Vol.19 プロチーム
桜も散り始めた今日この頃ですが、これから華なのがNBAです。
レギュラー・シーズンは15日で終わりですが、NBAの面白さは、その後のプレーオフにあります。
多くのアメリカン・スポーツがそうであるように、リーグ戦形式のレギュラー・シーズン後にトーナメント形式のプレーオフが行われます。そこでナンバー・ワンを決めるわけです。今シーズンはロサンゼルス・レイカーズ、クリーブランド・キャバリアーズ、ボストン・セルティックスが有力と見られてます。 プレーオフのファイナルでチャンピオンが決まるのは6月中旬です。
アメリカのプロ・リーグやプロ・チームは何もNBAだけとは限りません。 最初に出来たプロ・リーグはNBL(National Basketball League)と言われています。バスケットが考え出されてからたった7年後の1898年に出来ました。 早いと思いませんか? いかにバスケットが急速に全米中に広まり人気があったか判りますね。
その後もプロ・リーグは各地に出来たのですが、全米展開と言うわけではなく、ニューヨーク中心とか、東海岸中心のリーグが多かったようです。そして多くのリーグは出来ては消え、出来ては消滅を繰り返してきました。
プロと言っても大した報酬があったわけではなく、一部の特別な選手を除くと、他に仕事を持ってゲームの時だけ駆り出される駆り出されると言うケースが多かったようです。 当然給料も1ゲーム毎に支払われたと言います。
現在のアメリカでは、NBA以外はマイナー・リーグ(日本的には独立リーグ)と呼ばれますが、大手ではCBA(Continental Basketball Association)、ABA(American Basketball Association)、地方系ではEBA(Eastern Basketball Association)やTPBL(Texas ProBasketball League)とか結構多いのです。
マイナー・リーグの良いところは参入しやすいことです。ABAで言えば、新加入のための供託金は60万円ほどで、結構簡単に参入出来ちゃいます。 まあ簡単に参入できると言うことは、潰れるのも簡単と言うことですね〔笑〕
マイナー・リーグの中でもCBAとABAは全米展開の老舗リーグです。以前はNBAへ毎シーズン何十人も送り出していました。 近年はNBDL(National Basketball Development League、通称Dリーグ)と言うNBA傘下の団体が出来て、NBAへピックアップされるのは殆どDリーグからとなってしまいました。
さてそんな中で異彩を放っているのがIBL(International Basketball League )です。 NBAのレギュラーシーズンや他のマイナーリーグのシーズン終了後に始まり、サマーリーグが始まる前に終わるため、NBAでプレータイムの少なかった選手、マイナーリーグのレベルの高い選手、ヨーロッパに出稼ぎに行っていた選手等が出場できます。そのためサマーリーグまでのトレーニングを兼ねられることから、希少価値が上がり、レベルの高い注目されるリーグになってきました。
今回そのIBLに日本からの参加が認められました。
これだけでも画期的で凄いことなのです。
チーム名はニッポン・トルネード(NIPPON TORNADOES)。
代表はJBAの代表でもある西田辰巳です。 彼は関西大学界の名門・大阪商大の出身で「日本のバスケットを世界基準に」持ってゆきたいと考えているユニークな男で、口先だけじゃなく色々と実行しています。シアトルパシフィック大学ですでに日本人コーチを研修させてます。
そのトルネード初代チームに横浜に関係する男が選手として参戦します。
福田幹也28歳。 本牧中から高校バスケット界の名門・横浜商科大高校(通称-商大)へ進んだ浜っ子。 大学は神奈川大へ進み、その後横浜ギガキャッツと言うクラブ・チームを経てbjリーグ・ライジング福岡でプレーしていました。 身長は191cm88kg。恵まれた身体でフォワードからガードまでこなせるバスケットIQの高いオールラウンドな選手です。 そして持ち味はコーナーからの3Pシュートとアシストパスです。 商大時代には神奈川県優秀選手にも選ばれています。
アメリカ志向の強い男で、個人としては何度もチャレンジして、そして今回やっとチームとしてゲームが出来るチャンスを得たのです。
‘06年に私が主宰するNPOリーチ・ユア・ドリーム・オブ・フープが主催したTryout Japan’06を受けに来てからなので、彼とはかれこれ3年ほどの付き合いになります。 30人ほどの受験者がいる中で、マイケル・レイ・リチャードソンとクリフ・リビングストンと言う元NBA選手からナンバー2の評価を受け、アメリカのABA・アルバカーキー・パトロンズのトライアウトへの招待も受けました。 またマイナーリーグ・チームの練習に参加を許され、1ヶ月ほどニューヨークで生活したことも。
高校の恩師、商大・茂木信監督は、「中学時代は良い選手ではあったけど、オールスターと言うわけではなく、私も偶然に見つけた選手です。 能力はあり、特にリバウンドが強かったのですが、県のベスト4が最高順位で、国体にも選ばれず…。 それがアメリカへチャレンジ出来るように成長して感激です。」と語ってくれました。
今回はチームとして参加しますが、決して甘いものではありません。 全敗して帰ってくるでしょう。
でも良いじゃないですか。 一歩目を踏み出さなかったら、二歩目は無く、ましてゴールへは行けないのです。
ここから日本のバスケットが再出発します。
今年は横浜開港150年の記念の年。 日本がアメリカへ門戸を開いた記念の年に、日本がアメリカへチャレンジします。 そのメンバーに浜っ子がいる。 嬉しいですね。
(一部敬称略)
1946年生まれ。
月刊専門誌「バスケットボール・イラストレイテッド」の編集長を経て、バスケットボール用品のデザイナーとして活躍。特にキャラクター「あんたかベイビー」のTシャツは一世を風靡した。日本初のバスケット・ユニフォームデザイナーとしても活躍。当時強豪と言われる殆んどのチーム<実業団-大学-高校>に関して何らかのデザインを手掛けている。またスポーツ界では唯一のファッションのコラムを持っていた。
現在は自身のユニフォーム・ブランド「305」を立ち上た。
NBAに関しては「月刊バスケットボール・イラストレイテッド」編集者時代の1966年から連載を執筆。TV解説はNHK BS以前にも東京12チャンネルで1985年から行っており、日本最古のNBA解説者と言われている。
過去にはスポニチウェブサイトのNBAコラムを担当。月刊バスケットボール及び月刊バスケットボール・マガジン等に連載を持っていた。
横浜の中学・高校バスケの指導者、関係者とのつながりが深く横浜及び神奈川県のバスケ事情に精通している。
現在は横浜をホームとするBリーグ「横浜ビー・コルセアーズ」の名誉広報として情報発信やプレス対応などチームの広報活動に力を注いでいる。
また(社)神奈川県バスケットボール協会広報顧問も務めている。
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