Vol.1
誰もが知っているバスケットという競技について、先ずはこれからお話ししましょう。
一度雑誌のインタビューを受けた時に「バスケットの魅力とは?」といきなり質問され焦ったことがありました。頭のテッペンまでバスケットにどっぷり浸かっていると「今更ナンなんだヨ。バスケットは見てもやっても面白いに決まってるジャン!」と編集者泣かせの返事をしてしまって後悔したことがありましたが、後の祭りってもんです。
バスケットは身体の全ての機能を使い、「走る」「跳ぶ」「投げる」の3要素を全て満たしているスポーツです。
只それだけじゃありません、狭いコートで敵味方入り乱れてプレーする難しさ、ボールの直径より1.5倍しかないリングへのシュート、それも3m05cmという高さにです。
身体接触を禁じられながらのディフェンス、5人でプレーする等々、どれも難しいことばかりです。だから面白いのです。
さて横浜のバスケットシーンを見てみると、盛んですし、強いです。
今年のミニバス全国大会の神奈川県代表は男女とも横浜勢でした。
男子 飯田ペーサーズはブロックリーグで敗退しましたが、女子の東希望が丘ミニは決勝トーナメントへ進出しました。
20年以上も遡ってみると、ミニバス全国大会で、それまで交歓大会で順位を決めてなかったのですが、1位を決めることになった16回大会で最初の優勝チームとなったのは男子の汲沢小だということはあまり知られてないようです。
中学というと私達の世代で言えば浜中が思い浮かびます。確か男女とも強くてよい選手を輩出していた筈です。
その後で言えば汲沢中かな?ココは多くの有名選手を生んでいます。その代表といえばミスターバスケットと呼ばれ、漫画(ビッグコミック<ファイブ>)にもなった全日本代表の佐古賢一(アイシン)があげられます。83年の全国中学大会では優勝してます。
中学生といえばもう一人取り上げなくてはならない選手が居ます。バスケットを知らない人でもこの人は日本中に知られています。大道中から秋田・能代工高へ進学し、後に日本生まれで初のNBA選手となった田臥勇太です。
女子だって負けてませんよ、全国中学大会での優勝は汲沢中より7年早い76年に希望が丘中が優勝してますからね。
女子と言ったらやはり高校の金沢総合高を上げなくてはならないでしょうね。オールドファンには富岡と言ったほうが良いですかね。
推薦や奨学金制度で選手を集めバスケットを重点的に行う私立高が多い現代バスケットにおいて、公立高が全国優勝、それも3回というのは奇跡に近いものがあります。
ちなみに高校男子は国体で選抜チームが1回優勝してます。
大学と言うと女子は寂しいですが、男子は日吉で練習している慶応義塾大が一味違ったバスケットで一昨年全国優勝しました。
実業団は昔、女子の日立戸塚が日本リーグと全日本総合選手権で優勝してます。
最後のカテゴリーになってしまいました。ココまでは順調に優勝経験があったのですが、この先がないのです。男子クラブチームではチームS が活躍してますが、肝心の
プ
ロ
が
無
い
!
ストバスも盛んなのに何でプロが無いの!!!!
これが書きたかった(泣)今までの100行以上は単なるイントロなんです。
プロを作るのは簡単じゃないけど、これだけバスケットの歴史があって全国でも有数の大都市なにのプロが無いのは寂しいです。
誰か賛同者は居ないのか?
立ち上がれ若者!!
立ち上がれバスケ馬鹿!!
1946年生まれ。
月刊専門誌「バスケットボール・イラストレイテッド」の編集長を経て、バスケットボール用品のデザイナーとして活躍。特にキャラクター「あんたかベイビー」のTシャツは一世を風靡した。日本初のバスケット・ユニフォームデザイナーとしても活躍。当時強豪と言われる殆んどのチーム<実業団-大学-高校>に関して何らかのデザインを手掛けている。またスポーツ界では唯一のファッションのコラムを持っていた。
現在は自身のユニフォーム・ブランド「305」を立ち上た。
NBAに関しては「月刊バスケットボール・イラストレイテッド」編集者時代の1966年から連載を執筆。TV解説はNHK BS以前にも東京12チャンネルで1985年から行っており、日本最古のNBA解説者と言われている。
過去にはスポニチウェブサイトのNBAコラムを担当。月刊バスケットボール及び月刊バスケットボール・マガジン等に連載を持っていた。
横浜の中学・高校バスケの指導者、関係者とのつながりが深く横浜及び神奈川県のバスケ事情に精通している。
現在は横浜をホームとするBリーグ「横浜ビー・コルセアーズ」の名誉広報として情報発信やプレス対応などチームの広報活動に力を注いでいる。
また(社)神奈川県バスケットボール協会広報顧問も務めている。
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