vol.25 「文体」
横浜文化体育館と言うより「文体」の方が通りが良い、関内駅そばの昔からある体育館は、「横浜開港100周年を記念」して昭和37年に建てられたという歴史を知ってましたか? 今年が150年記念の年ですから、ちょうど50年前になるわけですね。
文体は横浜市民だけじゃなく、神奈川県民や関東近県でもスポーツ愛好者には良く知られたアリーナです。
私が始めて文体を訪れたのは、、、、、、
残念ながら記憶が無いんです[笑]
多分40年ほど前だと思いますが、関東大学バスケットボール・リーグで来たことは覚えてます。もしかするとコレが文体デビューだったかもしれませんが、体育館としてのイメージが少ないんですm(__)m
どちらかと言うと「元町が近い、FUKUZOへ行こう!」この気持ちが強くって、リーグ戦のイメージも無いんです、仕事で行ったんですけどね。
ダメ記者でしたねー[笑]
私からすると、バスケットの体育館のイメージと言うと、バスケットのメッカと言われる東京の代々木第2体育館です。
あの建物はビックリするような形ですよね、そのイメージがあるせいか、文体はごくごくまともな体育館と言うイメージでした[笑]
文体の思い出と言うと、何十年前になるのか、私が実連(日本実業団バスケットボール連盟)の広報役員の頃の話です。当時実連は「日本リーグ」を運営してました。
広報は各メディアに大会の告知や情報を流すことが仕事ですが、同時に個人のゲーム記録を書いたテーブル・スコアを配布することも役目の一つでした。
当時のテーブル・スコア(現在はボックス・スコアと呼びます)は今と違ってシンプルです。得点、野投成功数(時には成功数/試投数も)、フリースロー数、ファール数だけでした。現在はリバウンド、アシスト、ミス、ブロックショット、出場分数までも記録されます。
その上、野投は3Pシュートが加わって全て「成功数/試投数」を出しますから大変です。昔は一人で出来たのが、今じゃ数人が必要ですからね、それもパソコンを使って。
日本リーグ最終日が文体で行われた時のことです。最終日は優勝が決まることもありますが、個人記録が決まる日でもあります。
優勝も決まり、表彰式も済み、我々は集計記録を出して日本リーグが終わったわけです。となれば打ち上げですよね[笑]
「文体開催」とくれば「横浜中華街で呑み会」はイコールです[笑]
「終わった、終わった!」と意気揚々で中華街へ繰り出しました。記者も数人入って飲んでいたのですが、委員長の亀倉さんが、何か用事が有って連盟の事務所へ電話したら、記録が間違っている、と大騒ぎだったようです。
確か日本鋼管の北原憲彦(現江戸川大教授)の得点が実際より少なく発表され、本当なら得点王のはずなのにと言うクレームだったようです。コレは広報部の責任ですから直ぐに亀倉さんが文体へ処理しに行って、残った我々は心から騒げなかったような記憶が残ってます。当時は携帯電話などと言う便利なものが無かった時代ですからね。
別に嫌な思い出と言うわけじゃありません。そんなこともあったなー、と言うことです。
毎年行われる横浜バスケットボール協会の主催による「横浜バスケットボールフェスティバル」もここ文体で開催されます。横浜市の中学や高校の大会等にも良く使用されます。
文体は横浜市のもので、財団法人横浜市体育協会が管理・運営していますが、横浜市民のイベントだけを行なっているだけではありません。
今年の夏、文体へ足を運びました。関東中学生バスケットボール大会の予選となる神奈川県中学総体で男子・笹下中、女子・旭中とどちらも横浜市立の中学が優勝した大会が文体で行われたからです。
笹下中vs瀬谷中
上で書いたように日本リーグも開催されます。日本リーグの前身の「スーパーリーグ」時代の07年には、ベテランの折茂武彦(トヨタ自動車)、佐古賢一(アイシン)が引っ張ったブルーチームが、五十嵐圭(日立)や川村卓也(オーエスジー)ら若手中心のホワイトチームを107-103で破ったオールスター・ゲームも開催されました。
JBLオールスター
ゴール下の激しい攻防
会場の外も熱気に包まれていました。
JBLと言えば、その年のプレーオフもここで開かれ、レベルの高い、白熱したゲームを見せてくれました。そう言えば当時ベイスターズにいたクルーンも顔を出してました。アメリカではバスケットボールの人気は高いですからね。
JBLプレーオフ
学生の全国選手権の「インカレ」も、昨年12月初め、60回記念大会で準々決勝までと順位決定戦を行ってます。
また知的障害者の世界大会(デンソーカップ2006年INAS-FIDバスケットボール世界選手権大会)が06年に男子7、女子5チーム(計8カ国)が参加して行われました。
別に大会ばかり開かれているわけではありません。
今年7月14日(火)には、bjリーグアカデミーより、コーチ・選手を招き、バスケットボールクリニックを開催しました。
文体独自に行なっているものもあります。
私の友人でもある大原君が責任者となって小学生にバスケットを教えるBWB文体ワールドバスケットボールという教室を毎週火曜日の夜に行なってます。
小学生のバスケットと言うとミニバスになりますが、全国大会の神奈川県予選が来年1月30日に行われ、横浜市のチームは全体的に強いことで有名ですよ。
7月にクリニックを行ったbjリーグは3月に公式戦が行われます。本来なら横浜のチームがゲームすべきなのでしょうが、残念ながらチームがありません。
そこでお隣の東京アパッチが滋賀レイクスターズを迎え撃っての公式戦です。両方ともに勉強熱心で優秀なコーチが指揮を執るので面白く楽しめるゲームになることと思います。
未だプロチームを持ってない横浜ですが、色々と動きがあるようで、このゲームは将来横浜市にプロ・チームを作るための試金石かも知れません。
早く「横浜○○・プロバスケットボール・チーム」が出来て欲しいものです。
1946年生まれ。
月刊専門誌「バスケットボール・イラストレイテッド」の編集長を経て、バスケットボール用品のデザイナーとして活躍。特にキャラクター「あんたかベイビー」のTシャツは一世を風靡した。日本初のバスケット・ユニフォームデザイナーとしても活躍。当時強豪と言われる殆んどのチーム<実業団-大学-高校>に関して何らかのデザインを手掛けている。またスポーツ界では唯一のファッションのコラムを持っていた。
現在は自身のユニフォーム・ブランド「305」を立ち上た。
NBAに関しては「月刊バスケットボール・イラストレイテッド」編集者時代の1966年から連載を執筆。TV解説はNHK BS以前にも東京12チャンネルで1985年から行っており、日本最古のNBA解説者と言われている。
過去にはスポニチウェブサイトのNBAコラムを担当。月刊バスケットボール及び月刊バスケットボール・マガジン等に連載を持っていた。
横浜の中学・高校バスケの指導者、関係者とのつながりが深く横浜及び神奈川県のバスケ事情に精通している。
現在は横浜をホームとするBリーグ「横浜ビー・コルセアーズ」の名誉広報として情報発信やプレス対応などチームの広報活動に力を注いでいる。
また(社)神奈川県バスケットボール協会広報顧問も務めている。
※タイトル・本文に記載の人名・団体名は、
掲載当時のものであり、閲覧時と異なる場合があります。