、PGには7月に行われたU-19世界大会で優秀選手に選ばれた町田瑠唯、フォワードにはU-18メンバーの本川紗奈生等とバランス良いメンバーなので太刀打ちできませんでした。
そして今年、新メンバーを見たとき「去年より強そうな感じ」がしました。
エースの宮澤夕貴(3年181cm岡津中)は野球で言えば「不動の4番打者」身体は細いものの身体能力が高く、ゲーム開始のセンタージャンプでは常に相手より肘から上が出るほど。空中でのバランスが良くシュートやリバウンドが得意なだけではなくパスも上手いスマートで、チーム中心に物事を考えられるゴール下で活躍する選手。
稲井桃子(2年165cm城南中)は2年前のPG磯崎を髣髴させる攻撃型PG。そして岡村郁美(3年168cm野比中)は星澤先生が昨年末のウィンターカップの大阪薫英戦前に勧めてくれた期待の3Pシューター。ところが肝心の大阪薫英戦ではシュートがサッパリ入らない。そう彼女は波のある選手だったのです。
今年のチームは期待しながらも大々的に書くことはしませんでした。何故なら全国から注目されているチームなので、ウッカリ書くと、全国の強豪に手の内を晒すことになると思ったからです。もっともそんなことしなくても全国の強豪チームは金総のゲームのビデオはシッカリと入手しているとのこと、それは星澤先生も知っていて、県大会では大事な戦術は隠すことがあるとか。
さてこの5,6年、星澤先生が言うことは「今の子達は何を考えているか判らない、宇宙人だ!」
ゆとり教育の弊害で「気持ちが弱い、競争心が無い」と言います。控えの選手がスタメンに入ろうと思っていないし努力しない、と言ってました。それがここ数年低迷の原因だとか。
以前は県大会でもブッチギリで優勝していたものが、決勝で大差をつけることが出来ないことが多くありました。
その時は「きっと何か戦術を隠したり、シバリを与えてプレーさせているから大差がつかなかった、いやワザとつけさせなかったのだろう。」と考えていたのですが、後から聞くと「そうじゃなく、アレが実力なんです。」と言う答えでした。
今年は星澤先生「最後の年」、定年で今年限りです。
是が非でも有終の美を飾りたいところ。選手達の心に刺激を与えるために色々なことを行いました。負けるはずのない大学生との練習ゲームで負けたため高田馬場から歩いて帰宅させました、川崎の富士通とのゲームでも不本意な内容の時はやはり歩いて帰宅させた、と言ってました。
それでも今一つピリっとしませんでした。
6月のIH県予選に当たる第49回神奈川県高校総体の決勝リーグでは久しぶりにブッチギリの快勝でした。でも星澤先生はまだ不満だった様子でした。
6月30日、日本バスケットボール協会から発表されたIH組み合わせを見て「決勝まで行ける」と多くの人は思ったことでしょう。ディフェンディング・チャンピオンの札幌山の手を始め桜花学園(愛知県)、東京成徳大、聖カタリナ女(愛媛県)、大阪薫英女学院、中村学園女(福岡県)、昭和学院(千葉県)、山形市立商等の強豪校はほとんどが金総とは逆のブロックに入っていたからです。
案の定2回戦vs英明(香川県)、市立桜ノ宮(大阪府)を下し準々決勝で聖和学園(宮城県)との対戦となりました。前半は36-23と楽勝ペースで順当にリードしてましたが、第3ピリオド入って2分過ぎたとき肝心要の宮澤がリバウンドの着地のときに左足首を捻挫してしまいました。ウィンターカップで怪我したところです。
それまでだったらここで終わってしまった金総だけど、今回は違いました。今まで宮澤に頼りきっていた他の選手が「自分達でやらなくてはいけない」とやる気を起こしたのです。
その筆頭が期待の岡村です。宮澤不在で点差を詰められ浮き足立ったものの、岡村が3連続で3P(3点シュート)を決め13点差に戻したことでチームが落ち着き、宮澤が治療を終えて戻ってくるのを待ちました。
結局87-71で聖和学園を下して準決勝進出を決めました。
準決勝の明星学園戦は前半からリードを奪われる苦しい戦いで、第4ピリオドには49-61と離されてしまいます。しかしここからが金総の本領発揮です。得意の強いディフェンスからボールを奪い宮澤がゴール下で決め追い上げ、同点にしてオーバータイム(延長)へ。延長では金総ペースで80-65と大差を付けて決勝進出を決めました。
決勝の相手は昨年暮れのウィンターカップ準々決勝で59-86で敗れた大型の大阪薫英です。
しかしそこは得意の強いディフェンスでペースを掴み前半を43-30とリードしました。だが相手はウィンターカップの覇者で金総に勝っている大阪薫英、ゴール下の宮澤を押さえる一方、得意の1対1でジリジリと追い上げ第3ピリオドは56-48と詰め寄られます。
しかし又も踏ん張ったのは岡村でした、ここでも連続して3Pを決めて66-63で逃げ切りました。
ところで優勝した金総のバスケット部メンバーは、毎朝駅から学校までの通学路を掃除していることを知ってましたか?
横浜スポーツ情報誌「SPORTSよこはま」(2011,8月号vol.26)の特集「横浜とバスケットボール」でも金総が取り上げられています。
さてここからbj横浜ビー・コルセアーズの話です。
ヘッドコーチが決まりました。アメリカ人です。
アメリカ西海岸の名門大でNBAへ何人も選手を送り込んでいるアリゾナ大出身です。
そこで3年間スタメンを張り続け、94年にはファイナル4(全米大学選手権準決勝)進出しています。
NBAにはドラフト56位でクリーブランド・キャバリアーズに指名され入団。
その後サンアントニオ・スパーズへ移り、NBAで2シーズン選手としてプレーした経験を活かし、NBAの下部組織NBDL(National Basketball Development League)でのヘッド・コーチや母校アリゾナ大アシスタント・コーチを務めた38歳です。
戦術的には、多彩なディフェンスを使い、ボールを奪って速い展開のバスケットを目指します。スピードある速攻が多く、エキサイティングなチームとなることでしょう。
詳しくは http://b-corsairs.com/20110720-315 を参照してください。
なお先月発表した選手以外に以下の3選手と基本合意しました。
■木村 実 (きむら みのる)
出 身:神奈川県 生年月日:1982年2月26日(29歳)
身 長:185cm 体重:85kg
ポジション:G、SG(ガード、シューティングガード)
競技歴
1997〜1999 桐光学園(川崎市)
2000〜2003 東洋大学
2004〜2008 新生紙パルプ商事
2009〜2011 東京アパッチ
■久山 智志(ひさやま さとし)
生年月日:1986年7月14日 (24歳)
身 長:183cm 体 重:79kg
ポジション:SG(シューティングガード)
競技歴
2008年 九州東海大 卒業
2009年 日新シール工業(近畿実業団リーグ)
2011年 TGI D-RISE(JBL-2)
■青木 勇人(あおき たけと)
出 身:神奈川県 生年月日:1974年1月29日
身 長:193cm 体 重:92kg
競技歴
ミニバス : 本町ミニバスケットボール少年団
中 学 : 藤沢第一中
高 校 : 鎌倉学園高
大 学 : 専修大
J B L : 大和證券
新潟アルビレックス
bjリーグ: 東京アパッチ
大分ヒートデビルス
琉球ゴールデンキングス
1946年生まれ。
月刊専門誌「バスケットボール・イラストレイテッド」の編集長を経て、バスケットボール用品のデザイナーとして活躍。特にキャラクター「あんたかベイビー」のTシャツは一世を風靡した。日本初のバスケット・ユニフォームデザイナーとしても活躍。当時強豪と言われる殆んどのチーム<実業団-大学-高校>に関して何らかのデザインを手掛けている。またスポーツ界では唯一のファッションのコラムを持っていた。
現在は自身のユニフォーム・ブランド「305」を立ち上た。
NBAに関しては「月刊バスケットボール・イラストレイテッド」編集者時代の1966年から連載を執筆。TV解説はNHK BS以前にも東京12チャンネルで1985年から行っており、日本最古のNBA解説者と言われている。
過去にはスポニチウェブサイトのNBAコラムを担当。月刊バスケットボール及び月刊バスケットボール・マガジン等に連載を持っていた。
横浜の中学・高校バスケの指導者、関係者とのつながりが深く横浜及び神奈川県のバスケ事情に精通している。
現在は横浜をホームとするBリーグ「横浜ビー・コルセアーズ」の名誉広報として情報発信やプレス対応などチームの広報活動に力を注いでいる。
また(社)神奈川県バスケットボール協会広報顧問も務めている。
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