vol.31 ミニバス
年度末には各スポーツで全国大会が多くなりますね。バスケットボールでも大きな大会が2カテゴリーで行われます。
一つは全国の都道府県から男女それぞれ1チーム(東京都だけ2)の選抜チームによる第23回都道府県対抗ジュニアバスケットボール大会、通称「ジュニア・オールスター」が東京体育館で行われます。
時を同じくして国立代々木競技場第1体育館と2体育館では「第41回全国ミニバスケットボール大会」が行われました。
この大会も各都道府県からの男女各48代表によるリーグ戦とトーナメント戦で争われますが、ナンバー1は決めません。優勝チームが4チーム出ることになります。
元々は「交歓大会」として昭和45年(1970年)に京都で開催されたもので、交歓することが目的のために「優勝」はありませんでした。
それが16回大会から名称も「全国ミニバスケットボール優勝大会」と変えて順位を決めることにしました。
凄いことに第1回男子日本一は横浜市の汲沢小ミニバスケットボール・クラブでした。
その後何年か同じシステムでやってきましたが、日本一になることばかりに集中するあまり、手段を選ばなかったり、指導法に行き過ぎもあって、「優勝を4チーム」にするようにしました。
良い考えだと思います。目先の勝ちにこだわり過ぎると、技術の向上と、人生の目標や幸せがないがしろにされますからね。
さてそれ以降の横浜市チームの成績はどうだったのでしょうか?
横浜市は神奈川県内では最高レベルの地区と言われ、神奈川県代表はほとんどが横浜市のチームとなってます。そして全国大会でも顕著な成績を収めてます。
この10年間を見てみると延べ7回決勝リーグへ、男子も延べ6回決勝リーグ進出を果たし、その中で女子は「矢部アローズ」が男子では「上菅田ミニ」が優勝を果たしてます。
凄いでしょう!!
今年の代表は男子「瀬谷第二ラプターズ」、女子は昨年決勝リーグ進出の「東希望が丘ミニ」です。
3月29日、私も代々木体育館行ってきました。
残念ながら女子の東希望が丘はスケジュールの関係で見ることが出来ませんでしたが、男子のラプターズは見ましたよ。
ミニバスケットボールは1Q(クォーター)6分を4回戦います。
ベンチに入っているメンバーのうち、最低10人はプレーさせなければなりません。上手い選手だけでゲームしようと思っても、出来ないシステムになってます。だから作戦も難しくなります。
基本的な考え方は、10人のメンバーのうち、第1Qと第2Qに戦力を平均的に振り分け、とりあえず前半で10人全員を出場させて、後半はベスト・メンバーで戦うことです。
星雅博コーチ率いるラプターズには165cmのキャプテン丹家くんを中心に大型選手が4人います。第1Qと第2Qでこの4人を2人ずつ分けました。
相手の愛媛県代表・伊台シルバーファルコンズMBCは、171cmでよく動けシュートも上手くスーパースターの苗田くんがいますが、他の選手は151cm以下です。
第1Qは両エース同士の戦いで、とても小学生とは思えない高いレベルのプレーが展開され7-2でラプターズリードで終了。
「丹家(青4)vs苗田(白4)、エース同士の戦い。」
第2Q、ラプターズは力を示しました。ファルコンズは最高151cm、この低い身長で全国大会に出てくるということは強烈なディフェンスやスピードを持っていると想像できます。その通りファルコンズはコート一杯使ってプレスを掛けてきました。
ところが星コーチはそれを前日見ていて知っていました。実は横浜にはこのようにディフェンスの強いチームが多く、勝ち抜いて来たということは「対策は万全」なのです!
パスで崩して最後は170cmの山本君へ高いパスを入れると言うフォーメイションを何度も何度も練習してきました。その作戦は大成功、あっと言う間に大量得点です。
「第2Qのラプターズは大型メンバー、山本(青10)170cm熊谷(青7)165cm」
一方ディフェンスでは大きい山本くんをゴール下に置いて1-3-1という難しいゾーン・ディフェンスを敷くと、小さなファルコンズは外からシュートするしか攻め手が無くなり得点できません。
このQだけで16-6と大量リード、前半を23-8と大差を付けました。
後半はベスト・メンバー同士の戦いです。
ファルコンズはエース苗田君が外からガンガンと決め、その上第2Qよりもっと強くフルコートで当たってきます。
しかしそんなことは織り込み済みです。フルコート・プレスは前線は強いのですが、往々にして後ろの方はがら空き、ということが多いのです。
アメリカン・フットボールのタッチダウン・パスような長いパスを連続して決めると、相手のディフェンスは腰が引けて来ました。バスケットを良く知っていれば「このディフェンスは通用しないゾ!」と判るものですから。
その上前半で15点差つけてますから、気持ちは楽です。
第3Qは3点詰められて29-17とされたものの、相手にはもう余力はありません。
最終Q、中盤で33-18としてからはお互いに残りのメンバーを出しての戦いとなり37-18でラプターズが勝ち、2勝目としてリーグを勝ち抜きました。
翌30日の決勝トーナメントでも2勝して、第36回の上菅田以来5年ぶり3チーム目の男子優勝となりました。
優勝するほどですからさぞかし猛練習をしてる、と思いますが、星コーチに聞いたところ、体育館が日曜日使えないため「週4.5日」だそうです。それも平日は2〜3時間程度。
ゲームを見ていて一番嬉しかったことは、選手に罵声を浴びせないことです。「怒鳴って無い」とは言いませんが、選手の人格を否定するような発言は皆無でした。
「インターバルで指示を出す星コーチ(6と7の間)」
横浜は熱心なあまり、時々罵声を浴びせる指導者がいるんですよね[笑]
それが原因でチームを、ひいてはバスケットボールを辞める選手が少なくない、と言われています。もしかしたら未来の日本代表に成れるかもしれないのに、、、、、
まだ子供です、優しく育てたいものです。
ラプターズの主力選手は皆6年生でした、今は中学生ですね。これから先、高校、大学、そしてプロを目指して頑張って欲しいものです。
10年後、プロになったとき、記者会見でヨボヨボの私が「私はミニバスの時から見てましたよ!」と言って驚かせたいです。
「お父さんお母さんの応援も大きかったですよ。」
1946年生まれ。
月刊専門誌「バスケットボール・イラストレイテッド」の編集長を経て、バスケットボール用品のデザイナーとして活躍。特にキャラクター「あんたかベイビー」のTシャツは一世を風靡した。日本初のバスケット・ユニフォームデザイナーとしても活躍。当時強豪と言われる殆んどのチーム<実業団-大学-高校>に関して何らかのデザインを手掛けている。またスポーツ界では唯一のファッションのコラムを持っていた。
現在は自身のユニフォーム・ブランド「305」を立ち上た。
NBAに関しては「月刊バスケットボール・イラストレイテッド」編集者時代の1966年から連載を執筆。TV解説はNHK BS以前にも東京12チャンネルで1985年から行っており、日本最古のNBA解説者と言われている。
過去にはスポニチウェブサイトのNBAコラムを担当。月刊バスケットボール及び月刊バスケットボール・マガジン等に連載を持っていた。
横浜の中学・高校バスケの指導者、関係者とのつながりが深く横浜及び神奈川県のバスケ事情に精通している。
現在は横浜をホームとするBリーグ「横浜ビー・コルセアーズ」の名誉広報として情報発信やプレス対応などチームの広報活動に力を注いでいる。
また(社)神奈川県バスケットボール協会広報顧問も務めている。
※タイトル・本文に記載の人名・団体名は、
掲載当時のものであり、閲覧時と異なる場合があります。