Vol.13 審判
横浜には優秀な審判が多いって知ってましたか?
先日、横浜駅のホームでバッタリと哲ちゃんと会いました。哲ちゃんと言ってもわかる筈無いですよねー(^_^;)
阿部哲也と言う県立白山高校の先生で、日本バスケットの代表的審判(以下、レフ)でした。今は現役を引退して後進の指導や普及に全国を廻ってます。昔からの同じバスケット仲間でバスケットの大会会場ではよく会ったりしますが、こんなところで会うとは、お互いにビックリ(@_@)
久しぶりーッ、て感じで東海道線の車内で色々と話をしました。
話題は8月の北京オリンピック女子決勝の笛を吹いた日本のレフの話から、やはり審判、そして日本のバスケットのことが中心となってしまいます。
横浜から戸塚までのたった10分間という短い時間、今度は飲みながらでも、ということでさよならしました。
その中で出てきたのは、当然ながら石田秀敏さんのことです。横浜市の審判といったら外せない存在です。石田??? またまた皆さんが知らない名前が(笑)
いや、実は彼、一度登場してます。VOL.7の「高校バスケ」にちょこっと出てきます。横浜中地区のところを読んで下さい。
書いてあるとおり、彼は県立保土ケ谷高の先生ですが、日本バスケット界では有名なレフでした。哲ちゃんより歳上で、東京教育大(現筑波大)では選手として大活躍してました。お世辞じゃなく本当です。私はてっきり実業団チームへ入るものと思っていたくらいですから。
卒業後は教員をしながらレフの道を歩んできました。選手として大舞台も踏んでいるので、バスケットを良く知っていて、良いジャッジをしてました。
1992年バルセロナ・オリンピックではアメリカはバスケットの代表にドリーム・チームを送ってきました。世界最高のリーグNBA。その中でも世界中の人が知っているマイケル・ジョーダンを始め、マジック・ジョンソン、ラリー・バードといった選りすぐりのスーパースターを集めたチームで、今後これ以上のメンバーは組めないだろうといわれた伝説のチームです。
相手選手はアメリカ・チームに勝つと言うより、一緒にプレー出来て嬉しい、と言ってました。
相手ベンチでドリーム・チームの写真を撮っている選手が多かった、というのもエピソードとして伝えられてます。
このお陰でNBAそしてバスケットが世界中に広まったとも言われます。
ドリーム・チームの素晴らしいプレーはこれです。
http://www.weshow.com/jp/p/28738/1992
そのドリーム・チームの笛を吹いたのが石田なんです。
それまで何人かのレフが日本から派遣されてましたが、こんな大役を仰せつかったのは彼が最初じゃないかな?
石田に影響されたのか、その後横浜を始め神奈川県からは哲ちゃんを始め優秀なレフが沢山育ってます。現在多くの大会は都内で行われることが多いのですが、そこには必ず横浜市を中心とする神奈川県の審判がいて、それを見ると、チョット鼻が高くなっちゃいます。
ナベちゃんこと県立霧が丘高の渡辺雄吉さんなんかもビッグ・ゲームで良く吹いてますね。コート・サイドのプレス席で見てるときに、こちらから茶々を入れたり、ゲーム中にすーっと寄ってきてソッポを向きながら話しかけてきたり(笑)
そんなことが出来るのも、やはり横浜つながりなんですね。
他にも県立城郷高の平君や県立中央農業高の清水君もよく会います。他にも他にも沢山いますよー。
そのレフも、実は大変なんです。
どの競技でも同じでしょうが
「よく出来て当たり前」
「ミスがあったらボロクソ」
の世界なんです。
特にバスケットは身体接触を禁じた競技なので、その判断だけでも物凄く大変です。
接触禁止と言っても実際問題それはありえませんよね。
チョット触れた程度でも「ファール!」と言って笛を吹いてプレーを頻繁に止めたら、チームのリズムを作れない上、観客もつまらなくなってしまいます。
だからレフは「身体接触を何処まで許し、その責任はどちらにあるか」という判断が大事になってきます。そしてその判断が公平で一定しなければなりません。
上手な選手ほどレフの笛を覚えています。
例えば「さっきは少しぐらい押しても吹かれなかった」と感じたら、その範囲でその後も押してきます。
もしそのときに笛を吹かれていたら、その後はそこまで強く押しません。
だから笛を吹く基準はゲーム開始から終了のブザーがなるまで同じじゃなくてはいけないのです。
まあレフと選手との駆け引きなんでしょうけど。
バスケットはボールを中心に大よそ半径5m内に10人が入り混じって凄いスピードで動いている訳です、それを2人(bjリ−グ、JBL等では3人制)で見極めようというのだから、、、
それに加えて厄介なのは監督(コーチ)を含め控え選手が座っているベンチは、プレーが良く見えるコート・サイド。
私は40年以上もトップ・レベルのバスケットを見てきました。知らないうちに目が肥えちゃったんですね(笑)
そんなもので、直ぐにジャッジにクレームをつけたがるんです(爆笑)
でも少しはレフの気持ちは判っているつもりなんですよ(笑)
追伸
あまり報道されてませんが、9月28日から10月2日まで行われた大分国体で神奈川県少年女子が準優勝を果たしました。
県立金沢総合高と県立荏田高を中心としたチーム構成で、スタメンは勿論のこと、チーム得点の80%以上を横浜市2高のメンバーで稼いでいました。
今年度は金沢総合高の力が弱く、神奈川県で飛びぬけたチームが無くて、関東新人戦、関東大会では決勝にすら進めず、インターハイでは2校とも2回戦止まりと低迷してました。
それが県内から優秀な選手を集めてのオールスターチームで望んだとは言え、神奈川チームが見事準優勝したことは、ハッキリ言えば驚きですm(__)m
逆に言うと、これまで作り上げてきた県内での強化活動が実ったと言えると思います。
おめでとう!!
1946年生まれ。
月刊専門誌「バスケットボール・イラストレイテッド」の編集長を経て、バスケットボール用品のデザイナーとして活躍。特にキャラクター「あんたかベイビー」のTシャツは一世を風靡した。日本初のバスケット・ユニフォームデザイナーとしても活躍。当時強豪と言われる殆んどのチーム<実業団-大学-高校>に関して何らかのデザインを手掛けている。またスポーツ界では唯一のファッションのコラムを持っていた。
現在は自身のユニフォーム・ブランド「305」を立ち上た。
NBAに関しては「月刊バスケットボール・イラストレイテッド」編集者時代の1966年から連載を執筆。TV解説はNHK BS以前にも東京12チャンネルで1985年から行っており、日本最古のNBA解説者と言われている。
過去にはスポニチウェブサイトのNBAコラムを担当。月刊バスケットボール及び月刊バスケットボール・マガジン等に連載を持っていた。
横浜の中学・高校バスケの指導者、関係者とのつながりが深く横浜及び神奈川県のバスケ事情に精通している。
現在は横浜をホームとするBリーグ「横浜ビー・コルセアーズ」の名誉広報として情報発信やプレス対応などチームの広報活動に力を注いでいる。
また(社)神奈川県バスケットボール協会広報顧問も務めている。
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